ビター☆チョコ

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潜水服は蝶の夢を見る

2008-02-16 | 洋画【さ】行


フランスのファッション誌「ELLE」の編集長 ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)は、
ある日脳溢血で倒れる。
昏睡から3週間ぶりに目覚めた彼には、体を動かす自由はなかった。
彼に残された自由は左目で瞬きすることだけ。
自分の置かれた状況を受け入れるしかないどうしようもない状況で、彼は言語療法士の力を借りて
瞬きだけで自分の意志を伝える方法を学ぶ。
そして「20万回の瞬き」で1冊の本を書き上げたのだ。

潜水服は蝶の夢を見る。
この不思議な題名は、ロックトイン・シンドローム(閉じ込め症候群)という難病にかかってしまったジャンの境遇を表している。
重い潜水服を着て、深い海を彷徨うジャン。
かすかに見える、かすかに聴こえるけど、自分の意志を伝えることは出来ない。
重い潜水服はジャンの体だ。
元気だった頃は、自分の意のままに軽やかに動いていた体。
ジャンは今ではその自分の体に閉じ込められてしまったのだ。
周りに人はいるのに意志を伝えられない孤独は、ひとりで海の底にいるような気分なのだ。

いわゆる難病もの、闘病ものを予想させられるのだが
不思議とこの映画に悲壮感はない。
もちろん働き盛りのある日、突然に体の自由がなくなったことはあまりにも不幸な出来事なのだが
やがてジャンは、本当の自由というのは「想像する精神」を持ち続けることなのだと気がつく。

ほんとうの自由ってなんだろう。
体は自由に動いても、現実はいつだってなにかに縛られてる。
時間だったり、お金だったり、あるいは大切な家族にすら縛られてると感じることだってある。
「縛られてる」と感じるときは
きっと、私達に余裕がなくなってるんだと思う。
どんな状況にあっても、少し想像を働かせるだけで心は解き放たれるものなのかもしれない。

ファーストショットはピンボケだ。
視線が定まらないように、映像も不安定に揺れたりする。
それは、昏睡から目覚めたジャンの左目からの視線を再現したものなのだと気がつく。
映画は終始ジャンの目線で映される。
だから、妙に女の人が色っぽい(笑)

別れた内縁の妻。
言語療法士の女性。
理学療法士の女性。
ジャンの瞬きを言葉に書きとめる女性。
身近にいる女性は、動けないジャンの世話を、ジャンに寄り添うようにしてする。
風に揺れるスカート。
そっとジャンの唇から流れるよだれを拭く柔らかい手。
重病なのに(笑)彼女達を見つめるジャンの目線はいちいち「男」なのだ。
どんな状況でも現役の男!!なのだ。
その男目線が、映画を活き活きとさせている。

見舞いに来た友達が話しかける言葉に
心の中でチャチャをいれたり
潜水服に閉じ込められたジャンの中で
ちゃんと心は自由に動いているのだ。

誰だって病気なんかしたくない。
健康な今だって、いつかは病気になるかもしれないことや老いて体が動かなくなることを恐れている。
そんな不安を打ち消すために
自分の幸運を誰かの不幸と並べて量ってみたりすることもあるかもしれない。
でも、そういうケチな根性でこの映画を観ることはしたくない。

本の出版からわずか10日後、ジャンは亡くなってしまうのだが
そのジャンの死すら、哀しいというよりも清々しいものに思えてしまったのだ。
体の不自由を補ってあまりあるバイタリティーと精神の自由に拍手を送りたい。




ちょっと余談なのだけど。。。
ジャンの役はジョニー・デップが切望した役だといわれている。
スケジュールの都合でかなわなかったことなのだが
ジョニー・デップはこの映画を絶賛しているようだ。
彼(マチュー・アマルリック)が演じたほうが良かった、とジョニーが語っている記事を読んだ。
マチュー・アマルリックの演技は素晴しかったし
その役を改めてジョニーに置き変えて想像することはできない。

でも、ファンのひとりとして
もし叶うなら
今度は44歳の普通の男を演じるジョニーが観たい。
ごく普通の仕事をして家庭があって
つまらないことで落ち込んだり、喜んだり
私達と同じように日常のゴタゴタがある普通の男。
あのギルバート兄ちゃんのような。。。ね。