食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

間違いの多い親達

2006-03-13 23:44:29 | Weblog

社会が才能に欲張りになっているのか、子供の早期教育に取り組む親や幼稚園が増えているそうです。

確かに幼児期にピアノや英語を覚えれば生涯のスキルになるかもしれない。しかしその弊害もないとは言えない。例えば、できる人間にはできないとはどういう事かが分からない。我々は外人に「日本語を話すコツ」を教えて欲しいと言われても返事に困ります。自然に話せてしまうからどうしてできないのかと思うわけです。

そしてこれくらいの事もできないのかと相手を蔑めば最も低劣な人間となりますね。才能は有るが粗暴で高慢という人間が増えて来ているように感じます。人間当たり前にできる事に感謝する事は至難のようです。例えば記憶できないとはどういう事か、思考できないとはどういう事か?力を失ってみないと分からないだろう。微積分はできるが1ケタの引き算ができないという人もいます。

即ち何かができない人間、当たり前の物を失った人間はそれだけで優れていると考えられます。今ある当たり前の平和の尊さを真に理解できるのも戦争体験者だけでしょう。

今の日本で力と言えば金や能力、才能、インテリジェンス。しかし日本が先進国並みの暮らしを求め学歴のため学びお金のため働きその先にあった物は、物に囲まれても豊かさを感じられないという哀れな姿です。当たり前にガス、水道、電気が使えて"三種の神器"はどの家庭にもある。しかし一番大事な物が欠乏してしまったのです。

力があるとはどういう事なのか?
本当に強い人間は虐めをしない。
本当に強い人間は虐待をしない。
本当に強い人間は戦争をしない。
本当に強い人間は汚職をしない。
本当に強い人間は環境を守る。
本当に強い人間は思い上がらない。
本当に強い人間の織り成す社会では子供も老人も狙われない。

社長であれ、建築士であれ、誘惑に負け粉飾・偽証を行う者こそ真の落ちこぼれ、弱者です。人間として最高の力を守るため過去の人類は快楽と闘ったのです。強さとは何か、考え直したい所です。

 

      弱い者ほど相手を許すことができない。

      許すということは、強さの証だ。

                     ガンジー

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