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最近の殺伐とした、無味乾燥の日本人が多いなか、本日の「産経抄」は一石を投ずるものである。
ものごとを「白と黒」の2色に割り切ってしまうものの考え方。
その間の色合いもなくなった。
日本人が連綿として受け継いできたものが、失われたことを池波正太郎先生もさまざまなエッセイ集、小説のなかに書き綴っている。
白と黒の狭間とは、融通のことである。
余りにもものごとを割り切り過ぎるから、ゆとりのない心が育っている。
人を思いやる心、弱い人の気持ちを理解する心が失せている。
自分さえよければいい、自分のために、自分だけのため、人の物を簡単にとってしまう、人の命までも簡単にとってしまう。
そのことが悪とは思わない、つまり、善悪の感情すら失せてしまっている。
無条件降伏して、米国の占領下にあった日本。
日本人が連綿として受け継いできた生き方、それらが全て否定された。
エセ民主主義を信奉する弊害かも知れない。
本日の産経抄のとおり、
「勅語が昭和23年に国会決議によって排除されて以来、徳育の欠如した戦後教育が、子供たちの心をむしばみ続けてきた」
と、ある。
まさにそのとおり。
会津の「什(じゅう)の掟」を全国の学校に広めることも一計であろう。
久しぶりに溜飲を下げる記事に出会った。(咲・夫)
[追 記]~産経抄から~
平成13年のNHK大河ドラマ『北条時宗』は、小欄にかっこうのネタを提供してくれた。なにしろ蒙古襲来を前にして、鎌倉幕府執権の時宗が、「この首をフビライに差し上げてもよい。それで日本が救われるのなら」などと、泣き言を吐くのだから。
▼それほどではないにしろ、昨年の『八重の桜』にも、違和感を覚える場面があった。新島襄亡き後、同志社の臨時総長となった山本覚馬が、明治23(1890)年に発布された教育勅語についてこんなつぶやきをもらす。
▼「教育勅語か。教育の名の下に、人を縛るようなことがあってはなんねぇ」。いかにも、戦後の進歩派文化人が口にしそうなセリフである。「ならぬことはならぬものです」。覚馬が学んだ会津藩の藩校には、この言葉で結ばれる厳しい掟(おきて)があったはずだ。
▼勅語が昭和23年に国会決議によって排除されて以来、徳育の欠如した戦後教育が、子供たちの心をむしばみ続けてきた。覚馬が知ったら、嘆きの深さはいかほどか。といった観点から、NHKは歴史を見ないものらしい。確かに教育勅語は、「軍国主義教育の象徴」の烙印(らくいん)を押され、内容の吟味もされないまま遠ざけられてきた。
▼その原本の所在が、半世紀ぶりに確認されたという。歴史的な資料として、修復のうえ公開される見通しだ。全文が多くの人の目に触れる絶好の機会である。下村博文文科相の言うとおり、「至極まっとうなことが書かれている」ことに、驚きの声が上がるかもしれない。
▼そもそも勅語が生まれた背景には、欧米文化の流入によって引き起こされた、明治時代前期の道徳の混乱があった。グローバル社会を生きる現在の日本人があらたな国民道徳を打ち立てる、きっかけになればいい。
(出典:産経新聞 4/11付 抜粋)
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