咲とその夫

 定年退職後、「咲」と共に第二の人生を謳歌しながら、趣味のグラウンド・ゴルフに没頭。
 週末にちょこっと競馬も。
 

西南戦争・・・八重の桜

2013-09-19 22:10:00 | レビュー
 壮絶な会津戦争の終焉とともに明治という新しい時代が動き出している大河ドラマ「八重の桜」、幕末のジャンヌダルクと呼ばれた山本八重は、銃をペンに持ち替えた新たな生活が始まっている。

 維新後、京都にいる盲目の兄・覚馬とその新しい家族。その兄を頼って会津から京都にやってきた「母と覚馬の元妻の娘」、そして「八重」たちの京都における生活も、これまでさまざまなことがあったにもかかわらず、今では穏やかな生活が始まっている。

 八重と大きな関わりを持つキリスト教宣教師の新島譲は、山本覚馬らの支援を受けながらも、とてつもない苦労の末に「同志社英学校」を開校することができた。そして、八重は、同志社大学の生みの親・新島譲と二度目の結婚をすることとなった。

 15日に放送分のこのドラマ、厳しい迫害を受けていた熊本洋学校のキリスト教信者の生徒たちは、第37回「過激な転校生」のとおり同志社英学校に受け入れられる。ところが、この転校生たちと新島譲や八重、さらに在校生間で一悶着がある。

 会津戦争で銃を片手に新政府軍と命を賭して戦ってきた八重は、どのような場合でも、いかなることが起こっても動じることのない姿勢を貫くことで、過激な転校生たちも少しずつ心を開いていく。

 そして、「同志社女学校」が開校し、同志社英学校の新校舎も完成へ・・・。その頃、鹿児島に下野していた西郷隆盛を総大将に祭り上げた各地の不平士族、それを鎮静化する政府軍との間に我が国最後の内戦と呼ばれた“西南戦争”が勃発していた。

 征韓論で大久保利通、木戸孝允、岩倉具視らに敗れた西郷隆盛は、鹿児島に帰り狩猟や温泉めぐりなど悠々自適の生活を考えていたが、各地の不平士族が鹿児島の西郷隆盛を頼って集まり・・・不穏の空気が流れる。

 そのため、私学校を開校し多くの若者たちの道を誤らせないよう教育するが、この私学校の勢力が新政府にとって目の上のたんこぶとなったらしい・・・。

 恐らく、西郷隆盛にとっては、自らが意図するところではなかったと思われる。それは、池波小説の「西郷隆盛」、「人斬り半次郎」、「賊将」、「その男」などを読むと西郷隆盛の器の大きさとか人となりがよく表されている。その偉人を演じる吉川晃司さん、当初は遠慮気味であったが、今ではすっかり“西郷どん”・・・。

 今回のドラマにおける西南戦争、維新前夜の会津戦争で賊軍とされていた元会津藩士の山川浩(玉山鉄二)、佐川官兵衛(中村獅童)、それに元新撰組の藤田五郎(=斎藤一・降谷建志)などが、政府軍に加わって奮戦、奮闘するようである・・・あの時の汚名返上となるのか。

 会津藩の視点から捉えられている今回のドラマ、4分の3が終了するが、今後も大きな山場がいろいろと待っていそうな感じもするから・・・最後まで見届けたい。(咲・夫)



[追 記]~あらすじ~
 1877(明治10)年2月、八重(綾瀬はるか)は襄(オダギリジョー)と共に、新築された同志社英学校の校舎で備品の準備に追われていた。
 そのころ鹿児島では、西郷隆盛(吉川晃司)が配下の不平士族らの決起を止められずに挙兵。「西南戦争」の幕が切って落とされる。政府軍に仕官した山川浩(玉山鉄二)や、警視庁の佐川官兵衛(中村獅童)や藤田五郎(=斎藤一・降谷建志)も参戦。激戦地・田原坂で進退窮まった政府軍の大山巌(反町隆史)は、官兵衛と藤田を抜刀隊に選抜し、従兄弟である西郷に戦いを挑む。
(出典:NHK 公式HP 抜粋)

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