孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ラオス  元旦、巨大石壺採石場で山登り

2015-01-01 20:16:25 | 東南アジア

(お母さんの紙すきを手伝う少女 ポーンサワン郊外 タイ北部のチェンマイやラオスのルアンパバーンでも紙すきがよく行われています)

日米共同で不発弾処理支援
ラオス・シェンクアンを旅行中ということで、ベトナム戦争当時の不発弾が大量に残存している問題について、12月29日ブログ「ラオス クラスター爆弾の不発弾が今も大量に残る土地」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20141229で 取り上げましたが、偶然、その関係の動きが報じられています。

****ラオスに投下の不発弾、日米が共同で処理へ****
日米両政府は、1960~70年代のベトナム戦争の際、米軍がラオスに投下した爆弾の不発弾処理を共同で行う方針を固めた。

今年4月の日米首脳会談で合意した東南アジア支援の一環で、日本は、不発弾を処理する現地スタッフの人件費を一部負担する。

ラオスは近年、経済成長を続けており、日本企業の進出も増えている。日米が共同で不発弾処理を行うのは、人口が多く成長が期待されるものの、不発弾の被害が深刻な南部のチャンパサックとサラワンの2県。

来年11月までに、政府開発援助(ODA)で最大約70万ドル(現在の為替レートで約8400万円)を支出する。米国は既にこの2県に対し資金協力を行っている。

米軍は、ベトナム戦争の拡大に伴い、ラオス内戦にも介入し、各地への爆撃を繰り返した。ラオス政府は、同国に残る不発弾の数を、クラスター爆弾の子爆弾など約8000万発と推定している。

ラオスでは、現在も不発弾による犠牲者が後を絶たないという。【12月31日 読売】
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日米とも、それぞれの思惑があってのことでしょうが、不発弾処理が進展するのであればラオスにとって幸いなことです。

また、ベトナム戦争において、アメリカがラオスのモン族を現地部隊として組織し、自国兵士の身代わりとして戦わせたこと、その結果、戦争終結後も「裏切り者」モン族部隊が過酷な状況を強いられたことは、昨日の12月31日ブログ「ラオス ベトナム戦争当時の悲劇を越えて」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20141231 で取り上げました。

一方、現在アメリカがシリア・イラクで進める「イスラム国」との戦いにおいて、アメリカ地上軍の投入は避けるべく、現地地上部隊を育成する方針であるのは周知のところですが、これも見方によってはベトナム戦争当時のモン族利用と重なる部分があります。

****対イスラム国軍事作戦 米軍が地上部隊育成へ*****
アメリカ軍はイスラム過激派組織「イスラム国」の壊滅に向け、来年、イラクやシリアで戦う現地の地上部隊の訓練を本格化させたい方針で、計画を軌道に乗せることができるのか、軍事作戦は正念場を迎えることになります。

イスラム過激派組織「イスラム国」に対して、アメリカ軍はことし8月からイラクで、9月からはシリアで空爆を始め、軍事作戦には中東やヨーロッパなどから11か国が参加しています。

アメリカ軍はこれまでの空爆で、ナンバー2とされる指導者など複数の幹部を殺害するなど、「イスラム国」の攻勢を食い止めたとして成果を強調する一方、壊滅に向けてはイラクやシリアで戦う現地の地上部隊が欠かせないとしています。

このため、アメリカ軍は1500人の兵士を軍事顧問団として順次、イラクに派遣して、イラク軍やクルド人部隊の訓練を行うほか、来年3月ごろをめどに、シリアでの地上作戦を担うシリアの穏健派の反政府勢力に対する訓練を本格化させたい方針です。

一方、アメリカ軍は13年余りにわたるアフガニスタンでの戦闘任務を、ことしいっぱいで終え、再来年末までに完全撤退する予定ですが、反政府武装勢力タリバンの勢いは依然として衰えていません。

アフガニスタンの治安を安定させるとともに「イスラム国」と戦う地上部隊を育成し、計画を軌道に乗せることができるのか、アメリカ軍の軍事作戦は今後、正念場を迎えることになります。【12月31日 NHK】
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外国の都合で、外国が主導しておこなっている戦争か、現地の戦争にやむを得ず必要最小限に外国が支援・介入するのか・・・で、違うと言えば違うのでしょう。

いずれにしても、現地で流される夥しい血に、十分に配慮する必要があります。

なんとか無事山頂へ
今日、1月1日、ポーンサワン郊外の洞窟に安置された仏様に初詣したのち、ジャール平原に点在する巨大石壺の採石場ともなったと思われる「Phu Keng Jar Quarry site」へ。

“Phu Keng ”という小高い山の中腹に、加工中の石壺らしきものなども見られる、比較的最近に公開されたエリアです。

延々と続く石段を上っていくのに2時間ほどもかかるという情報などもあって、「正月早々、途中リタイアだろうか・・・」とも懸念したのですが、確かにきつい上りではありましたが、1時間弱ほどで上りきることができました。

正月からギブアップせずに済んでホッとしています。

頂上からの眺めも雄大ですが、頂上付近には自然の洞窟や、ベトコンが使用したトンネルなどもあって、なかなか楽しいところです。

新年ということでなのでしょうか、現地の若い人などが大勢訪れていました。

なかには、おしゃれなサンダルでは無理と悟り、はだしで果敢に上るお姉ちゃん、はだしでは松葉や小石が痛いので靴下で上るお嬢さん、大音量の音楽を流しながら、大きなスピーカーを二人がかりで運ぶお兄ちゃん・・・・など、いろんな人も。
今日でシェンクワン観光を終え、明日はビエンチャンに移動します。

今年1年が良い年でありますように。

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