咲とその夫

 定年退職後、「咲」と共に第二の人生を謳歌しながら、趣味のグラウンド・ゴルフに没頭。
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謀将 真田昌幸

2010-03-30 16:49:00 | レビュー
 ここの所、安静中なので、退屈しのぎに先般買っていた小説を読んだ。
 南原幹雄の「謀将 真田昌幸」の上下巻。池波正太郎ファンであるが、駅構内の本屋でこの本を見つけ、池波小説とは違う感性で書かれているらしいので読んでみることに。
 物語は、真田昌幸の父と祖父の時代から始まる。この小説では、昌幸の父真田幸隆は、海野小次郎と言う名前で海野信濃守棟綱の子として登場。(注:真田家系図では、海野信濃守棟綱の娘と真田頼昌の子が幸隆となっている。なお、真田は海野家の分家とのこと)



「真田昌幸 肖像画」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)



 滋野一族は、信州海野平で村上・諏訪・武田に滅ぼされ、小次郎と父(滋野一族の棟梁である海野信濃守棟綱)は、小次郎の舅の羽尾入道幸全におちてゆき、ここで厄介になりながら、関東管領上杉家の重鎮長野業政の軍団に羽尾入道幸全とともに信濃攻略の戦いに加わる。

 父は、滋野一族・海野一族の再興を上杉家に頼ろうとするが、小次郎は上杉家では頼りないと父と意見を異にして家来と二人で放浪の旅にでる。
 その頃、武田領では、晴信が父信虎を追放し後の信玄である晴信が武田家の頭領として甲斐の国を統一し若くして甲斐の国守となった。
 晴信は、海野一族の小次郎の知略や武将としての素質を知り、武田家に仕えて海野一族の再興をするよう勧める。小次郎は、敵方の武田に仕えるべきか悩むが、信虎と違って晴信の武将としての器の大きさを知り、海野一族再興を掛けることにした
 小次郎の父は、上杉方に世話になりながら、一族の再興を目論んでいることから父と子は敵対関係になって行く戦国時代の厳しさがある。

 小次郎は、晴信の勧めで新たな出発を掛けて、海野一族と滋野一族が起こった信州、真田郷にあってすでに滅びた真田家を名乗り、真田幸隆と改名。旗印を六文銭とし、滋野一族を率いた海野家の死を恐れない「不惜身命」の言に誓う。
 信州攻略の先方大将として、武田と敵対する村上、関東管領の上杉との最前線で謀略と調略と六文銭の旗の下、死をも恐れぬ戦いぶりで次々と戦功を挙げる。義父の羽尾入道幸全や父の海野信濃守棟綱と対決し負かすなど戦国の悲哀があった。

 あちらこちらに散っていた海野一族と滋野一族の者たちが、幸隆の下にやって来て、村上軍の戸石城を攻略するなど数々の戦功により、滋野一族が敗れて10年目、ついに晴信から約定の海野平などの領地を再び一族の下に治めることができた。
 これを足がかりに武田信玄(晴信)の下で、信玄と共に上杉謙信と川中島で4度も戦い、三方が原では徳川家康を負かし上洛を目前に信玄が亡くなった。
 信玄の下、戦国時代を切り開き真田一族としての礎を築いてきた幸隆もその2年後62歳で没するが、長男と次男も武田勝頼と織田・徳川軍との長篠の戦いで戦死。

 武藤家に養子に出ていて武藤喜兵衛と名乗って、幼少期から信玄の小姓として傍近くその戦振りをみてきた、喜兵衛が真田に戻り真田昌幸(幸隆の三男)として、真田家を継いでゆくこととなった。

 六文銭の旗印のもと「不惜身命」を誓う真田の武将魂と父幸隆譲りの謀略・調略を得意として信州の小国でありながら、北条・上杉・徳川・織田の狭間で真田の生きる道を模索する。
 織田信長亡き後、豊臣方の石田三成を通じ秀吉に謁見した昌幸は、豊臣方について最後まで徳川に抵抗する。
 これからは、山城ではなく利便の良い地に城を築きたいと考え、上田の庄に城を築いていた昌幸は、上田城で徳川軍を2度も破るなど大いに活躍する。
 2度目の上田城の攻防では、関が原の戦いに向かう徳川秀忠軍を破り、関が原の戦いに秀忠軍を遅参させるも、三成を中心とした西軍が大敗し昌幸の大きな夢は脆くも崩れさる。
 本来であれば、昌幸・幸村親子は切腹ものであるが、徳川四天王の一人本多忠勝の娘を家康の養女として長男の信幸に嫁がせて、家康の臣下となっている信幸と忠勝の介添えにより家康も渋々、切腹を許し二人を紀州九度山に幽閉させる。

 その後、幽閉先で昌幸は、徳川家康ともう一戦交えたいと思いながら病で没するが、関が原から14年後、大阪冬の陣・夏の陣で幸村は六文銭の旗印と赤備えの鎧軍団を指揮し、徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めるなど、幸隆・昌幸の戦上手を引き継いだ目覚ましい戦いぶりで、最後は力尽きて戦死するも「真田・・・日本一の兵(つわもの)」と戦後、賞賛される。

 一方、徳川家康に仕えた真田昌幸の長男信幸は、関が原以後松代に移封されながらも徳川時代を生きて、現代までも真田の家名を残した功績は大きいなものがある。
 初代幸隆、二代昌幸、三代信幸の生き様が、平成の時代16代真田幸俊氏へと受け継がれており凄いことである。

 池波小説と異にするのは、真田家で諜報活動をする忍びの者の代わりを修験道や巫女にさせて、謀略・調略のための情報収集に使っている点が南原小説であった。
 また、池波小説ほどのめり込むような精緻な人物描写は少ないが、真田家、滋野一族と海野一族などの関わりについては、うまく書き込まれており、真田昌幸好きの私も理解できてよかった。


 先日来の腰痛で、横になりながらこの小説を読破し、何とか内容と感じた事を書き込みたくて、横になりながら携帯であらましを書き、短時間であるが、パソコンに向かう事ができるようになり、パソコンで手直しが出来るほど快方に向かっている・・・・・・・健康である事の有難さをかみ締めながら。(夫)

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