紫陽花記

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ショートストーリー

『歩数計』短編小説

2016-12-23 14:22:24 | 小説
歩数計

                
「いやぁ~まったく、ウチの社長には叶わないよ。営業中どれだけ働いたかを見るために歩数計を着けろってさ」
 ダンス友の井坂さんちの息子、満君が言った。
「え? 歩数計?」
「うん。お客とどれだけ踊ったかを歩数で割り出すつもりらしい」
 私は「なるほどねぇ」と言って爆笑してしまった。
「そっちがそっちなら、こっちもこっちで知恵を絞るしかない。ま、出来るだけ頑張るけどね」
 満君は大学生。アルバイトでダンスホールのアテンダントをし始めた。大学ではソシアルダンスサークルに所属していて、競技会へ出場する資金とプロの指導を受ける資金を稼ぐためのアルバイト。私は、少しでもその役に立ちたいと、週一程度「ダンスホール・ジャイブ」に通っている。井坂さんは、流石に息子の客になるのは嫌だと言って来ない。満君がちょっと不満顔をしながら、腰につけた歩数計を私に見せた。
「あはははは。どう知恵を絞るつもりなの」
「考えはあるんだ。社長の気づかない方法」
「ふぅ~ん。おもしろいわぁ」
 満君がしたり顔で頷いた。
 
 満君が勤務するダンスホールの開店時間は正午。開店と同時に女性客が次々と入る。私も良い席を確保するため、早めにいつも入店する。ビルの四階にあるホールは略真四角。それほど広い空間ではない。入口から左側に食器棚などの備わったカウンターがあって、バーテンダーが一人詰めている。そこからL字に客席が壁際に沿って設えていて、一方の壁面は全面鏡張り。一方は通りに面した窓。四階なので中の様子は外からは見えない。そして残りの一方にはトイレや更衣室、ダンスウエア展示コーナーなどが設けられている。
 
 正午きっかりにドアを開けると、ダンス曲が程よい音量で流れていた。私は、右から二卓目の椅子に腰を下ろした。数人いるダンサーが右側から順番に、また左側から順番に女性客に手を差し伸べる。満君も先輩ダンサーに習って女性客の手を取った。男性客も数人いた。ウエートレス兼ダンサーの女性目当てに来店するらしい。どのダンサーも、お客様の大切な時間をより楽しんでもらおうと、ダンスの相手をするという仕事を惜しむことなどないほどに、お客様のレベルに合わせてリードしているように見えた。
私は、ダンサーたちの腰を見た。皆同じ形の歩数計を着けている。踊れば一歩ずつ確実に数字が増えていくはずだ。音楽に疎い私なので、スタンダードA級選手のT氏に聞いたことがある。
「キツネの歩きというスローフォックストロットは、SQQで3歩。1分間に29小節116拍。チャチャは、234&1で5歩。1分間に31小節124拍。昔はスロー30小節、チャチャ33小節でした。ルンバの1拍休みも特徴ありますよね。ルンバ、チャチャの拍子が取れない人の多いこと。日本人は1234を1と3で取りますが、外国人は2と4で取りますよ」とのことだった。そのような説明も疎い私の頭には入って来ないし、ましてや、体が言うことを聞いてくれない。そんなことを考えているうちに私の番になった。満君が意味ありげに含み笑いをした。私はちらりと歩数計に目を移した。

 客が次々と入ってくる。十あるテーブルが略空きが無くなった。四人掛けだから四十人近い客。殆どが現役引退したような年頃と見える。男性はダークなスラックスに襟付きのシャツ。女性は皆華やかな衣装を着ている。とても外を歩けるような身なりではない。私も、満君に少しでも近づきたいと、目いっぱいの化粧をし、なるべく可愛く見える衣装を着ている。
「ね、いつもこんなに混むの?」
「うん。僕がいる土曜日はいつもこうだけど、他の曜日はどうか分からない」
「そっかぁ。きっと、若い子がいるわよ、という噂で、みんな満君に踊ってもらいたくてくるんじゃあない」
「そうかな」
 きっと、そうに決まっている。熟練したダンサーに踊ってもらうのは勿論夢心地だが、若い子には元気がもらえるもの。私もこの頃は腰の痛いことも無くなったし、背筋も伸びた気がする。

 曲は、スダンダード曲のワルツ・タンゴ・スローフォックストロットが流れ、そしてラテン曲のルンバ、チャチャチャやジルバが流れる。客の大半が高齢者ということもあって、皆がスタンダードとルンバなどを踊りたがる。早い曲に乗れないからか、それとも心臓や足腰に負担がかかるからか? チャチャチャやジルバは敬遠される。そのラテンのチャチャチャやジルバ曲の時は、踊りたがらないのを見越して、ダンサーたちの細やかな休憩タイムとなる。私は、もしかして不整脈の心臓が突然止まるかもしれないなんて頭を掠めるが、それも寿命なのかもと覚悟して、毎回踊っている。だから、なんでもござれの状態だ。
「オカのおばさん、ジルバの曲だけど踊る?」
 二度目の満君と踊る番になった。満君は、絶えず腰を左右に振っている。踊ろうよ。という意思表示なのかと思ったが、これが歩数を稼ぐ奥の手らしい。満君が私の苗字の半分を通称として使っていることを知っていて、私を「オカのおばさん」と呼ぶ。私は満君に手を取られて踊りだした。何といっても若い子のエネルギッシュな踊りは、おばさん世代には憧れであり、元気の源になる。私は、必死の形相を笑顔で隠し、満君のリードに従った。

 ホールのドアが開き、白髪の男性が入ってきた。ホール全体をぐるりと見廻した。素早く客数を数えている様子。そして、満君や他のダンサーの動きにも目を移していった。男性が二つあるカウンター席の奥側の椅子に腰を下ろした。バーテンダーがすかさず、緑色の飲み物のグラスをその前に提供する。たぶん常連客なのだろう。二言三言バーテンダーと話していたが、一番端に陣取っている女性客に近づいた。「踊っていただけますか」とでも言ったのだろう。女性客が立ち上がり、男性と踊りだした。男性がぎこちないリードを繰り返している。曲が終わると、女性がお礼を言って男性から離れて席に戻った。様子を見ている私と目が合った。両目を瞑ったのを見ると、不満足だったと伝わってきた。
 
「あの男性、よく来るの?」
「あれが社長さん」
「えっ、そうなの、まだあまり踊れないみたいね」
「うん。だけど、来てはお客さんに踊ってもらっているよ」
 満君がワルツのリードをしながら小声で言った。満君は、流石にまだダンス歴は短いが、シッカリとした基礎が出来ているらしく、ベーシックの足型でも十分に楽しめる踊り方をする。私は、今日もぐっすりと眠れそうだと思った。

 私は、社長さんが気になってきた。数種の商売をしているとのこと。その上、ダンスホールを経営し、自分もダンスの世界に踏み込んだこと。歩数計をダンサーに着けさせる抜け目のなさ。ぎこちなさもそうだが、びっしょりと汗をかいてリードしている真剣そのものの表情。情熱と言うか、幾つになっても忘れてはいけないモノを見たような気がした。
 また社長さんが先ほどの女性客に近づいた。女性客が私の目を見た。私は笑いたいが唇を強く結んで堪えた。女性がゆっくりと立ち上がった。社長さんが嬉しそうに手を取った。あの女性は断ることの出来ない優しい人らしい。きっと、社長さんも優しい人に勇気を貰いながら、ダンスが上達していくことだろう。

 社長さんがまた同じ女性にお相手を申し込んだ様子。だが、女性は立ち上がらない。社長さんは落胆したような表情を浮かべ、フロアーの別の女性客にお願いしようかと客席を見回した。私は、靴紐を直すような仕草をして、下を向いた。
「あの。お願いします」
 顔を上げると社長さんが優しい笑顔を作って手を差し伸べていた。私は一瞬、あの女性を見た。女性が両手を合わせた。やはり優しい女性なのね。分かったわ、では。私は立ち上がり社長さんの前に進んだ。やはり社長さんも歩数計を着けている。ん? 何のために? 従業員管理だけではない目的があるのかな?……。自分の健康管理かもしれない。社長さんは、一生懸命天井を睨み、習ったステップを間違えないようにしようとしている様子。フウフウと息遣いが聞こえてきた。余裕のなさが腕に力を必要以上に込めている。私は少しばかり優越感を味わいながら、まだまだ自分もレッスンを続けなければと思ったりした。

 私はソシアルダンスと歩数計が気になっていた。インターネットで調べてみた。沢山ある記事の中に「社交ダンスではあまり歩数計は役に立たない。 ワルツでは三歩に一歩しか反応しない」と。どこかのダンス教師の談話が載っていた。この記事が本当なら、満君たちの着けている歩数計は正確な歩数が出ないことになる。ダンスを習い始めたころ、同じサークルの男性が、「今日は七○○○歩だったよ」と歩数計を見せてくれたことがある。レッスン時だけの歩数なのか、それとも一日分の歩数なのか定かではない。確かあの時は、一時間の団体レッスンで、後の一時間がフリータイムで踊った記憶だ。喫茶店主として働いていた頃なので、レッスンの翌日は、半日足に疲労感があった。それでも週二回のレッスンを受けたおかげで、現在、こうして健康維持とボケ防止に役立っている。

 私は、今度満君に会ったなら、ダンサーとしての勤務時間内の歩数はどの位なのか聞いてみようと思った。

「とある日のこと」春水

2016-12-06 07:53:56 | 「とある日のこと」2016年度

次々と春水浴びる地蔵尊(つぎつぎとしゅんすいあびるじぞうそん)

 旅友に付き合って、東京の巣鴨へ出かけた。通称、おばぁちゃんの原宿とも呼ばれている巣鴨地蔵通り商店街。歩いている大半はおばぁちゃん。我が身も友もその態。
まずは、身代わり地蔵尊が祭られている高岩寺へ。本堂の前の大きな香炉から盛んに煙が立ち上っていた。友がすかさず、頭に浴びるようにその煙を掬い頭へ振りかけた。「ねぇ、よそ様の奉納した線香の煙を頂いたのではご利益は無いんじゃない」とっさに私の口から出た言葉。信仰深い訳ではない。友が少し怪訝な表情をしたが、門の脇にある売店で一束五十円の線香を買った。私も買う。店に設置されている火を点ける用具で火をつける。私も友も、煙る線香を香炉に投げ入れた。友が思う存分全身にその煙を頂く。私は、歩くと少し痛い右膝に。そうだ、心臓も悪いんだっけ。あっ、呆けないように。などと、結局は全身に線香の煙を誘導する。
本堂にお参りし、身代わり地蔵尊にお参りする。身代わり地蔵尊の前には百人ほどが並んでいる。皆、白いタオルを持っている。以前は、身代わりを願う体の部位を、地蔵尊の同じ部位を束子で洗ったそうだ。石の地蔵尊の体はいつしか痩せ細ってしまった。代替わりした地蔵尊になってからは、束子の代わりに「タオルを使用してください」と書いてある。ところが、百円のタオルを買わず、素手で洗っている参拝客がいた。地蔵尊の維持費などを捻出する浄財となるだろうタオル。ご利益の有無は分からないが、その一枚分の金額も惜しむ人もいる。
 参拝後、友が「赤いパンツを買いたい」と言う。商店街に店舗全部が真っ赤な店がある。下の健康を願う赤い下着が飛ぶように売れているそうだ。ご利益のほどは分からない。



恙無き日々のひと時水温む(つつがなきひびのひとときみずぬるむ)

「ウチのばぁちゃん、一ヶ月と七日入院していたのよ」
 何十年と付き合いっている茶飲み友達のSさんが言った。
「気にはなっていたのだけど、年齢が年齢だから、電話しにくくって」と私。
「やっと退院したのよ。毎日、日に三回病院へ行って、寝たきりにならないように看病したわ。病院の看護師たちは忙しいから、どうしてもベッドへ寝かせておくでしょ。だから、行って、起こして、ベッドから車椅子へ移動させたり、病室以外の空気を吸わせたりしたのよ」
月に一、二回我家で四方山話をしながら、昼食を共にする間柄のSさん。九八歳になる母上が肺炎で入院していたそうだ。私は、身体障害者で病弱だった長男の入院時を思い出した。入院中は、日に二回病院通いした。食事の世話や気分転換の車椅子を押しての散歩など、見送る間際まで何度も経験した。
「家に帰ったら、食事も自分でできるようになったし、近所の人たちが来てくれるので、ずいぶんと元気になったのよ。やはり自分の家が一番いいんだわね」
 Sさんがしみじみと言った。
「朝は、起きている? 寝てんの? と、声を掛けて起こすのよ。まだ死なないでよ。というと、まぁだ、死なないよ。と答えるから、一安心しているのよ」とも言う。
 実の母子だから手厚い看病が出来たのかもしれない。看病疲れも出ているらしいSさん。淹れた熱い珈琲を飲み干し、Sさんが買ってきた弁当の蓋を開けると、微かに温みが残っていた。



昨日より今日より明日の芽立かな(きのうよりきょうよりあすのめだちかな)

 皇居乾通り解放のこの日旅友と上京した。日曜日とあって、東京駅から大勢の人々が我等と同じ方向を目指す。内堀通りを歩く。皇居外苑の沢山の松が、日本国らしい風情で花曇の空に美しい。外苑を二重橋の方向まで大きく迂回して坂下門へ向かう。玉砂利は歩きづらい。「手荷物検査とボディチェックにご協力ください」と、アナウンスが流れる。ベルギーで同時テロがあったばかり。厳重な警戒は当然。リックを下ろし中身を警官に見せる。次に女性警官が、金属探知機で私の体の前後を撫でる。友は、ポットに入った持参の飲み物を「一口飲んでみてください」と言われ、飲んで見せた。
 坂下門は何者も寄せ付けない重厚な造り。門を潜り蓮池濠に沿った乾通りを歩く。沢山の樹木。江戸時代の城壁。宮内庁舎。宮殿。局門。門長屋などなど。眼はたぶん皿のようになっていただろう。残念ながら桜は三分咲き。乾門までは行かず、西桔橋を渡り東御苑へ。天守台へ上ってみる。そこから見る本丸のあった場所は広い広場となっていた。その昔の様々な出来事の名残は、案内の看板や石碑などで思い起こした。東京のど真ん中のこの空間で、徳川将軍家の権力の大きさを実感させられた。何よりも延々と続く石垣の美しさに魅了される。どれだけの人力を使って出来たのか。
 大手門から外に出れば、再び入ることは出来ない。名残惜しい気もする。
桔梗濠に沿って東京駅に向かった。一万歩以上歩いた。左足首が痛くなってきた。友が「どこかでお茶しよう」と提案。新丸の内ビル一階のカフェに入る。



母の日やぽつねんと座す小さな背(ははのひやぽつねんとざすちいさなせ)

 母が八七歳で亡くなってから二六年になる。母の日に感謝を表すことを何一つ出来ないでしまった。母の思い出と言えば、仕事の途中で実家に電話した時のことを思い出す。
「あきのさん、げんきですかぁ」と、私。
「今日も一人だぁ」と、母。
「そう。しかたないねぇ」と言いつつ、涙を堪える。ぽつねんと居間の座卓の前にいる母の姿が思い浮かぶからだ。孫も大きくなり、若い手等は仕事に出ている。一人残ったがらんとした家に、テレビ音だけが寂しさを緩和させている様子が、手に取るように伝わってくる。せめて、ひとしきりの慰めにでもなればと電話をするのだが、長く続ける話題もなかった。
 特に近年は老境の母の心境が分かるような気がする。現在の私は、七人家族の中に居る。もう少し三人の孫が成長したなら。または、夫がこの世から居なくなったなら、などと想像すると、「今日も一人だぁ」と言った母と同じ状態になるだろう。足腰は弱くなり、外出もままならないとしたら。友達も同様に老いていることだろうし。
 一人ぽつねんとしていた母に、あの時、もっと何か、楽しくなるようなことをしてあげられなかったのだろうか? 
 唯一親孝行らしいことをしたと思うのは、シルバーカーを買い送ったことだろうか。母は買い物に行ったりする時使ってくれたらしい。その姿を見ることはなかった。遠方に居て喫茶店を営みながら、長男の介護をした多忙さに、母を思う暇も無かった。



常逃れ真田の里の桜かな(つねのがれさなだのさとのさくらかな)

『上田城千本桜まつり&小諸懐古園の桜』の日帰りバス旅行をした。
 窓外の山河は新芽が萌え出でて、淡い色彩の心休まる風景が続く。特に、雑木の山に点在する山桜が一層美しい風景を醸し出している。何本もの河原に群生する菜の花にも癒された。
 上田城址公園に着くと、NHK大河ドラマ「真田丸」の赤い幟が並び、新緑と桜と花曇の空に賑わいを見せていた。上田城は自然の地形を利用した石垣の少ない強固な城。天正十一年真田昌幸により築城された。二の丸橋を渡ると大勢の観光客がいた。「信州上田真田丸ドラマ館」の前には上田城真田茶屋。様々な食べ物を提供している。その前は休憩場所となっていた。
桜は満開。濠端の桜と東虎口櫓門の、黒光りする建物と相俟って溜息の出るほどの美しさだ。東虎口櫓門前の石垣には、真田信之が松代移封の際に、父の形見として持ち去ろうとしたが動かなかったという伝説の、直径三メートルの大石が当時のままにある。
本丸跡広場の左に真田神社がある。桜まつりを盛り立てて神輿が現れ練り歩いた。
昼食は「真田丸弁当」。当地名物のおやきが入っていて、六文銭の焼印が押されていた。
 小諸懐古園は一回り小さな空間。こちらも自然の要塞という地形にある。丸みのある自然石の石垣は苔むしていて、歴史の長さを感じさせた。園内には歌碑や句碑などが点在している。多くの文化人に愛されているようだ。こちらの桜は七、八部咲き。懐古神社があった。馬場の桜と天守台からの桜が、空を覆いつくすような景観を作っていた。
動物園を併設している。子供にも大人にも楽しめる懐古園であった。