あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「相対性理論の第1発見者は、お釈迦様だった。」という話。。。

2019-12-13 00:00:10 | 日記

発見ではなく既存の法則を説明しただけですね。

つまり説明できるほど悟りは高かったということです。

宇宙を創造された神様がその法則を作られたのであって、後の人類はそれを発見しただけであるのです。

そして理解出来る人になるんは、悟りを深め広げなければ理解できないのですよと

お釈迦さまが説明されたのです。

 

理想国家日本の条件 さんより転載です。

数学 特殊相対性理論-写真素材

「相対性理論の第1発見者は、お釈迦様だった。」という話。。。

https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/4e467fdd37d021514f100ee702880c26  

幸福の科学高知 なかまのぶろぐ ばくちゃんより

本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

さて、皆さまは、神様仏様のご存在を信じていらっしゃるでしょうか。
宗教と言えば、なんだか時代遅れのようなイメージがあるかも知れません。
しかし、今では万能と言われる科学は、元来は、「宗教を説明するためにできた。」と私は思っております。
その証拠に、ガリレオ・ガリレイ然り、ニュートン然り、アインシュタイン然り、湯川博士然り、超一流と言われる科学者は、
皆一様に、神仏を信じていたからです。

「アインシュタイン 湯川博士」の画像検索結果

日本初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士と語るアインシュタイン博士 1953年6月 米国・プリンストン高等学術研究所

仏陀やモーセやイエスキリストといった、偉大な宗教家が説いた神や人間、そして神が創った宇宙やこの世界を、
万人に理解できる形で説明するのが科学。
これが幸福の科学の基本的立ち位置だと、私個人としては認識しております。
そして幸福の科学的に言えば、宗教と科学は対立せず、むしろ補い合う形で、幸福の科学の教えの中では、融合している
スタイルなのですね。

私が思うに、科学では、原因と結果が重視されますが、仏教でも「因果の理法」や、「縁起」を重視します。
因果とは、「親の因果が子に祟り。」と言われて、なんだかあまりよろしくないイメージがあります。
縁起も、「縁起が良い。」とか、「縁起が悪い。」とか、日本では日常言語にもなっていますが、これらは仏教用語です。
因果とは、原因と結果です。
縁起とは、原因と結果を結びつける、中間因子のことです。

たとえば、マッチ一本火事のもと・・・ですけれども、マッチ一本あっても、燃え広がるためには、新聞紙のように、
何か火を大きくする媒体が必要ですね。これが「縁」です。

「袖振れ合うも、他生の縁」と申しますが、こういう「縁」を媒体として、結果が起こることを称して「縁起」と言います。
このように、さまざまな事象を、原因と結果に基づいて分析していくのが仏教のスタイルですが、これは、
科学の分析スタイルと同じなわけです。

仏教の祖師お釈迦様は、科学者でもあるわけですね。
仏教の代表的なお経で、般若心経(はんにゃしんきょう)の一節では、色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)
という有名な文言がございます。

色(しき)というのは、仏教的な解釈では、「目に見えるもの」ですので、これは物質と解釈できます。
空(くう)というのは、これはさまざまな解釈がありますが、「色」との対峙で、「目に見えないもの」と解釈可能ですね。
無(む)という概念も仏教にはありますので、空は「目に見えないけれども、存在するもの」という概念だろうと思われます。

「目に見えるものは、すなわち、目に見えないものと同じだ。」

直訳すると、なんだか訳がわからない文言でございます。(笑)
しかしこの「空」を、仮にエネルギーと解釈いたしますと、様相が一変するのですね。

色即是空は、アインシュタインの「特殊相対性理論」の有名な公式、「E=mc2」同じだと言えるのです。
特殊相対性理論とは、あらゆる物質に含まれるあらゆるエネルギー(E)は、質量(m)×光の速度(c)の2乗という
数式で説明したものです。

つまり物質(色)は、光の速度を2乗しただけの、エネルギー(空)を内包しているということです。

現実にこの理論をもとに、原発などは稼動しているのですね。
ということは、「特殊相対性理論の第1発見者は、2500年前のお釈迦さま。」こういう言い方だってできるわけです。

そして少なくとも、2500年前のインドの人々は、このお釈迦様の説法を聞いて理解できた、もしくは、
信じることができたということは、般若心経が残っていることから事実だということです。

何が言いたいかと申しますと、宗教とは決して、未開の人類が、苦境から現実逃避するために作り出したものではなく、
元来は高等な学問でもあったということです。
そして釈尊がいらっしゃる当時のインド社会は、高度な知的な会話がなされる、教養深い社会であり時代であった
ということです。
つまりは、宇宙や世界、そして、人間と人生における真理の探究が、宗教の本質の一つであるということです。

真理とは、わかりやすく言うと、「誰が見ても、どこから見ても、いつ見ても正しいこと」です。
その真理の追究において、科学も哲学や諸学問も変わりはないし、そのたどり着いた真理に基づき、それを理想と
することで、芸術や文明ができてきたことや、宗教が理想とする社会を築こうとする、具体的な施策こそが
政治だということです。

真言密教のマンダラ(多次元宇宙論とも言えますよね。)


ですから私は、現代において、そして未来に向けて、皆様に勇気を持って、神仏を信じていただきたいのです。
その皆様お一人お一人の勇気を、このブログでお助けする一助になればと、私は心より願っております。

本日は経典『神秘の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、近代の科学文明を予見した天上界による、
神秘主義の流布計画について書かれた一節をご紹介いたします。

              (ばく)続き https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/4e467fdd37d021514f100ee702880c26  

 
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