粟やん日記

何気ない事を書いていこうと思います。主に台湾の言葉の勉強について書いていこうと思います。

日本の現代文の授業

2016-10-07 19:55:56 | 日記
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10月7日

学生時代に現代文の授業を受けていて思ったのは、どうして作者の意図を最も大切にするのだろうか、という事だった。それ以上に大切なのは、作品を通じて自分がどう思ったかではないか。

言葉が人と人を介在する記号である一側面を考慮すれば、目指すべき到達点は作品を通じた各々の考えを磨く事だろう。

試験の為に数値化する必要があったり、限られた採点者の人数を考慮したりすると、答えは演繹より帰納の方が合理的であるのは理解できる。
しかし、継続的な演繹が、自己内省や自我を磨く事による帰納になるのではないかと思う。

最終的な、自分自身という一つの存在に帰納する事。自分とは何かと言葉で表現出来る事。
10代において、このような試みは大切であるように思える。

しかし、考えてみると現代文の回答の帰納化も、読者の考えより作者の意図を大切にする姿勢も、個人より相手、全体を尊重する日本的な風土だろうか…。

当然、作者の意図を読み取る事も大切だと思う。しかし、評論家の評論文はまだしも、小説家は、自分の意図を必ずしも読み取って欲しくて、その作品を書いたのだろうか‥。

(一部修正)

粟やん

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