咲とその夫

 定年退職後、「咲」と共に第二の人生を謳歌しながら、趣味のグラウンド・ゴルフに没頭。
 週末にちょこっと競馬も。
 

川崎大師へ・・・

2012-02-01 22:49:00 | 日記
 30日(月)、息子宅に厄介になっていたこの日、息子は勤務で早朝から出勤していた。息子の妻が、「川崎大師さんまで散歩がてら、行ってみましょうか」との誘いもあって、皆で出向いてみた。

 天気はとてもいいけど、さすがに冬の1日である。吹き抜ける風がとても冷たい・・・。ベビーカーに乗っている孫の“ゆう君”、防寒着や寒さ除けの装備でベビーカーの前を覆っているが、時折り吹きつける寒風にほっぺも真っ赤になっている。

 手を暖かいところに入れていればいいが、外に出すものだから赤くなってとても冷たそう・・・。

 歩きながら、手を温めてやると笑っているから、可愛いものである。広い歩道上や路地裏などを回りながら、15、6分も歩くと「川崎大師駅」前に到着・・・。どうやら、そこから直ぐらしい。

 何しろ、当方は初めてのことなもので・・・。家内は、若い頃こちらの方にいたのでお参りしたことがあるとか・・・。

 通称川崎大師は、「平間寺(へいけんじ)」と云って真言宗智山派の大本山の寺であるとのこと。その参道や門前の両側には、切り飴などのお店がビッシリと並んでおり、「トントン、トトン」と職人さんが切り飴用の包丁でまな板を叩く、心地よい音があちらこちらから聞こえてくるから・・・びっくり。

 その門前までの参道で、干し饂飩を売っているお店(南天堂)が家内の目に留まったらしい。足を止めてそのお店で「手造り乾麺」を購入、これが結構重いのである。息子宅と我が家へと二つ求めた・・・美味しそうである。

 門前両側のお店から、「甘酒」の香り、「蒸かし饅頭」のいい香りなども漂ってくるが、それにしても月曜日の平日だと言うのに、通りを埋め尽くすほどの人の波・・・。孫もベビーカー越しにキョロキョロしている。

 大山門をくぐり抜けて大本堂へ向かうところで、孫もベビーカーから降ろされて、うれしそうに歩き出したが、人も多いので手を引いてやらなくては・・・。

 ご本尊に孫と共にも手を合わせて、しっかりお参りもしたので気分爽快となった。今週末は、節分会とのことだから、何十倍もの人出があるだろうな。

 その後、あちら、こちらを散策して・・・やはり、通りを吹く風が冷たいので、帰りはタクシーに乗り込んだ。

 ワンメーターであったけど(咲・夫)



[追 記]~歴史~
 今を去る880余年前、崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していましたが、わが身の不運な回り合せをかえりみ、また当時42歳の厄年に当たりましたので、日夜厄除けの祈願をつづけていました。
 ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、海上に放ちしことあり。已来未(いらいいま)だ有縁の人を得ず。いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられました。
 兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。それは、大師の尊いお像でした。兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養を怠りませんでした。
 その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。これが、今日の大本山川崎大師平間寺のおこりであります。
 法灯をかかげて、悠久ここに880余年、御本尊のご誓願宣揚と正法興隆を目指す根本道場として、川崎大師平間寺は、今、十方信徒の心からなる 帰依をあつめています。
(出典:川崎大師 公式HP 抜粋)

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