紫陽花記

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「とある日のこと」孫の秋

2016-07-13 06:43:43 | 「とある日のこと」2016年度


けんけんの上手になりし孫の秋
(けんけんのじょうずになりしまごのあき)

中学二年生の孫息子がサッカーをしていて足首付近を骨折したという。ボールを蹴るとき地面も蹴ってしまったようだ。全治三ヶ月くらいかかるとの診断。スポーツに怪我は付き物というが、それが一番の心配事でもある。八月中旬の怪我なので、現在三週間は経ている。今日風呂に入るために階段を下りてくるのを見ると、一歩ずつ松葉杖を突きながらユックリ下りてきた。大分良くなったらしいが、まだ当分は松葉杖を使うしかないのだろう。

 四十年前、息子が小学三年生のときに骨折したことを思い出した。自転車に乗って遊んでいる時。両手両足を自転車から離し、ヒーローのように坂道を颯爽と下りるつもりだったようだ。タイヤは細かい砂利に斜めに滑り、交通標識のポールに向かって行ったそうだ。向う脛をポールに打ち付け、歩けなくなった。あの時は松葉杖もすぐには使えないほどの怪我だった。

一日牽引して折れて重なった骨を正常な状態に戻し、石膏で固めた。骨折した脚を伸ばした状態なので、尻で移動する。学校へ行かれなかった期間は二ヶ月ほどだった。毎週一回母親の私が学校へ行き、担任から勉強の進み具合を聞き、遅れないように勉強させた。ようやく松葉杖で学校へ行けるようになって、自力で歩くまでには、やはり三ヶ月かかった。

 サッカー少年の孫息子。毎日のようにボールを蹴っていた足。暫くは身体を休めて、後遺症のないように、シッカリ怪我を治してほしい。夏休み中盤での怪我。休み明けには、母親の車で送迎し、松葉杖使用ながら学校へ行ける。思うように動かせない身体でも、イライラすることも無いだろう。




かりがねや企業戦士の旅鞄
(かりがねやきぎょうせんしのたびかばん)

「ただいま帰りました」息子が声と同時に顔を覗かせた。
「おかえり。無事で何より」
「うん。シカゴでもゲリラ豪雨に襲われたよ」
「まぁ、そうなの」地球規模で温暖化の影響があるようだ。
大きな旅行ケースを持ち上げ二階に向かう息子。私は、安堵のため息が自然と出た。

 息子が米国のシカゴへ向かったのは一週間前。茨城県や宮城県、栃木県などで豪雨での水害が起きた翌日。特に、茨城県常総市を流れる鬼怒川堤防の決壊は、多数の家を流し、床下、床上浸水被害や、取り入れ前の田畑を泥水で覆う、大きな被害となった。

そのような世情の中を旅立った息子。「無事に仕事をさせて頂き戻らせてください」と毎朝仏壇に向かい、阿弥陀様や有縁無縁の仏様に祈った。また一週間もすれば、今度は欧州へ出張の予定だと言っていた。無事を祈りたい。日本の国会では、「安保法案」で揺れていた。賛否の声はそれぞれに高いが、母なる私は、家族の健康と無事を祈るのが常である。

 欧州では、シリア難民のニュースが大きい。国が違えば恐ろしいほどの迫害や争いの中を潜り抜けなければならない。子を抱き、手を引き、安心して暮らせる場所を探しての命懸けの大移動。その難民となるにも経済力がないと出来ないとか。

地球上の何処に生まれるか、どんな環境に生まれるか、どのような両親の下に生まれるか、神のみぞ知ること。どのような状況下でも母親は子を思う。いや、父親もそうだと思う。




ぎしぎしと身の内の鳴る寒露かな
(ぎしぎしとみのうちのなるかんろかな)

ベッドの台に左足指をぶっつけて一週間が経った。打撲にしては痛みが無くならない。骨折か、ヒビが入ったものと覚悟して整形外科医院を受診した。

レントゲンを撮った。写真を見ながらの先生の説明。
左中指の第一関節の小さな影を指して、
「骨は白く映ります。ここに黒いところがありますね、骨折していますね。変形はしていませんから、そんなに心配はいりません」とのこと。
「どのくらいかかりますか?」
「飛んだり跳ねたりしなければ、一ヶ月くらいでしょう」
思わず笑ってしまった。踊りたい私の心境を見透かしてでもいるような言葉だ。

 ここのところ体調は良く、週二回もソシアルダンスパーティーに参加していた。身体の柔軟さは以前より良くなった感じがするし、難しいステップは出来ないまでも、それなりに楽しめていた。ダンスウエアはネットオークションなどで数枚手に入れた。オークションの入札の競りが面白くて買い溜めてしまった。クローゼットに隙間が無い。

 脳裏を掠めたのは、自分の身に何か起こるような予感。調子に乗りすぎていることへの警告があるような気がしていた。「ほどほどにしないとねぇ」
骨折が寝たきりになる原因だと言われている。毎日暮らしている部屋なので油断は勿論、大きな事故に繋がるなどと考えもしない。充分気をつけなければならない。




残生の波間漂う冬至かな

(ざんせいのなみまただようとうじかな)

「ご主人に次期の区長職をお願いしたいのですが」
 この地区の現区長と会計係、相談役と班長が訪ねてきた。小雨の降り出した門前から玄関ポーチに移動してもらい、入浴を終えたばかりの夫を呼びに戻った。冬至間近の夕暮れは早く、スッカリ陽が落ちている。

「仕事していますからねぇ」夫が断る。もう現役引退をしている年齢と思ったであろうが、夫はまだ週四日のアルバイトをしている。区長職は兎に角忙しいと聞いている。仕事を持ちながらでは役に立てる時間がつくれないだろう。

 数日後、地区公民館で区長選出の班会合がもたれた。我家からは、夫と息子が出席。私は、仏間や仏壇の掃除をすることにした。午前十時前に出かけた二人が戻ったのは三時間後。区長のなり手が無くて決まらなかったという。正月十日に再度話し合うことになったそうだ。最悪、どうしても纏まらない場合は、出席、欠席に関わらず、くじ引きで決める方法にするらしい。

 どこでも聞く話だが、区長職が出来る人は、現役引退したとか、自営業でも仕事を任せる人が他にあって、役所の会議など諸々の時間が取れる人でなければならないとか。班長程度の仕事なら出来ても、区長職のなり手が無いのは、仕事量が多いということに繋がりそうだ。

 地区の会合に出席した御蔭で、普段付き合いの無い、背中合わせの隣家のご主人が亡くなったことを知った。近所付き合いの希薄さを実感する。有事の時の結束が保てるのか疑問。常の煩わしさを嫌う傾向にある時代ながら、何か良い手立てはないものだろうか。




悲哀乗せひた走るバス枯木山
(ひあいのせひたはしるばすかれきやま)

 義姉の葬儀に出席するため新幹線に乗った。
 通夜、葬儀は、私の故郷の菩提寺で行われた。本堂とは別棟の広間に安置された義姉の柩。三人の子と四人の孫、五人の曾孫。そして私たち縁者が揃った。

「顔を見てやってください」と兄が柩の蓋を開けた。綺麗に化粧されて、皺のない幼顔の義姉。八四歳とは思えない顔をしていた。「嫁に来た時と同じ顔をしていますよ」兄は、長年癌と戦った妻を、愛おしむように涙を流した。妹の話では、遺体に取り縋る兄に、「そんなに惜しいなら、一緒に逝くか」と言うと、「逝かない」と兄が即答したとか。

 葬儀は翌日の十時から執り行われた。別棟から本堂へ移され、葬儀の後、四九日法要まで執り行われた。そこから斎場へ。

 斎場は篦岳(ののたけ)山の一部にある。バスは田園風景の中走った。

鉄の扉の前に安置された柩。「もう見ることが出来なくなるので、顔を見てやってください」兄が顔を真っ赤にして言った。参列者が順番に義姉の顔を見る。白い美しい顔だ。
「迎えに来なくていいからな。そのうち逝くから、分かるところに居ろや」
 兄が大きな声で愛妻に言った。「ぷっ」と私は噴出してしまった。不謹慎極まりないと、一瞬口を押さえたが、兄の言葉がずう~んと心に残った。

 あの世とやらがあるのかないのか。誰も知らない。永遠の別れになるのか。それとも、あの世とやらでの再会があるのか。考え方一つで希望が持てるのかもしれない。




冬蟹や挑む旅人みな無口
(ふゆかにやいどむたびびとみなむくち)

『タラバガニ、ズワイガニの食べ放題』という日帰りバス旅行に夫と参加した。

 茨城県内観光なので出発時間はユックリ。まず立ち寄ったのは、茨城空港近くの「空の駅 そ・ら・ら」。里山的環境で野菜の生産と酪農が盛んな土地柄。それらの品々が多数並んだ施設。サービスの野菜詰め放題で、キッチン卒業組を忘れて、人参・蓮根を詰め込んだ。

 早めの昼食は、那珂湊の「ヤマサ水産」でカニ食べ放題。直径五〇センチ程の皿に山盛りの二種類のカニ。二組四人で食べる。この店のスタッフが、時計を見ながら「ええ~と、今十一時五分ですから、十一時五五分までの五〇分間で、たくさん召し上がってください。全部食べきりましたら、御代わりをしてくださいね。はい、スタートです」と声を掛けた。一斉に蟹に手が伸びる。四〇人からの参加者が皆無言で食べまくる。早くに「おかわりをお願いします」などとの声。人間の食べ物に対する欲望の凄さに、吾ながら呆れる。大満足の御腹は、タラバガニとズワイガニで一杯。アサリの味噌汁も大変美味しかった。

 港からの海は、遠くの防波堤に打ち付ける波は高かったが、港の中は静か。海上保安庁の白い巡視船が桟橋に停泊していた。四年前の大震災の大津波が思い出される。静かな海が猛威を振るった記憶はまだ新しい。この周辺も大きな被害だったそうだ。

 メインのカニ食べ放題の他に、「干し芋工場、大丸屋」や「明太子のかねふく・めんたいパーク」、酒蔵の「梅酒と酒の資料館・別春館」。水戸黄門様の名言、「杯の中には別の春がある」から頂いた蔵名とか。行き先々で買物多数。大荷物と共の帰還。




春きざす数多の命歌い出す
(はるきざすあまたのいのちうたいだす)
 
 節分の日。気温は低いが、陽射しがあって風が無いので出かけた。
 隣市の運動公園は川の対岸にある。車で十分もかからない。

 蛇行した川の一部が公園に取り込まれている。川面に写る木々はまだ枯色。だが、オオバンや白鳥の姿がクッキリと川面に映って、春の温みが直ぐそこまで来ていることを告げている。木々を飛び交うシジュウカラ。ツグミが萌え始めた草叢を忙しなく走る。コゲラが大きく川面に突き出た木の枝先にいる。今にも「コツコツ」と幹を叩くかもしれない。歩みを止めて見入った。私の息遣いが気になったのかコゲラが飛び去った。

 灰色の猫が居た。うろうろと何かを探してでもいるような様子。そのうち、何かを思いついたように走り去って姿を消した。公園にいる猫は飼われているのだろうか? 人間を恐れない。
 住民利用の建物のウッドデッキに子猫が居た。先ほどの猫の子供らしい。似ている。子猫はぼんやりと座って居たが、私の後を追うように着いてきた。そして、敷石の通路の陽だまりにゴロンと横になり、身をかわして寝そべり、仰向けになり手足を泳がせ、また腹ばいになり、陽だまりの温みを満喫するような仕草を続けた。

「ミァ~」子猫は、鳴き声を上げると歩き出した。母猫を探しているようだ。キョロキョロと見回していた子猫が走った。高さ五十センチほどに刈り込んだツツジの植え込みに近寄る。私は足音を忍ばせて近寄った。よく見ると、母猫が植え込みの中に身を隠していた。小枝の入り組んだ中で母猫の目が私を見た。