山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

畜生以下の人間の増殖を憂う

2017-11-03 05:04:02 | つぶやき

 お地蔵さまの救いの対象に6段階のレベルがあるという。「地獄道→餓鬼道→畜生道→阿修羅道→人間道→天道」の六道である。どの道にも悩みや苦悩があるのであろう。それゆえに六地蔵が存在し、お寺などには紅い前掛けをしたお地蔵さまが並んでいる。この6つの道の中で、人間は天の次に位置づけられているようだ。六道については、いろいろの説があって自分などには何が本当なのか見当もつかないけど、単純に地獄から天国まで、仏教ではこのようなレベルを設定して教化のあり方を説いたのではないかと考えている。

 犬や猫は畜生と卑しめられた位置づけなのだが、この頃の世の中の人間が引き起こす出来事を見ていると、もはや到底人間とは思えず、畜生でさえも決して為さない行為を平気で行っている、まさに地獄から派遣されたとしか思えない奇怪な生き物が生まれ出しているのを感ずる。

 特に強く思ったのは、9人も殺してその死体を部屋の中で処理して捨てるというような、異常極まりない事件の発生だ。まだその動機などは解明されてはいないようだけど、平気で殺人を行い、それに馴れてしまったなどというニュースには、もはや人間などではなく、昆虫の共食い以下のおぞましさを覚えずにはいられない。

 この事件の背景には、現代の科学技術進展の異常な速さが大きく影響しているようだ。特に情報社会の持つ暗い病の存在は、益々増殖を膨らませているようで、不気味である。SNSの利便性の裏には、人間の持つ暗い業とでもしか言いようのないものをさらけ出す機能があり、それに飛びつく悪意が数を増しているようだ。

 この事件においても、自殺志願などという愚かな願望をSNSの力を借りてさらけ出した者に対して、それを悪用しての振る舞いだったのではないか。本人が死にたいと言っているのだから、殺してやっても何の問題もなかろうというのが、殺人者の理屈であったとしたら、この世は一体どうなるのだろうか。必死になって生きようとしている人たちをこれ以上愚弄する行為は無かろうと思う。

 例え自殺願望者であっても、人は本来生きるために存在するのである。生きているから自殺を考えられるのであり、死んでしまったら自殺は考えられないし、できないのだ。自殺願望というのは、最も安易な生き方の選択だと思う。ましてや自らの命を抹殺するのに他人の力を借りようとするなんて、安易すぎる。そのチャンスを提供しているSNSのあり方も大問題だ。

かつてITの進歩に関して「携帯を持った猿」という警告を発した心理学者の方がおられたが、携帯からスマホやIホンなどへと機能が進化するにつれて、今の世の中にはその猿類が急速に蔓延っている感じがしてならない。ただ利便性を享受するだけが目的で、人道などどうでもいいというSNSだったとしたら、近い将来、それもかなり近い将来、人類は自らの生み出した科学の成果を首に巻いて破滅に向かうのではないか。

何ともおぞましい事件が続発している。アメリカでは銃の無作為乱射事件が多発しているようだが、21世紀は科学文明の急速な進展がもたらす力に人間が押しつぶされて、自暴自棄という形であがきながら破滅に向かっている感じがしてならない。


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