ほわほわ♪ ~ワクワク・幸せを今ここで~

「今ここ!」を探求しつつ楽しんでいます。(^^)v

仏教と常識力の授業に感謝!

2018-08-21 18:43:37 | 日々のあれこれ
今日は、ある探し物を朝から必死になって探していました。
が・・・見つからず。


そんな中、メールを開くと編集長から確認のメールが入っていました。

1213年5月2日の和暦の確認です。

市からの出版物を見て書いたのですが、他の情報では違うようだ、と。


調べてみますと鎌倉時代の1213年(グレゴリオ暦)は、建暦3年と建保元年にまたがっています。

休みの長女が、

 「天皇調べればいいんじゃない?」

た・たしかにそうだ。。。


天皇を調べてみると順徳天皇になっています。

でも、順徳天皇は、承元4年11月25日(1210年12月12日) - 承久3年4月20日(1221年5月13日)。

承元・建暦・建保・承久と4つの和暦にまたがっています。

 「どうも、今のように天皇の交代と元号はどうやら違うみたい」

と言うと、

 「飢饉かなんかがあって、変わったんじゃない? 昔はそうだったみたいだから、飢饉を調べてみれば?」

と再アドバイス。


高校でけっこうまじめに勉強していたんだ~(←長女)と今知る母。


そこで感心したものの飢饉を調べるのは面倒なので、建暦と建保の境目の日にちを調べました。

いくつかの情報をあたり、建保元年は、1214年1月25日からだとわかりました。
それも建保元年は、25日間だけ。


ということで、わたしの記事の和暦は、建暦3年で間違いなさそうでした。


こんなことを調べて楽しめるのも、記者活動のおかげです。

そんなことがなければ、鎌倉時代のことなど調べないでしょうから。


ただ、学生時代の勉強は娘に負けたな・・・と思いました。
ちょうど昨日、高校の話をしていたのです。


娘の高校には、仏教とか常識力とかの授業がありました。

 「ヤバかったんだよ。常識力の授業の時に、私もびっくりの『おいおい、そんなの選ぶか?』レベルの生徒がいっぱいだったから」

授業で習った常識力は、就職してからもずいぶん助かっているようです。




また、看護師の娘の部署は重い病の方が多く、旅立たれる方も少なくないようです。
そこで生きたのが、仏教的なものの観方だったよう。




いろいろあった高校時代とはいえ、それなりの生きた勉強ができたということで、やはり何事も必然かも~と思えました。


にほんブログ村

ワンクリックで、幸せエネルギーが世界中を駆け巡る設定にしてあります



コメント (3)    この記事についてブログを書く
« 「子どもは大人の使命に気付... | トップ | 参加型テレビ番組を初体験 »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
和暦年号 (osamu)
2018-08-22 05:51:36
お嬢さん 素晴らしいです! 私はお手上げですね。

江戸幕府がぺリーとの交渉で一番 困ったのが西洋歴と和暦の違いのようでした。そこらの話の出る ところは本を読んでもサッパリでした。

今も同じです。 
返信する
建歴~建保の改元 (osamu)
2018-08-22 06:48:18
>建保元年は、1214年1月26日からだとわかりました<

これは1213年 12月 6日が改元ではないでしょうか?

このコメントはすぐに削除願います。でしゃばり しまして すみません。

私の資料の本は「日本史年表」 昭和61年度判です。初版は昭和37年  河出書房 
返信する
和暦年号 (すずか)
2018-08-22 09:22:31
osamuさん、コメントをありがとうございます。
おかげさまで、娘も成長したことを今更ながら感じました。


暦のことですが、西洋暦もグレゴリオ暦とユリウス暦の二つがあり、それに和暦が加わり、わたしもかなり翻弄させられました。

調べますと、ネット上の資料も日本史年表などの文献も様々で、混乱しているようです。

建保元年12月6日は、グレゴリオ暦で1214年12月25日のようです。(わたしも混乱し、26日と書いてしまいました。)

暦の年数だけでなく、日にちも違うのでややこしいですね・・・。

今日、最終確認をして記事になります。
ありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

日々のあれこれ」カテゴリの最新記事