写撮日記_しゃとるにっき

撮り歩いた日記

信州 松代 行き写撮 5号写

2017-08-02 | Weblog

松代から長野市街方面に移動。
川中島古戦場を訪ねました。

   

武田信玄 上杉政虎(後の謙信)、戦国最強の名を二分していた両雄は
この地にて五度、相まみえています。

 今は広い公園です。

中でも永禄4年の第4次合戦はあまりにも有名で、川中島の合戦 といえば
この合戦のことですね。
   

同年8月、政虎が越後より南下、川中島南部の妻女山に着陣。
信玄は海津城に入って両軍にらみ合いとなります。
 
ここで山本勘助が考案したとされるのが 啄木鳥の戦法 です。
武田の別動隊が夜陰に乗じて妻女山を奇襲し、上杉勢を追い落とす。
あらかじめ麓に布陣していた信玄の本隊と挟撃してせん滅する。

というものです。
 

しかし、政虎はこの戦法を見抜いたのか、それとも機を読んで動いたのか、
上杉勢は自ら下山し、武田本隊の前に現れたのです。
かくして 9月10日、全軍臨戦態勢の越後上杉勢と、別動隊を欠いた甲州武田勢が
川中島八幡原で激突します。

 

上杉勢は、守勢に回った武田勢に対し、後世に 車懸り と称される波状攻撃
をしかけ、これにより武田の各部隊は粉砕されて行きます。
名将 初鹿野忠次や諸角虎定
軍師 山本勘助 さらには 信玄が右腕と頼んだ弟の 武田典厩信繁 らが討ち死に。

武田の重臣が倒れ行くなか、最も有名なシーンがこちらです。
  

総大将 上杉政虎が武田本陣に切り込み、信玄に太刀を浴びせ、
信玄はそれを軍扇でうける・・・・

はたして総大将が自ら切り込んでこられるか?
この時はまだ政虎は入道していないはずなのに、僧のいでたち?

と、疑わしきは置いといて、これがまさに川中島のシーンですね。

やがて、戻った武田の別動隊が上杉の背後から攻めかかり、形勢逆転。
政虎は善光寺へと退きます。
武田も追撃する余力は無く、八幡原に軍勢をまとめて合戦は終わります。

映画・ドラマで何度も演じられてきた 川中島八幡原の戦い。
稀代の軍師 山本勘助最期の地でもあります。

妻女山別動隊に真田幸隆が、さらに武田本陣に真田昌幸がいたとされています。

これにて今回の写撮は終了です。

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