ねーさんとバンビーナの毎日

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毛利元就より。その6

2009年09月28日 20時39分55秒 | 考えるねーさん
幸鶴丸は、将軍義輝から一字をもらい、輝元と名乗った。そして成人式を終えるや否や、輝元は、吉川元長(元春の○子、十八歳)とともに本営洗合城に出陣した。

騎馬で入城する輝元は武者人形のようで、城兵は感動の声を上げた。

可愛い。けなげである。輝元を守るようにして従う元長の凛々しさ…。隆元の死、元就の病気、合戦とは別に、なにかと心晴れないことがつづいていた将兵たちは、見事に成人した輝元を見て、うれし泣きである。

「御曹司の御為に…」
四月、元就は、輝元の初陣のために月山城攻撃を計画した。

月山城大手の尾小森口に、輝元を先陣としてすすませ、元就もそれに加わった。塩谷口には吉川元春・元長父子、菅谷口へは小早川隆景を配置した。

尼子方では、情報を得ている。毛利の祖父・孫ともに討ち取ってくれようと、尾小森口に、尼子義久自ら迎え撃った。

出雲出陣中、最大の激戦となった。輝元のもり役国司元武、粟屋元真らが、若き主君の初陣を飾るために奮闘したので、尼子義久は敗れて退いた。輝元は興奮して追いかけようとしたが、旗本の桂元重、児玉元良らが押しとどめた。

塩谷口、菅谷口の吉川、小早川は、共にかなり苦戦を強いられたが、これも最後には勝利を得た。

「この勢いで月山城に攻め込みましう。こんな小城など、ひと揉みに揉み潰しましょう」

輝元は、勇ましいところを見せて、元就を喜ばせた。

「小城ではないぞ。とてもひと揉みに揉み潰せる城ではない。慌てず焦らず、ゆるゆると干殺しじゃ」

元就は、富田河原で勝鬨を上げて、洗合城に引き上げた。
元就は自重して持久戦法をとりつづけた。これは、一つには元就の健康がすぐれなかったからである。

元春たちは、元就の年齢を考えて心配し、将軍義輝に頼んで、名医の評判の高かった御典医曲真瀬道三を招いた。さすが天下の名医で、その診療により、元就の病も治った。道三は文学にも造詣の深い人で、このときの逗留の見聞を基に『雲陣夜話』などを著している。




いやぁ、面白いぞ、と。
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