この4月で丸10年です。
いまでもはっきり覚えています。
新潟で「笑い」は商売にならないと四面楚歌状態だった10年前。
なんてったってその頃、新潟は自殺率全国一位を二年連続の栄冠を手にしていた頃。
新潟市芸術文化会館「りゅーとぴあ」を作る作らないで大もめの時です。
文化不毛の地。根暗で引っ込み思案。県民性からしても絶対無理とのお墨付き。
新潟で全国に通用するお笑いを発信したいのだ!
この僕の声は誰も耳を貸してくれない。
いろいろマスコミなど回るものの、門前払いが続く。
誰も頼れないと早く気づき、自分のチームを作ることに精を出す。
その場所が新潟市青年ネットワーク。
ここで人脈を作り、NAMARAも立ち上げ準備をする。
1997年2月23日第一回新潟素人お笑いコンテストを開催。
爆笑問題をゲストに17組の素人が集まり1400人のお客さんが集まった。
テレビ、ラジオ、新聞、様々なメディアを取り上げてくれた。
NAMARAはスポンサーなしで、まわりから白い目を向けられながらも、ざまーみろ、こんだけ注目されるイベントになったではないか、無理だとが非常識だとか言っていたヤツ出て来い、お前らの常識と俺の常識は違うんだ!と鼻息が荒かった10年前。
すべて、うまくいくようにも感じていた。
しかし・・・。
(いまちょっと酔ってます、なので文章がめちゃくちゃかもしれません)