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近江と伊勢を繋ぐ、越境シノギング。そして、【後編】

【前編】はコチラ

 

道の駅から振り返ると、奇しくも先の壁斜面尾根がくっきりと見上げることが出来た。写真では伝わらない奴であるが...

道の駅に着いてまずは、衣と装備を整え、干せるものは干す。幸い、ごった返すような人出はなく、日当たりも良い頃合いなベンチがあったのでそちらにて。

そして今宵以降追加補充の買い出しをす。あれもこれもと目移りしてしまうが、グッと堪えて必要最小限を心掛ける。

柳谷の戦利品。

谷島の戦利品。

それぞれの嗜好が垣間見れる。

道の駅だと土地土地の物産も手に入れることが出来るので、此のシノギングには理想的であろう。そうでなくとも、且つての行商や旅人の事を考えると、一山越えて集落に下りるという事は、そこで寝床や食事、補給もしたであろう。其の旅情感を取り入れることが出来れば、コンビニでもスーパーでも、寂れた商店やあえて民宿に泊まるも良い。

そんな旅情感を演出するが如く、買ったおいなりさんをパクパクと食す柳谷。谷島は地元名物岩魚の天巻きに舌鼓。ちなみに二人して買った長ネギは「安土信長葱」という滋賀県産ブランド葱である。

腹も心も満たされて、再度身なりとパッキングを整えると、到着した時から決めていた通りのきっかり一時間。非常に有意義な一時間と相成った。

改めて背負うザックの重い事よ。。本日のネグラに向けての後半、再出立。

そうそう、唯一補給出来なかった我らの栄養剤でもある麦酒。道の駅の売店娘に聞けば、我々の目指す国道先には地元チェーンスーパーが鎮座していると。では最初からそこで買い出しをしておけば、と言うのは野暮ってもんよ。どちらも堪能するのが乙なもんだと、意気揚々に闊歩する我々だが、次の集落の辺りに差し掛かれど、それらしき物は見当たらず。

おかしいな...この集落を越えた先にまた国道と交差する所がある。さてはそこにあるのかな?期待をしつつ、集落を抜ける。

しかし、この集落の規模感を加味すると、そんなスーパーがこの先にあるとは到底思えない。痺れを切らした柳谷が、集落の第一村人、農作業を終えたお父さんへその旨を確認すると。。

 

「この辺には商店もそんなスーパーもねぇ」

 

暫し途方に暮れる二人。

気持ちを切り替えねば。そう、逆に言えばそのスーパーの存在に胡坐をかかず、最小限にして必要な補給は先の道の駅で済ましていたのが幸い。しかも生命線である水も補給していたのは大きい。つまりこのスーパーとは縁が無かったという事だ。(正直後々までこの出来事を引きずってはいたが、、)

少々蛇足が過ぎたが、本題へ戻ろう。

そんなわけでトボトボと国道を辿る。相変わらず歩道一部には残雪、車の往来も地味に多い。気を遣いながら辿る辿る。

何故国道を辿るのか。これから目指すとある峠へは、この山脈に挟まれた大きな渓にある国道、そこから分け入る沢筋が、峠へ抜ける街道として使われていた。その道筋を少しでも感ずるべく、このルートを選定した。しかしながら、発展によって開拓された国道は、それ以上でも以下でも無かった。少し憂いながらも着実に進んでいく。

すると、国道脇に小さく「名水 京の水」の看板。何ぞや、とその看板が指す小道へ入ると、何とも嬉しい出逢いが。

ただこれだけで、この道を選んだ大いなる意義となった。そして憂いた気持ちも報われた。ちょうど地元のお父さんも水汲みをしており、暫し談笑。雨の多寡に関わらず、不思議とこの水が枯れたところを見たことが無いと。それだけ山奥深くから時間を掛けて湧き出る水なのであろう。

我々も当然その場で一口。スーッと雑味なく喉を潤し、正に案内文の通り、心も温めてくれるような味わいであった。ありがとう。

さて、英気も養えた所で再度国道へ。それでもやっぱり車の往来は厭なもんだ。

程なくして、ようやく国道と別れ、沢筋延びる八風谷へ分け入る。と言っても、基本的には沢沿いの林道歩き。

ただ、当然この時期にわざわざ入り込む輩はおらず、しっかり積雪のノートレース。

ちょっとしたシノラッセルと単調な林道歩きに、心理的にも疲労が溜まり始める。

そこで気晴らしも兼ねて、どこまで効果があるかは不明だが、、無用の長物と可していたワカンを装着してみる。

するとどうであろう。ほんの少し歩きやすくなったような。。ただ、どちらかと言うと約1kgの長物が背中から消えたのが大きいだろう。

この辺りで峠へ延びる本流と分かち、古い資料によるとスマイバノ谷と言われる沢筋へ入る。この地域名物でもある砂防系堰堤も散見される。

時間的には無理なく辿り着けそうだ。今のところずっと針葉樹が続いている。目星を付けた本日場所の植生や如何に。

結果は惨敗。

地形図上には広葉樹マークも散見されたが、その様子は一切感じられない程の針葉樹。この地形図の情報が古い可能性もあるが、地形図の植生マークの曖昧さを再度痛感させられる。諦め潔く、沢筋が近く適度に張りやすい所を選定し、複数の沢出合いが重なる拓けた750m圏のこちらを今宵のネグラとす。

安定のツユハラヒ、タビガラスでのザック内荷物取り出しまとめ。

昨夜と違い風が無いのが救いか。ささっとハンモックを展開していき、

程なくしてネグラの完成。

無用の長物でも活用出来るときは活用すべし。

そして諸々済ますと、即効的に疲れを癒すための遅めの昼寝へ。昨日も感じたが、この昼寝にはとても意義があると思う。

不思議と一時間程度でむくりと目を覚まし、宵に向けての支度を始める。

今宵は麓で仕入れた食材で各々晩酌を楽しむ。

対照的に今夜は全く風も無く、雪上も相まってか矢鱈と静かに感じる。お互いぽつりぽつりと会話を展開する。

転じてどこか閑雅で居心地の良い空間が演出される。酒が無くとも酔えそうだ。

漆黒の森の中、来る払暁へ、烏達は身を寄せ明かす。

 

明くる朝

 

夜中、シトシトとタープを打つ音は霙雪だったようだ。

朝の儀式。焚火にてしっかり暖をとりつつ、黙々と朝飯を食す。

すると森にも陽が届き、次第に朝を迎える。本日も早めの始動にて、ゆっくりせず撤収も速やかに。

二夜後の決して笑ってはいけない奴。45度、B面にて。

そして、ネグラを後に出立。まずは林道へ回帰し、尾根の取り付きを目指す。先頭は柳谷から。

雪は降ったが新雪と言えるほどの積もり方はなく、サクサクと歩みを進めていく。

林道へ出るも、出た辺りの現在地が曖昧だったので、暫し歩いて地形を確認する。

渓筋の地形が色濃く、林道でも似たようなカーブの連続で少々わかりづらかったが、何とか目当ての尾根と思しき物を捕捉でき、取り付く。

しっかりとした尾根に出ると、コンパスチェック。方角の入りからしても問題はなさそうだ。

尾根らしい尾根で一安心。

そこまで気温も低くなくちょうど良い。ただ曇り空にて越境する稜線はどうなるか、楽しみ半分不安半分。朝明けの凛とした空気を味わいながら辿る。

次第に植生が変わり始め、五月蠅い灌木が目立ち始める。

う~む、なんだか嫌な予感がする。

地形図通りのヤセた傾斜も慎重にこなしていく。

程なくして、先頭を谷島へ交代。徐々に稜線に向けて詰めてきてはいるが、様相的にこの尾根は所謂人が入っていない尾根と思われる。

尾根も決して広くはないので、自分が背負っているザックの面積を考慮しながら、道筋を描いていく。時には少し尾根上を外して大回りもしたり。

すると終ぞ、あの忌まわしきシャクナゲが姿を現す。概ね900m圏内からか。胸騒ぎは的中した。

右往左往しながら、シャクナゲ地獄を凌ぐ。雪で少し潰されている所あるのが救いか。

四苦八苦しつつ、何とか抜ける。抜けたのか?

抜けた。我々の労をねぎらうかの如く、そこには雪化粧した庭園が広がっていた。

地形図通りならば、この先は県境まで平たんと緩い登りがあるのみ。しかしながら雪が深く、低木に被さったヒドゥンクレバスも多く、踏み抜きに難儀する。

主稜線、県境を手中に捉える。雲の中のような薄っすらかすれた状況が、より凌らしさを演出する。

最後の緩い登り。植生は落ち着き、程度の良い木々の合間を縫いながら、ゆっくり直向きに登る。

登り終えるとほぼ平坦な栄光なる道で繋がり、

幾多の想いを胸に、県境に到達。

 

フミアトがあろうがなかろうが関係ない。内に秘めたる想いが其処にあれば、此のシノギングの意義が成されよう。

 

烏も後から続き、暫し想いを分かち合う。

ここで先頭を柳谷へ交代。フミアトトレースがしっかりあるので、しっかり使わせてもらう。

強くはないが時折抜ける風に、やはり西と東を跨ぐ山脈の地形を感じる。

一つ手前の峠へ到着。この天候は変わりそうにない。雪や雨がないのが救い。

先を急ぐ。本来ならばこの先に三重の市街延いては伊勢湾を展望する事が出来るよう。

小さなピークはなぞるように巻き道が延びており、ここを越えればもう間もなく。

そうしてついに真の越境地点、八風峠へ辿り着く。

意外にこじんまりした峠ではあるが、古き良き往来をひっそりと感じさせる。

正に道という道がない時代、この峠を越境して近江と伊勢を繋いでいたのだ。胸が熱くなるばかり。

想いを馳せるのはほどほどに、残すは越境後の麓への下りと、長い長い集落(バス停)までの林道車道歩き。気持ちを切り替えて、身支度をし、

いざ参らん。

基本的には一般登山道と言われる道を辿る。ジグザグと急な斜面を下り一気に標高差を稼ぐ。

少し下りの落ち着いた所で、目の前の展望が拓ける。なんと市街と伊勢湾が見えるではないか。

かつての旅烏たちもきっと、同じように感じたであろう。

随所に残るこの道の歴史。

下りきると渓筋へ出て、ここからは渓沿いを辿る。

勿論砂防堰堤をいくつも越えながら、

一般登山道とは思えない、少々荒れた道が続く。ようやく林道らしい道へ出る。

するとまた散見される歴史たち。

石碑や鳥居など様々。

これら一つ一つ紐解いてみるのもまた一興であろう。

なんとかして登山口駐車場へ到着。

実は一番きつかったかもしれない登山道林道歩き。

まだまだ終わらない。ここからは地獄の車道歩きとなる。当然気温も徐々に上がり出し、気持ちを確かに進む。

名物の連続砂防堰堤と越えてきた山脈を振り返る。

以降は特に語る事も少ない。ご想像の通りただただ辛い車道歩きだが、これも此のシノギングには切っても切り離せない区間であろう。

途中途中にある集落や、遺産に想いを寄せながらなんとか凌いでいく。

最後の山間らしい林道車道。ここを抜けると一気に市街へと突入する。

田光という町に出る。

そして、本当の意味で此のシノギングの終着点としていた場所へ到達する。

田光の地に鎮座する多比鹿神社である。立派な一の鳥居に、自ずと気持ちも厳かに。

抜けると田光川沿いに風情を残した景観が広がる。

そして、何と言っても本殿に向かって専用の橋が延びているではないか。

何とも趣のある参道である。

さすれば見えてくるは二の鳥居を要する拝殿境内。

一の鳥居経ての参道からは考えられない程こじんまりとした拝殿と本殿。そこにまた侘び寂びを感じる。とても良い神社であった。

さて、トボトボとバス停を目指す。いつだって達成した後の帰りは地味なものである。

田光川から振り返ると、越えてきた県境やその奥の集落山域が、我々を見送ってくれているようだった。

こうして無事、浪漫を求めた越境シノギングを終えることが出来た。此のシノギングの紀行はここで終幕としよう。

 

そして、我々は思ふ。

越境シノギングというのは一つのシノギングの手段であって、此のシノギングの奥にある真の目的とはまた違う概念であることを。

 

そして、我々は考慮す。

此のシノギングには特別な想いを乗せる事ができ、其れらを巡り繋ぎ、延いては連夜を伴う旅に帰結する事が出来ると。

 

そして、此のシノギングをこう命名しよう。

シノギング旅烏

#シノギング旅烏 #旅烏

 

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