孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

インド  「本物のインド人」と認められないイスラム系住民400万人を無国籍化・追放する企て

2018-10-25 22:21:33 | 南アジア(インド)

【10月24日 朝日】

ミャンマー・ロヒンギャへのジェノサイド、国際刑事裁判所への付託の動きはあるものの、実現は困難
再三取り上げているミャンマー西部、ラカイン州から隣国バングラデシュに追われた72万人のイスラム系少数民族ロヒンギャに関しては、ミャンマー国軍はその責任を否定しており、スー・チー政権も対応に消極的(あるいは無能力)ということで、国連調査団は国際刑事裁判所への付託を安保理に求めています。

****ロヒンギャの「ジェノサイドは今も続いている」、国連調査団長****
イスラム系少数民族ロヒンギャ迫害問題について調べている国連調査団のマルズキ・ダルスマン団長は24日、国連安全保障理事会が開いた会合への報告で「ジェノサイド(大量虐殺)は今も続いている」と述べ、この問題を国際刑事裁判所へ付託するよう求めた。
 
ミャンマーに関する国連事実調査団のダルスマン団長は記者会見で、この問題は大虐殺の範囲を越えて、標的とされている民族の排斥や断種、広範囲に及ぶ難民キャンプへの強制移動などが含まれていると指摘した上で、「ジェノサイド(大量虐殺)は今も続いている」、「このジェノサイドの目的は、かなり的確に推定できると考えている」と語った。
 
この安保理会合は欧米主要国の呼び掛けで開かれたが、中国とロシアは開催に反対していた。
 
ミャンマー政府は、ロヒンギャ72万人が国境を越えて隣国バングラデシュに逃れることになった昨年の弾圧で、ミャンマー軍が残虐行為を行ったとの疑惑を否定している。
 
ダルスマン団長によると、この弾圧で約390か所の村が滅ぼされ、ロヒンギャ1万人が殺害された。同団長は、バングラデシュに避難しているロヒンギャがミャンマーに安全に帰還し、尊厳を保ちつつ生活を維持する環境は整っていないと指摘した上で、仮に帰還させようとしても死者をいっそう増やす恐れがあると警鐘を鳴らした。【10月25日 AFP】
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しかし、現実問題としては、中国とロシアが同意しないでしょうから、国際刑事裁判所への付託は実現しないでしょう。仮に実現しても、ミャンマー政府をさらに頑なにさせるだけではありますが。

こういう国連の場で取り上げるといった国際圧力をかけながら、ミャンマー政府から何らかの対応を引き出せればいいのですが・・・あまり期待はできません。

インドでも似たような、イスラム系住民追放も懸念される動き
そのミャンマーにおけるロヒンギャと似たような事態にもなりかねい問題が、インド北東部のアッサム州で起きています。

****インド政府、イスラム系住民400万人の市民権をはく奪へ****
<半世紀前にバングラデシュから迫害を恐れてインドのアッサム州に逃れてきたイスラム教徒との間に、暴力が再燃する恐れも>

インド当局は7月30日、国民登録簿(NRC)と呼ばれるリストの暫定版を公表した。だがインド北東部にあるアッサム州では、人口3290万人のうち2890万人しか名前がない。400万人近い住民から市民権を剥奪し、国外退去させようとしているのではないか、と懸念が高まっている。

国民登録簿には、1971年3月24日以前からアッサム州に居住していたことが証明できる国民とその子孫が掲載される。

しかし、アッサム州に住むベンガル語を母語とするイスラム教徒はその1971年3月24日にパキスタンからの独立を宣言したバングラデシュから数十万人単位で逃げてきた人々で、露骨に国民登録簿から排除されている。

かつて外国人排斥を求めて激しく戦った学生組織とインド政府が1985年に合意したアッサム協定では、1971年3月24日より前からアッサム州に住んでいたことが証明できない者は正式な市民とはみなさないことになったからだ。

国民登録簿はまた、市民であることを証明する政府発行の正式文書など持たない多くのベンガル系住民の排除にも使われる可能性がある。

「本物のインド人」なら心配ない
ヒンドゥー至上主義者とされるインドのナレンドラ・モディ首相は、今回の調査は、アッサムに従来から住んできた民族を守り、不法移民を取り締まるのに役立つと述べた。

シャイレシュ登録長官は、「今日は、アッサム州ならびにインド全体にとって歴史的な日だ」と言った。「私たちは、初めての完全な国民登録簿の暫定版を公表するという節目に至った」。

シャイレシュはさらに、「登録簿の最終版に登録されるための機会は十分に与えられるので、本物のインド市民は心配する必要はない」と述べた。最終版は2018年12月に公表される。

今回公表された国民登録簿の暫定版に名前が載っていない人には、申し立ての機会が与えられるという。誰も直ちに国外追放される人はいないと政府は言う。

アメリカに本拠地を置く人権団体「Avaaz」は、国民登録簿はイスラム教徒をターゲットにしていると懸念を表明した。

Avvazのリッケン・パテル事務長は声明で、「複雑で不公平な申し立ての手続きが必要になるのはイスラム教徒だけだ。弁護士と相談する権利もない。申し立てが認められなければ、住み続けられる見込みはない」と述べている。

アッサム州ではこれまで、民族対立が暴力的事件へと発展したことがあるため、国民登録簿の公表後は、同州全体で警備が強化されている。

1983年には、同州ネリーで暴徒化した人々が、ひと晩で2000人近いイスラム教徒を殺すという事件が起きた。最近では2014年に、先住民であるボド族とベンガル系イスラム教徒の間で衝突が起き、少なくとも56人が死亡した。

ネリー暴動が起きた際に、茂みに何日も隠れて生き延びたアブドゥル・スバンは、「政府が私たちを『外国人』と呼ぶなら、私たちに何ができるだろう? 国民登録簿は私たちを破滅させようとするものだ。私たちの民族はここで死んできたが、立ち去るつもりはない」と述べた。【7月31日 Newsweek】
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“モディ首相が率いる人民党は2016年の選挙で、イスラム教徒の多いバングラデシュからの不法移民追放と先住民らの権利保護を約束し、同州での勝利を勝ち取った。
 
同国で国民登録が行われるのは、人口の3分の1がイスラム教徒のこのアッサム州のみ。制度の導入をめぐっては、少数派の犠牲の下で多数派のヒンズー教徒を支援する右派政府の狙いがあるという批判も上がっている。” 【7月31日 AFP】

加速する排除の論理
イスラム国家として分離独立したパキスタンに対し、インドは多民族・多宗教を国是する国家であったはずですが、ヒンズー至上主義のモディ首相のもとで変質しているようです。

「国民登録簿の暫定版に名前が載っていない人には、申し立ての機会が与えられる」と言いつつも、証明書の類を持たない、字する満足に読めない住民にとっては、乗り越えようもない高いハードルとなっています。

****インド、400万人無国籍に? アッサム州「国民登録」イスラム教徒狙い撃ち****
不法滞在の外国人は、どの国でも取り締まる。しかし、半世紀近く普通に暮らし、投票までしてきたとしたら? 

インド北東部アッサム州で、そんな境遇の人々を洗い出す作業が始まった。400万人が無国籍となる瀬戸際にある。

 ■52歳「投票もしたのに…」
「私はインド人だ。なのに名簿で『NO』と書かれている」。アッサム州中部ネリー村の役場の分室。やって来たイスラム教徒の農家マルジャット・アリさん(52)が切り出した。

証明する書類を求められると、財布代わりのポリ袋から1枚のカードを大事そうに取り出した。「これで投票した」。選挙管理委員会が発行した有権者証だ。
 
担当官は「証明にならない」と一蹴。「土地の権利書とか、配給カードとか。1971年以前の記録がないとダメだ。必要なら地区の役場へ行きなさい」
 
地区の役場は車で1時間半。文字をあまり読めないアリさんが書類を見つけられるかどうか。「国民じゃなくなったら畑や家族はどうなる。私は死ぬしかない」。アリさんは目を潤ませた。
 
州内で「本物のインド人」を認定し直す「国民登録」は2015年に始まった。約3300万人が申請し、今年7月末に発表された暫定名簿で400万人余りが除外された。

9月末から2カ月間が不服申立期間で、ネリー村の役場分室は受付窓口の一つだ。
 
次に来た男性もイスラム教徒。自分と妻は国民と認められたものの、子供3人の欄には「NO」の文字。担当官は「出生届は出したのか。他に証明できる書類は?」。法律では、国民であることの立証責任は本人にある。
 
ネリー村があるモリガオン地区ではイスラム教徒が人口のほぼ半数を占める。そのうち1~2割が「NO」とされた。中にはインドのパスポートを持つ人もいた。

 ■英領時代流入、70年代に急増
アッサム州で国民登録が実施された背景には、隣国バングラデシュからの移民の存在がある。
 
ヒンドゥー教徒のアッサム人が多くいた土地に開拓農民や紅茶農園の働き手としてイスラム教徒が移住してきたのは、現在の国境線が引かれる前の英領時代にさかのぼる。1947年のインド建国時点で、相当数のイスラム人口があった。
 
さらに71年、イスラム教徒がつくったパキスタンからバングラデシュが分離独立を宣言すると内戦が勃発。多数のイスラム系難民が流入した。国民登録が71年以前に居住していた証明を求めるのはこのためだ。
 
当時のインド国民会議派政権は難民を積極的に帰還させようとはしなかったようだ。

移民排斥運動を主導する全アッサム学生連盟(AASU)のバッタチャルジャ最高顧問は「政権与党が難民に有権者証を乱発し、自分の票田にした」と指摘する。州内の有権者数は70年から79年にかけ、50%増えたという記録がある。
 
少数派になることを恐れたアッサム人は70年代末から抗議運動を始めた。83年には一部が暴徒化しイスラム教徒2千人以上を虐殺した。ネリー村は最も被害が大きかった現場の一つだ。
 
混乱を収拾するためインド政府は85年、AASUの要求をのむ形で国民を登録し直すと約束した。しかし、その後の政権は問題を先送りし続けた。
 
事態を再び動かしたのは、アッサム州出身のランジャン・ゴゴイ最高裁判事だ。2014年、州内での国民登録を16年までに実施するよう命じる判決を下すと、登録の実行状況を監督する判事団トップに就任。今月3日には最高裁長官に上り詰めた。

アッサム人の間では「ゴゴイ判事がいなかったら、ここまでできなかった」(地元記者)と称賛する声がもっぱらだ。

 ■総選挙へ、排除加速
来年5月までに実施される総選挙が迫り、国民登録は政治色を強めている。
 
中央政府の与党でアッサム州でも政権の座にある人民党(BJP)のアミット・シャー党首は「不法移民はシロアリだ。一人残らず追い出す」と断言。イスラム教徒が多い他州にも国民登録を広げる考えを示す。
 
イスラム教徒の支持者が多い野党は反発するが、ヒンドゥー至上主義の流れをくむBJPは反イスラム感情をあおり、支持固めを狙う。
 
大半の「不法滞在者」の出身国とみられるバングラデシュでは、政府が彼らを自国民と認めていない。ロヒンギャ難民約70万人を国内に抱え、その5倍以上の人々をさらに受け入れるのは難しい。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは「数百万人が無国籍化する」と警告する。
 
暫定名簿で除外されても最終確定まで国民としての権利は奪われない建前だが、現実には排除の動きが進んでいる。州政府は15年以降、不法滞在者を専門に扱う法廷を増やしている。
 
州最大の都市グワハティにある公務員用アパートには、2世帯分を改装した四つの法廷が急ごしらえされた。国境警察が各法廷に毎日20件程度の「推定外国人」事案を持ち込む。
 
法廷で外国人と宣告されれば収容所へ送られる。書記官は「件数が多すぎる。偽造書類を見抜くのが大変だ」と話す。出頭しないまま外国人と宣告されたり、そのことすら本人が知らなかったりする場合もある。
 
イスラム教徒の弁護士(41)は嘆く。「法廷では書類の名前のわずかなつづりの違いが問題にされる。書類は本人でなく政府が作ったのに。こんなことで人の運命が決まっていく」【10月24日 朝日】
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「本物のインド人」とは一体なんなのか?
100年、500年、1000年、2000年と遡っていけば、多くの民族が流入・流出を繰り返しており、「本物の」といったところで、たかだか数十年に限った相対的なものにすぎないでしょう。

バングラデシュ分離独立の戦火を逃れて流入した難民にしても、すでに数十年が経過し、一定にその生存権が保証されてしかるべきでしょう。

「本物のインド人」に“浄化”しようという排斥の論理ではなく、「同じインド人」として共存していく道をどうして選べないのか・・・・悲しいことです。

しかし、インドでも、ミャンマーでも、アメリカでも、欧州でも、排斥・不寛容の流れが急速に強まっているのが現実です。

インド・モディ政権は400万人もの人々をどうするつもりでしょうか?
国外に追い出すのでしょうか?しかし、ロヒンギャすら持て余すバングラデシュは受け入れません。

無国籍状態にして収容所に隔離するのでしょうか?そうした仕打ちに抗議する人々の一部がテロに走ったとしても、それは当然の成り行きでしょう。社会が著しく不安定化することは間違いありません。


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