義母の入院している病院に着く。
娘の仕度が長引いたのと、私も調子が出なくて、バンバンせかすこともできず、家を出るのが遅れた。高速を使い、1時間30分くらいかかり3時15分。3時30分には面会時間終了と聞いているからあせった。娘は車酔いをしてぐったり。駐車場から玄関までどんどん歩いて行く私。「ママ、もっとゆっくり歩いて~。」との娘の懇願をよそに「時間ないのっ!」」私自身の体調がいいんだか悪いんだか、不思議。
幸い、今日から義母はICUから普通の病室に移されたらしく、看護師さんが案内してくれたのは4人部屋だった。ということは、面会の時間制限がゆるくなり助かった。
「あちらの窓側にいらっしゃいますよ。」
どこ?
名前のプレートを見て確認するまでわからなかった。
つい3週間前にであった義母とは雰囲気が違っていたせいだ。いつもまとめ髪で、小ぶりのヘアピースをつけて、センスのいい身なりで、手製のペンダントをしていた義母が、髪をほどいて、寝巻き姿で、鼻に流動食の管を通されて、左向きに横たわっていたのだから。右手がベッドの手すりにつながれている。
「おかあさま」と声をかけると
私達が来たことはわかってくれた。
看護士さんに私達の関係を訊かれた。「息子の嫁です。」というと、「ご家族の方にサインして頂きたいのです」と、同意書を見せられた。
それは、右の手をを拘束しても良いという、家族の了解をもとめるためのもの、のようだった。
鼻に通した管から、1日3回、7時半、11時半、5時半に、栄養を流す。傍に、点滴と同じようなバッグ釣り下がっていた。そのたびには管を取り外さずに、ずっとつけたままだという。左半身不随なので、義母は自由な方の右手で、無意識にその管をはずしてしまったそうである。栄養を流している時にそういう事があると、気管に入ったりして、窒息の恐れがあるため「やむをえず」(らしい)右手をベッドにつないで、顔に手をやれないようにしたそうだが・・・。家族のものが傍に要るときは注意していれば繋いだ紐を解いても良いそうである。
義兄は今日まだ、そのことを知らないらしい。
私がサインするよりはと思い、しばらくすると来るはずの義兄にお願いすることにしたが。
「では傍にいらっしゃれるなら、はずしましょう。」と、看護師さんは義母の右手を自由にしてくれた。
「いやだったでしょう。」と私は、ベッド脇にしゃがんで、目線を同じにして義母の右手をなでた。私は実の娘ではないし、生活を共にしているわけでもないから、いささか少し、遠慮があったが。
でも、そうしているうちに、義母は鼻に手をやってしまった。
「あ、すみません!はずさないで。」私は慌て制御した。こんどはちょっとその手を押えてしまった。
義母はかすれた声でこう言った。
「病気は・・・いやだね。・・・。」
「・・・そうですね。」
「なんにも・・・できない。」
「・・・・。」
今まで義母は、とてつもなく多い仕事をきっぱりとこなし、寸暇を惜しんで趣味を楽しんできた。ずっと現役選手だった。「老い」など微塵も感じられない、瑞々しい感覚を持っていた。美人で優秀で、いつも笑顔で、そして頼りがいがあった。その人はいま、苦痛と戦っている。
・・・・・義母の気持ちがわかる。胸が痛んだ。
こんなことを、不特定多数の方々に公開してよいのか迷ったが、私は今日の事を忘れないでおきたく、書いておきたかった。じっと真摯に、誠実に生きてきた義母が、病に倒れてなお、気持ちは常に現役なのだ。置かれた状況に甘んじない。
どのような状態にあっても美しさを損なわない。
そのような人のことを、知らせたい思いもある・・・・。
私など、ダメ嫁だ。足元にも及ばない。
娘に後を任せて電話をかけに行き、夫と落ち合って病室に戻ると、看護師さんが来ていた。義母はリハビリ室に行くために車椅子に乗せられていた。
夫が、もう帰ると言うので、そこでお別れした。
玄関に行く途中、横浜の義兄とばったり。しばらく世話をしていてくれている様子。
私が挨拶をしていると、義兄は離れて向こうを向いている娘に気づき声をかけようとしたが、「じゃあ…」と手を振ってリハビリ室のほうへ歩いて行った。
娘が、泣いていたから。
・・・ショックだったのかな。
お元気になりますように。
娘の仕度が長引いたのと、私も調子が出なくて、バンバンせかすこともできず、家を出るのが遅れた。高速を使い、1時間30分くらいかかり3時15分。3時30分には面会時間終了と聞いているからあせった。娘は車酔いをしてぐったり。駐車場から玄関までどんどん歩いて行く私。「ママ、もっとゆっくり歩いて~。」との娘の懇願をよそに「時間ないのっ!」」私自身の体調がいいんだか悪いんだか、不思議。
幸い、今日から義母はICUから普通の病室に移されたらしく、看護師さんが案内してくれたのは4人部屋だった。ということは、面会の時間制限がゆるくなり助かった。
「あちらの窓側にいらっしゃいますよ。」
どこ?
名前のプレートを見て確認するまでわからなかった。
つい3週間前にであった義母とは雰囲気が違っていたせいだ。いつもまとめ髪で、小ぶりのヘアピースをつけて、センスのいい身なりで、手製のペンダントをしていた義母が、髪をほどいて、寝巻き姿で、鼻に流動食の管を通されて、左向きに横たわっていたのだから。右手がベッドの手すりにつながれている。
「おかあさま」と声をかけると
私達が来たことはわかってくれた。
看護士さんに私達の関係を訊かれた。「息子の嫁です。」というと、「ご家族の方にサインして頂きたいのです」と、同意書を見せられた。
それは、右の手をを拘束しても良いという、家族の了解をもとめるためのもの、のようだった。
鼻に通した管から、1日3回、7時半、11時半、5時半に、栄養を流す。傍に、点滴と同じようなバッグ釣り下がっていた。そのたびには管を取り外さずに、ずっとつけたままだという。左半身不随なので、義母は自由な方の右手で、無意識にその管をはずしてしまったそうである。栄養を流している時にそういう事があると、気管に入ったりして、窒息の恐れがあるため「やむをえず」(らしい)右手をベッドにつないで、顔に手をやれないようにしたそうだが・・・。家族のものが傍に要るときは注意していれば繋いだ紐を解いても良いそうである。
義兄は今日まだ、そのことを知らないらしい。
私がサインするよりはと思い、しばらくすると来るはずの義兄にお願いすることにしたが。
「では傍にいらっしゃれるなら、はずしましょう。」と、看護師さんは義母の右手を自由にしてくれた。
「いやだったでしょう。」と私は、ベッド脇にしゃがんで、目線を同じにして義母の右手をなでた。私は実の娘ではないし、生活を共にしているわけでもないから、いささか少し、遠慮があったが。
でも、そうしているうちに、義母は鼻に手をやってしまった。
「あ、すみません!はずさないで。」私は慌て制御した。こんどはちょっとその手を押えてしまった。
義母はかすれた声でこう言った。
「病気は・・・いやだね。・・・。」
「・・・そうですね。」
「なんにも・・・できない。」
「・・・・。」
今まで義母は、とてつもなく多い仕事をきっぱりとこなし、寸暇を惜しんで趣味を楽しんできた。ずっと現役選手だった。「老い」など微塵も感じられない、瑞々しい感覚を持っていた。美人で優秀で、いつも笑顔で、そして頼りがいがあった。その人はいま、苦痛と戦っている。
・・・・・義母の気持ちがわかる。胸が痛んだ。
こんなことを、不特定多数の方々に公開してよいのか迷ったが、私は今日の事を忘れないでおきたく、書いておきたかった。じっと真摯に、誠実に生きてきた義母が、病に倒れてなお、気持ちは常に現役なのだ。置かれた状況に甘んじない。
どのような状態にあっても美しさを損なわない。
そのような人のことを、知らせたい思いもある・・・・。
私など、ダメ嫁だ。足元にも及ばない。
娘に後を任せて電話をかけに行き、夫と落ち合って病室に戻ると、看護師さんが来ていた。義母はリハビリ室に行くために車椅子に乗せられていた。
夫が、もう帰ると言うので、そこでお別れした。
玄関に行く途中、横浜の義兄とばったり。しばらく世話をしていてくれている様子。
私が挨拶をしていると、義兄は離れて向こうを向いている娘に気づき声をかけようとしたが、「じゃあ…」と手を振ってリハビリ室のほうへ歩いて行った。
娘が、泣いていたから。
・・・ショックだったのかな。
お元気になりますように。