孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  ロヒンギャによるヒンズー教徒住民虐殺 被害者が加害者となるとき

2018-05-23 22:58:20 | ミャンマー

(ミャンマー西部ラカイン州マウンドーで、発掘された家族の遺体のそばで泣くヒンズー教徒の女性たち(2017年9月27日撮影)【5月23日 AFP】)

少数派イスラム教徒ロヒンギャの武装勢力によるヒンズー教徒住民虐殺
ミャンマー西部のラカイン州におけるイスラム系少数民族ロヒンギャに対する、過激派掃討を名目にした国軍等による暴力的“民族浄化”の問題は再三取り上げてきたところです。

このロヒンギャの問題は、イスラム系少数民族ロヒンギャとミャンマーにおける多数派仏教徒の対立という構図で語られる場合が多いのですが、この地域にはロヒンギャ以上に少数派であるヒンズー教徒も暮らしており、イスラム系ロヒンギャによるヒンズー教徒虐殺という問題も指摘されています。

****ロヒンギャ危機】武装勢力、ヒンドゥー教徒100人近くを大量虐殺か=人権団体****
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは22日、ミャンマーの少数派イスラム教徒ロヒンギャの武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)が、昨年8月の襲撃で何十人ものヒンドゥー教徒の民間人を殺害していたとする報告書を公開した。

報告によると、ARSAは1回もしくは2回にわたる虐殺行為で、最大99人のヒンドゥー教徒を殺害したとされる。ARSAは関連を否定している。

虐殺は、ロヒンギャの武装集団がミャンマー軍に対して行った攻撃の初期に行われた。ミャンマー軍も、ロヒンギャに対する残虐行為で批判を浴びている。

昨年8月以降、ロヒンギャなど70万人近くの人々が暴力から逃れた。
この紛争では、ミャンマー人の多数を占める仏教徒や、ヒンドゥー教の人々も住む場所を追われた。

アムネスティ・インターナショナルは、闘争の起きたミャンマー西部ラカイン州や避難先のバンクラデシュで難民に聞き取り調査を行った結果、昨年8月末にARSAが警察の詰め所を襲撃した際、バングラデシュ国境近くのマウンドーのいくつかの村で大量殺人を行ったことが明らかになったとしている。

またARSAは、他の地域でも小規模ではあるものの、市民に対して暴力行為を働いていたことが分かった。

報告書では、8月26日にヒンドゥー教徒の村が襲われた際、「この残虐で無意味な行為で、ARSAの戦闘員は多くのヒンドゥー教の女性や男性、子供を捕らえて弾圧した後、村の外で殺害した」と詳しく説明している。

生き延びたヒンドゥー教徒はアムネスティ・インターナショナルに対し、親族が殺されるのを目撃したり、その叫び声を聞いたと語った。

この村出身の女性は、「(ARSA戦闘員は村の)男たちを殺した。私たちは、その姿を見るなと言われた(中略)ナイフやくわ、鉄棒を持っていた(中略)私たちは生け垣に隠れていたので少しだけ見えた(中略)叔父や父、兄弟、みんな殺された」と話した。

ARSAの戦闘員はこの村で、男性20人、女性10人、子供23人を殺害したと言われている。子供のうち14人は8歳以下だったという。

アムネスティ・インターナショナルは、この村の住民45人の遺体が昨年9月、4カ所の集団墓地で発見されたとしている。残りの犠牲者や、隣村で殺害された46人の遺体は発見されていない。

調査では、この隣村での大量殺人も同じ日に行われた。合計の死者は推定99人に上るという。

アムネスティ・インターナショナルはまた、「ミャンマー軍による非合法で一方的な暴力活動」も批判している。
「ARSAの非道な行為の後、ミャンマー軍はロヒンギャに対する民族浄化を行った」

一連の調査結果は、「ラカイン州やバングラデシュ国境で行われたインタビューに加え、司法病理学者による証拠写真の鑑定」に基づいているという。

アムネスティ・インターナショナルのティラナ・ハッサン氏は、この調査が「最近のラカイン州北部の言語道断なほど暗い歴史において、ほとんど報道されてこなかったARSAによる人権侵害に、必要な光を当てた」と話した。

「ARSAの行為はあまりに残虐で、無視するのは難しい。証言してくれた生存者たちに、ぬぐいがたい強烈な印象を残していた。ARSAの責任を問いただすことは、ミャンマー軍がラカイン州北部で行った人道に対する罪と同じくらい重要だ」

昨年8月以降、70万人近いロヒンギャの人たちがバングラデシュへ避難した ARSAはこれまで、虐殺行為の疑いを否定しており、戦闘員が村民を殺したなどの主張は「うそ」だと反論している。

ロヒンギャは独自の国家を持たないイスラム教徒の少数民族で、ミャンマーでは広く差別の対象となっている。実際には何世代も前からミャンマーに住んでいるものの、同国はロヒンギャをバングラデシュからの不法移民とみなしており、政府はロヒンギャに市民権を与えていない。

バングラデシュも、ロヒンギャに市民権を認めていない。【5月23日 BBC】
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このロヒンギャによるヒンズー教徒虐殺は、以前から(国際社会からロヒンギャ虐殺で非難されている)ミャンマー国軍によって強くアピールされています。

下記記事は、ヒンズー教徒の集団墓地が発見された昨年9月のものです。

****ミャンマー軍、ヒンズー教徒の集団墓地発見 「ロヒンギャの仕業****
ミャンマー軍は24日、暴力の連鎖で荒廃した同国西部ラカイン州で、女性と子どもを含むヒンズー教徒28人の集団墓地を発見したと発表した。

その上で、殺害に及んだのはイスラム系少数民族ロヒンギャの武装集団だと断定した。
 
ラカイン州では先月25日にロヒンギャ武装集団による襲撃が発生して以来、宗教間の暴力紛争に発展し、以前はイスラム教徒と同じ村内に暮らしていたヒンズー教徒も、ロヒンギャ武装集団の標的にされていると訴えて数千人が避難している。
 
同域ではミャンマー軍が立ち入りを厳しく規制しているため、発表の真偽の第三者的立場からの確認は取れていない。(中略)

ラカイン州からは1か月足らずで43万人以上のロヒンギャがバングラデシュに避難。避難者らはミャンマー軍の兵士らが自警団員と結託して民間人を殺害し、村全体を焼き払ったと訴えている。
 
また同州内のヒンズー教徒と仏教徒の合わせて約3万人も、暴力行為のため避難を余儀なくされている。いずれもAFPの取材に対し、ロヒンギャ武装集団に恐ろしい思いをさせられたと語っている。【2017年9月25日 AFP】
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バングラデシュ側における仏教徒迫害も
更に、ロヒンギャ難民が大量流入したバングラデシュ側には少数派仏教徒が暮らしており、この地では多数派であるイスラム系ロヒンギャから迫害を受けているとの訴えもあります。

****ロヒンギャが直面する想像以上に深刻な対立****
ヒンドゥー教徒・仏教徒も命の危険に怯える

(中略)宗教がからむ形での住民殺戮は、バングラデシュにある別の難民キャンプでも聞かされた。迫害されているはずのロヒンギャたちは、別の宗教を攻撃しているのだ。

「イスラムに改宗しろ、さもなくばヒンドゥー教徒は殺すと脅された。行方不明になった人たちだってたくさんいる」

そう話すのは、夫を失い、必死にミャンマーから出国した女性。彼女が身を寄せているのはクトゥパロン・キャンプからほんの数キロ離れた、「ヒンドゥパラ」と呼ばれる難民キャンプ。

人数は約500人と小規模で、全員がヒンドゥー教徒だという。幹線道路にまで人があふれるイスラム教徒のキャンプとは異なり、そこは奥まった場所にひっそりとあった。

ロヒンギャから迫害される人たち
「われわれを襲ったのはロヒンギャです。ここに来てからもイスラムのロヒンギャから暴力を受けて安心できない」
ヒンドゥー教徒が「ロヒンギャに暴行された」と傷跡を見せてくれた

多くのヒンドゥー教徒難民が、ミャンマーで経験したロヒンギャからの迫害と被害を口にする。中には「ARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)」と武装勢力の名前を挙げ訴える者もいたが、他方、ミャンマー軍に追い出されたと話す難民もいて情報は錯綜していた。

ミャンマー軍は最近になって国内で虐殺されたヒンドゥー教徒の集団墓地をたびたび発見し、そこに埋葬された人々の殺害を「ロヒンギャの仕業だ」と報告している。

対してバングラデシュに避難したロヒンギャ難民は、ヒンドゥー教徒の虐殺は仏教徒、すなわちミャンマー軍が行ったと主張する。ミャンマー軍の言い分に同意し協力するヒンドゥー教徒を非難する声も、ロヒンギャたちからは聞こえた。

こうなると本当はなにが起こっているのか分からなくなってくる。確かなことは、ミャンマー国内においてもっとも少数派であるヒンドゥー教徒が、自分たちより多数派の“何か”に迫害され、難民化したということだ。

今回の難民の大量流出は、ロヒンギャの武装勢力とミャンマーの軍治安部隊の衝突がきっかけだった。背景にあるのはミャンマー南部ラカイン州に住むイスラム教徒ロヒンギャへの、長年にわたる仏教徒たちからの迫害とされる。

政府はロヒンギャを「ベンガル人の移民」などと呼び、少数民族として認めてもいない。

そもそもロヒンギャとはどんな人たちなのか。歴史的、民族的な特長で括られる存在なのか。イスラム教でつながる彼らの宗教的エスニシティ(ひとつの共通な文化をわかち合い、その出自によって定義される社会集団)を指すのか。実は明確には定まってない。

この地域を研究する専門家たちに実際に聞いても、意見は分かれる。さらにロヒンギャが暮らしていたラカイン州には、ロヒンギャと同じベンガル系住民のヒンドゥー教徒が隣り合って暮らす。

バングラデシュの難民キャンプで彼らは、「ヒンドゥー・ロヒンギャ」という名称で難民登録さえされていた。ロヒンギャ問題の解決の難しさは、この地域の人々が形成するアイデンティティの複雑さにも一因があるのだろう。

国家間での難民の押し付け合いが始まっている
ミャンマーとバングラデシュ両国は11月、ロヒンギャ難民の帰還を進める合意書に署名をした。しかし、具体的な帰還手続きや期限は盛り込まれてはいない。

難民化したロヒンギャという“厄介者”を早期返還したいバングラデシュ側と、追い払った異分子はもう受け入れたくないミャンマー側。

合意からは問題解決の意思よりも、難民を押し付け合う両国の思惑がいっそう透けて見えてしまう。

バングラデシュの中で、今回の事態をもっとも危惧しているのは国内の仏教徒たちだ。ミャンマーとは逆に、バングラデシュでは仏教徒は少数派であり、イスラム教徒から迫害を受ける立場だとされる。

コックスバザール郊外に約3万人の仏教徒が住む「ラモ」という町があるが、ここでは5年前、イスラム教徒によって12の仏教寺院などが襲撃され焼失した。

「当時、イスラムの暴徒にはロヒンギャも混ざっていました。彼らは難民キャンプからやって来た。ロヒンギャはとても好戦的で、再び大量流入している現状を私たちはとても心配しています」(シマビハール寺院のシラピリャ僧侶)

そう言われたロヒンギャ難民にしても、なにも望んでバングラデシュにやって来たわけではない。彼らだってできることなら一刻も早く故郷に戻りたいのである。

しかし、迫害が続くミャンマーへの帰還を巡っては、難民の間でも揺れる気持ちがあるようだ。

ロヒンギャ難民のノルさん夫妻に新しい家族が誕生した。子どもはイスラム教徒が多数のバングラデシュで育てたいと話す

難民キャンプで生まれた子の未来は
バングラデシュ最大の難民収容所、クトゥパロン・キャンプでの礼拝後、モスクから足早に自宅へと向かうロヒンギャの男の姿があった。彼、ノルさんにはその朝、ひとりの男の子が生まれた。身重のまま国境の川を越えた妻コリーさんが、出産を終えたのだ。キャンプでは、コリーさんが近所の人たちに祝福されながら、ようやく目が開きかけた赤子を抱いて待っていた。

「幸せです。この子のためにもう危険なミャンマーには戻りたくない。イスラム教徒がいるバングラデシュで教育を受けさせたい」

ミャンマーからの難民流入は60万人を超えた。その半数以上は子どもたちだとされる
ミャンマーで教師をしていたというノルさん。彼の願いが叶えば、生まれた子にとってはバングラデシュの難民キャンプこそが“故郷”になる。

難民として異国のイスラムコミュニティーで育つこの子の未来は、はたしてどんな世界が待っているのだろうか。名前はまだなかった。イマーム(イスラムの指導者)に相談していい名を付けたいと、若い父親は語ってくれた。【1月1日 木村 聡氏 東洋経済online】
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ミャンマー国軍がロヒンギャ虐殺を認めていないように、ロヒンギャ側もヒンズー教徒虐殺を認めておらず、国軍等による陰謀だとの主張もあります。

そのあたりの真相はよくわかりませんが、今回アムネスティ・インターナショナルがロヒンギャによる暴力を認定したということは、それなりの証拠があるということでしょう。(ミャンマー政府はラカイン州での独立した調査を妨害しており、アムネスティ・インターナショナルもARSAが行ったとされる虐殺現場を訪れることができていませんが)

虐げられる立場にある者が、自分たちよりさらに厳しい立場にある者に対して暴力をふるう・・・というのは、ロヒンギャに限らず、あるいは民族間の問題に限らず、しばしばみられる構図ではあります。
非常に悲しい人間の性(さが)とも・・・・。

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