前道議の挑戦 その3

前北海道議会議員。
日頃の活動と私の“想い”を感じ取って頂ければ幸いです。

親父(おやじ)のこと

2013年03月10日 | インポート

先日の誕生日。

午前8時前、参議院選挙の打ち合わせ前にホテルで朝食を摂っていると、携帯電話が鳴りました。

“向井 〇〇”。

特別な用事が無い限り、滅多に電話をよこさない親父でした。

どうかしたのかと出てみると

「元気にやってるか? 今日、誕生日だもな。おめでとう!」といつになく明るい声。

でも“口べた”な感じは相変わらずです。

「ありがとう。今ちょうど朝食勉強会だよ。」

「議会で忙しいんだべ?」

「今は一般質問だから、来週予算特別委員会で質問するよ。」

「そうかあ、身体に気をつけてがんばって!」

「ありがとう。親父もね。」

誕生日に電話をよこすなんて、生まれて初めて。

わずか1分少々の短い会話でしたが、心が“ホッと”温かくなりました。

想像するに、いつも新聞を隅々まで読む親父は、一般質問が始まっているにもかかわらず新聞に名前も出ないし、気になっていたのでしょう。

自分が結婚してすぐ、私が母のお腹に居る時にお爺ちゃんを亡くし、お婆ちゃんと共に4人の兄弟姉妹を育てるために大変苦労してきた親父。

“呑兵衛”で喜怒哀楽が激しく、頑固で滅茶苦茶しつけも厳しくて・・・

そんな親父が、私は子どもの頃から恐くて大嫌いでした。

中学三年の時、親父が町議会議員に立候補しました。

定員26人に対し32名が立候補。

前評判では「絶対大丈夫。」と言われていた親父。

しかし、いざふたを開けてみると次点で落選してしまいました。

当時、同級生のお父さんたちも同時に4人立候補しており、落ちたのは親父だけ。

開票の伝達も手伝い、学校では生徒会長もやっていた私はショックでした。

選挙が終わり支持者に挨拶回りをして、親戚の家で飲んだ帰り道のこと。

親父が初めて泣きました。

それまで一度も親父の涙を見たことが無かった私は、驚くと共に「親父にとってどんなに悔しかったのか」が初めて解りました。

それ以来、私は「町議なんかじゃ無い。俺は町長になる!!」と、決意を固めました。

これが私が政治家を目指すきっかけです。

7日の午前中、議会開会前には店を手伝ってくれている母からも電話が掛かって来ました。

「朝、親父から電話があったさ。」と伝えると、

「そう、珍しいねえ! でも、なんだかんだ言ってパパが一番あんたのこと、心配してるからね。」

「そうなんだね・・・」

先週3日、オホーツク管内湧別町で暴風雪の中、愛娘を助けるために自らの身をなげうって、愛しい9歳の娘さんの命を守ったお父さん。

53歳のお父さんは奥様と昨年死別したばかりで、どんなに悔しく、後ろ髪を引かれたことでしょう。

父が抱きかかえるようにして守った娘さんに、全国から激励のメールや電話が町に寄せられているそうです。

父と子。

どんな形であっても、親が子を思う気持ちに変わりは無いのだと、私も子を持つ父親として思います。

私の若気の至りで、現役を引退させて早10年以上、地元を離れ小樽で暮らす親父。

好きだった酒も滅多に飲めず、食事制限と運動のための散歩で糖尿病と戦っています。

私が学生時代とは見違えるように痩せました。

母も店の手伝いで共和に居ることが多く、不便をかけていると思いますが愚痴も言いません。

それでも店のためだからと、自ら食事を作ったりして我慢をしてくれている親父に、今は心から感謝しています。

そして、わがままで迷惑ばかり掛けてきた分、なるべく親父の喜ぶ姿を増やしていくように努力します。

70歳を過ぎてようやく丸くなった感じもしますが、町議選でも道議選でもやっぱり一番喜んでくれた親父。

最近は涙を見せることも多くなり、、シャイで上手いことも言えないままの親父ですが、いつまでも元気で、私の政治家としての歩みを見守って欲しいと願っています。