・・・ずっと空いていた隣のベッドに、今日、新しく人が入ってきました。
姿は見てないのですが60代以上でしょう。具合はかなり悪そうです。
奥様と2人で来てたのですが、「もう帰るから。」「まだ何かあるの?」などと、
手続きが終わり次第、帰りたがる付き添い妻。
その後、ベッドに訪問する看護士や医者との話を聞くと、どうやらすでに終末期で
治療というよりは、痛みコントロールを中心とした入院のようでした。
さらに、有事の際の連絡網の確認など、縁起でもない話がどんどんと飛び交う。
まず最初に妻の携帯に連絡して、続いて息子の携帯に・・・。
今はその方は付き添いの奥様も帰り、一人になってベッドに横になっています。
眠りにつきたいにも痛くて寝つけず、寝返りが苦しそうです。
その時、ふと考えてしまいました。この人にとって「生きること」って何だろって。
恐らく治ることのない状態、この先良くなって家に帰るのも難しいかも知れません。
知る人の誰もいない、自宅からも距離のある病院のベッドで一人、
食事もとれない、ゆっくり寝ることさえもできない、でも生きていかなくてはいけない。
奥様もきっと、最初からこんな感じではなかったんだと思います。
長い闘病に身も心も生活も疲れて果てている様子が、容易に感じ取れました。
そして、そこで「自分はどうなんだろう。」と我に返ってしまい、
情けないことにそれ以上考えるのが怖くなってしまいました・・・。
何の為に今、このツライ状態を我慢しているの?
ずっと病院から出られない、家族にも苦労をかけてお金ばかりがかかって・・・
でも「生きてさえいれば」いいの?
この先、充分な仕事に復帰できるかどうかもわからない。
そんな中、この状態でこの先、僕の「生きる」ってことが何かをしっかりと考え、
残り限られた時間の中で、それを積み上げて行かなければいけない。
色々ある中で間違いなく一番大切なことは、家族。
彼らのために、残された時間をどう使うのがいいのかを考えて、実践していきたい。
今ならまだ動ける。これ以上後悔しないためにも・・・。
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