je bruis

メモ ランダム memos random
by azur11
since 2005.11.07 Mon

私訳2 2010.02.24 Wed 09.39.24

2010-02-20 18:21:49 | 英語
2010.02.24 Wed 09.39.24

以下 書きかけ 未整理 メモの羅列

一読した後、
たとえば、
踏み分け道、
という言葉が浮かんだ。

機能美、効用美、プラグマチックな存在美
はたらきかける力

author unknown 作者不詳という情報の影響が大きい。

アフォリズムが発言者個人の手を離れて社会で受け容れられて行くと、
受け容れる無数の人間の思いによって苔むした岩、
あるいは無数の人間の思いが歩いて行った街道のような
佇まいを帯びる。

13行の内容は、一貫して一人称 I を主語とする自己表白。

本来はある特定の個人(場合によっては集団)によって作り出されたもので、
その彼/彼女(ら)の名のもとに、彼/彼女(ら)に一身専属してもよかったはずのもの。

が、反対に、(少なくとも)ここまで、無名性のもとに受け継がれてきているということ。
つまり、発生は、社会集団の中での自然発生であり、
帰属先は社会集団全体=無数の無名の個人の集団とされていること。


文筆〔言葉の作品〕として見るなら、
文壇とかジャーナリズムというギルドを経ない/に属さない文筆。
ギルドの経済、名声その他特定の利益とリンクしない表現。


そういう意味では、個人が問題にならない。
でありながら、表わしているものは、まさに個人の生きる条件そのもの。
その感情、思想は、個々のわたしたちに語りかけ、
個としてのわたしを照らし、教え、諭し、浸す。
つまり、まさに個人が問題になる。


無名性から来る力。
それと時間の経過。

普遍性。


一言で言えば自由。

踏み分け道のような
自発、自生

荒削りだが、粗野ではない。
sauvageな繊細、端整。

風雪に耐えたという風貌。
たとえば岩の肌の
風雨の線条痕。

内容の点でも
文化の事実としての時間的な持続の点でも。

侵食され、しかし侵食されない
sufferingsによっても
時間の経過・歴史的忘却の危険によっても

spirit:人間の精神、の顔。


修辞の見事さ:ある種(知性の)したたかさ

その表わす思想の深さ:寛容と敬虔。


碑文 
比喩であり
比喩でない(碑の実在すると否とに関わり無く)

実際に、これは(人間)世界という岩の表面のどこかに刻み付けられた碑文。
洋の東西、宗派の違いなどは一切関係がない。

人間精神の産物。
spirit 生きて呼吸する魂の。魂の息遣いの音。



授かり、で統一してみようか、とも。


A Creed for Those Who Have Suffered

どう訳すか。


http://www.bartelby.com/73/1477.html

だれが付けたものか。作者か読み手(集団)〔社会〕か。

bartelbyの説明は、
本来無題のところに、
医療施設など引用者その他読み手が補足的に付加していったもの、と読める。

つまり、このタイトルは、自然発生的な呼称
何時とはなし、誰ともなしに、そのように呼びならわされてきたもの。

とすると、そこには、作者でない 読み手 引用者などの視点から、

1.この表白はあたかもcreedと呼ぶのにふさわしい性質のものであること
2.かつ、苦しむ者たちに向かってなんらかの働きかけをなしうる

というような評価が込められている
と理解できる。

creedはラテン語 credo(我は信ず)を語源とする、信仰表明、信条〔信経〕。クレド

仏教で言えば念仏か。しっくりくる語が思いつかないので、クレド(やや逃げの訳)、また祈りも考慮。

Those Who Have Suffered
苦しむ者・人、(比ゆ的な意味もこめて総称的に)病者

苦しむ人/病者のための/へのクレド
苦しむ人に 病む人に 病者に

かれらによって、なぞられ、共有されるわけだから、そのレベルも含めると

苦しむ人/病者のクレド/導き

病者の祈り/クレド 



作者でない第三者、または読み手・引用者の評価判断によるもの
本来無題の自己表白であるところに、
(後世)第三者がこれを読んで、
あたかも表白者自身のクレド・信仰告白のようであり、
かつまた、読み手一般に対しては、苦しみを抱えている人々へのはげましのように働きかける
と考えて〔評価して〕、
引用する際に、
苦しむ者のためのクレド
と仮にタイトルをつけた。

あくまで第三者たる引用者による、仮のタイトル。
作者本人は預かり知らない。

despite myself
このように貧しい私でも?
神に背く


achieve 自分を向上させようと

do better things 功徳を積む
無力を課され 無力にされ 神にすがるようにと

未整理・未了
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私訳 2010.02.16 Tue 08.31.10

2010-02-16 08:28:55 | 英語
A Creed for Those Who Have Suffered
苦しむ人に


I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
志を果たそうと、強さを祈り求めたが   
甘んじる謙虚さを学ぶようにと、ひ弱にされ

I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
偉業をなそうと、健康を求めたが
身近な善をなすようにと、病弱にされ

I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
幸福になろうと、富を求めたが
賢明であるようにと、貧しさを与えられ

I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
ひとの賞賛を得ようと、力を求めたが
神を望むようにと、無力にされ

I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
人生を楽しもうと、すべてを求めたが
今あるすべてを楽しむようにと、人生を与えられ

I got nothing that I asked for―but everything I had hoped for
求めたものはなにも得られなかったが
しかし、望んでいたもののすべてを得て

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
およそ私の意に反しながらも、私の無言の祈りは聞き遂げられた。
私はこの世で最も豊かに祝福されたのだ!


Author unknown(作者不詳)


***

http://www.bartelby.com/73/1477.html
As “A Creed for Those Who Have Suffered,” this has been used by rehabilitation centers. Adlai E. Stevenson used these lines on his Christmas card, 1955.
本来、作者不詳、無題の祈祷文だが、
“A Creed for Those Who Have Suffered,”(病者のためのクレド)のタイトルで、
リハビリテーション施設で見かけられる。
Adlai E. Stevensonは1955年のクリスマスカードに引用している。


***

教育テレビの福祉関連番組で見たことがある。
たまたまネットで見つけたので、試みに私訳。


疑義

A Creed for Those Who Have Suffered
どう訳すか


despite myself
意味、2通りありうるか


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モーツァルト K136 2010.02.10 Wed 06.14.53

2010-02-10 08:00:24 | 雑ログ(音楽他) misclogs(music etc.)
2010.02.10 Wed 06.14.53

モーツァルト ディベルティメントニ長調K.136
Mozart Divertimento in D Major KV 136
http://www.youtube.com/watch?v=jua7gqezWVY&feature=related

弦楽合奏もあるけれども、自分の好みは四重奏。
この楽団〔演奏家たち〕について何も知らないけれども、
珠玉の名演。

2,3楽章で退屈してしまう演奏も少なくない中、
これは飽きるスキのない、全編一貫した名演。

1楽章の反復の後長調から短調に移る02:01のためが、もう少しあってもいいかもしれない。
長短の落差〔モーツァルトマジック?ワールド?〕をもう少し際立たせても、と。

が、とにかくすばらしい。



info
楽曲
http://www1.harenet.ne.jp/~q9427m/K136.htm


演奏家
投稿者さんのinfoに

Gábor Csonka - 1st violin,
Viktor Uhrin - 2nd violin,
János Markó - viola,
Marcell Vámos - violoncello

とあるが、


Al Di Meola Libertango (Live 2004)
http://www.youtube.com/watch?v=CHJS3IJUR5E
のinfoの欄に
ビオラとチェロのメンバーが異なる
Sturcz Strings Quartet というのを見つけた。

Sturcz Strings Quartet(Strings Section)
Andras Sturcz (Cello)
Gyula Benko (Viola)
Gabor Csonka (1st Violin)
Viktor Uhrin (2nd Violin)

あるいはメンバー入れ替えによる新旧とか臨時編成の関係?

曲はタンゴ?
そのことでなく、ギター他の演奏にわたしはいまひとつ感応できなかった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ざつろく 2010.02.03 Wed 23.28.20

2010-02-03 23:56:36 | 雑ログ(音楽他) misclogs(music etc.)
2010.02.03 Wed 23.28.20

家事を終えて2階へ上がると、
火の気の無い部屋は尋常でない寒さ。

だからというのではないと思うけれども、
ふと、予報に雪(乾雪)とあったのが思い出され、

すこし気になって
-―おとといのは、湿雪、となっていた。
あの砂のような音で、湿雪というのなら、
乾雪は、どんな音をたてるんだろう、などと――、

縦細の窓を開け、網戸をずらして、外の暗がりに目をこらすと、

きのう一日もとに戻っていたはずのあたりの屋根が、どうやら、再び白くなっている。
注意して見ると、木の葉もそう。
(こう暗いと、自分の視力では、下の地面の様子まではわからない。)

空中に白いものが見えず、音も聞こえないようなのは、
夜になって、知らぬ間にひとしきり降ったあと、
今は止んでいる、そういうことなんだろう、と思う。

下りていって、玄関なり、台所なりから確かめてもいいのだけれども、
上がってきたばかりなのと、2日前と同じことを繰り返すのにそんなに興が乗らないのとで、
腰を上げないつもりでいたのが、
今、入力中に、軽い頭痛と寒気がしているのに気づいたので、
下へ行って、薬を飲まなければならなくなった。

下に行けば、結局、
たぶん、2日前と同じように台所のドアを開け、同じように外の様子をうかがうことをするだろう、と思う。
あるいは、ちょっと玄関先に出てみるなど。

住んでいる場所柄、こういうものを、この目や耳で実際に触れることをせず、みすみすやり過ごしてしまうのは、(ひととして)損、また愚だ、
という感覚。
一種、幼児性――。

Mais content.
Je suis très content.


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪 2010.02.02 Tue 07.51.11

2010-02-02 07:51:11 | 20m walk photos 10
2010.02.02 Tue 07.51.11 0650 0488
大きな画像 larger 1000 0750

より大きな画像 largest 2048 1536

サンダルばきで庭に出て、
光不足の手ぶれにおびえつつ(補正機能のついてない悲しさ)、
その分手間取って、体を冷やし、靴下をぬらしながら。

道路の方で声がしだしたのは、
黄色い帽子にランドセルの、グループ登校の連中だろう。
落ち着かな気な調子が混じるのは、そこらの雪を手に取ったりしているのか。

寝不足気味のところに、濡れた足が冷たく、体も冷えた今、
かれらの気配にそんなに感情移入はしない。
それに、どこか、子どもにありがちな、興奮を持て余しているような耳障りな響きも。

とは言え、雪を前に、かれらもおれと同じ、
いや、おれが、かれらと同じなのか。



投稿 2010-02-06 Sat 07:49:03。
画像整理の都合を優先して、
後日、投稿日時を撮影日時 2010.02.02 Tue 07.51.11 で設定し直しました。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪 2010.02.02 Tue 07.36.32

2010-02-02 07:36:32 | 20m walk photos 10
2010.02.02 Tue 07.36.32 0650 0487
大きな画像 larger 1000 0749

より大きな画像 largest 1968 1475

朝、なんでもいいから、ゆうべ雪が降ったことの証拠に、と。

ここら県南では、おそらく初積雪。




投稿 2010-02-03 Wed 01:15:40
画像整理の都合を優先して、
投稿日時を撮影日時 2010.02.02 Tue 07.36.32 で設定し直してあります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ざつろく 2010.02.01 Mon 19.10.56

2010-02-01 19:49:34 | 雑ログ(音楽他) misclogs(music etc.)
2010.02.01 Mon 19.10.56

少し前、勝手口から体半分乗り出して、外の様子をうかがうと、
夜目に、暗緑の芝草の表面がまばらに白いのと、
伸びた植木の葉茂みのあたりで、絶えず水のしたたり落ちる音がしているのがわかった。

さらに耳をすますと、別の、乾いた細かな音も聞こえる。
砂粒かなにかのような、と思いながら、しばらく暗がりに目をさまよわせて、
たぶん、雪が、たとえば木の葉に当たる時のそれだ、と考えた。

物音、の魅力、というものがある、と思う。

La musique de bruit ou le chant de bruit.

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする