すっかりこのブログの存在を忘れておりましたが、最近、あっと驚くようなことがありましたので、ちょっと書いてみることにいたします。
イタリアの人は、往々にして、
かなりおおざっぱ な人たちであるわけですが、
例えば、ある印刷物の校正を私がして、イタリア人が印刷工であるなどというホラー小説並みのことが起きた場合にですよ、
Aの部分の校正をする → イタリア人にわたす → 校正の反映されたものが返却される
↓
Aは修正されているが、以前には問題のなかったBの部分がなぜか、誤植になっている。
↓
Bを校正する → イタリア人にわたす → 校正の反映が返却される
↓
Bは修正されているが、以前には問題のなかったCとDの部分が、なぜか、誤植になっている。
ということがですね、「私、悪い夢を見ているのじゃないですよね?」と自問したくなるようなことが起きるわけです。
いやいや、悪気はない、らしいんですけどね。
でも、イタリア人って、
総体的に、仕事に対するモラルが日本人よりも、相当低いような気が。
いやいや、それとも、
私が共に働くことになってしまった一部のイタリア人(みんな揃って自信過剰)が、非常に特殊なだけかもしれない。。。
そうだ、イタリア人の中にも、私の友達のように真剣に働く人だっているじゃないですか。
(非常に少数派とはいえ)
ま、そんなことを考える今日この頃なのでありますが。
ところで、
つい最近、イタリアのある本をぺらぺらとめくっていると、
最後のページに、
ひたすら単語がアルファベット順に二列に並べられたページ
がありました。
「・・・単語集かしら?」
でもいったい何のために?
・・・と、そこには、
INDICE LESSICALE(語彙索引)
の言葉が!!!
「ご、ごいさくいん・・・!?」
数字がない!
ページ数が、ありません・・・!!
いやー・・・びっくり。
でもこれって、なんだかデジャヴー感もあるような気がします、はい。
ブルータスよ、おまえもか・・・。
私は何だか裏切られたような気分ですよ。
イタリアの人は、往々にして、
かなりおおざっぱ な人たちであるわけですが、
例えば、ある印刷物の校正を私がして、イタリア人が印刷工であるなどというホラー小説並みのことが起きた場合にですよ、
Aの部分の校正をする → イタリア人にわたす → 校正の反映されたものが返却される
↓
Aは修正されているが、以前には問題のなかったBの部分がなぜか、誤植になっている。
↓
Bを校正する → イタリア人にわたす → 校正の反映が返却される
↓
Bは修正されているが、以前には問題のなかったCとDの部分が、なぜか、誤植になっている。
ということがですね、「私、悪い夢を見ているのじゃないですよね?」と自問したくなるようなことが起きるわけです。
いやいや、悪気はない、らしいんですけどね。
でも、イタリア人って、
総体的に、仕事に対するモラルが日本人よりも、相当低いような気が。
いやいや、それとも、
私が共に働くことになってしまった一部のイタリア人(みんな揃って自信過剰)が、非常に特殊なだけかもしれない。。。
そうだ、イタリア人の中にも、私の友達のように真剣に働く人だっているじゃないですか。
(非常に少数派とはいえ)
ま、そんなことを考える今日この頃なのでありますが。
ところで、
つい最近、イタリアのある本をぺらぺらとめくっていると、
最後のページに、
ひたすら単語がアルファベット順に二列に並べられたページ
がありました。

でもいったい何のために?
・・・と、そこには、
INDICE LESSICALE(語彙索引)
の言葉が!!!

数字がない!
ページ数が、ありません・・・!!
いやー・・・びっくり。
でもこれって、なんだかデジャヴー感もあるような気がします、はい。
ブルータスよ、おまえもか・・・。
私は何だか裏切られたような気分ですよ。