海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

岡田外相と「市民との対話集会」全面公開 5

2009-12-06 10:18:47 | 米軍・自衛隊・基地問題
渡久地知佳子:すみません、名護市の渡久地と申します。私たち家族ずっと12年間反対運動してるんですけど、その12年前の市民投票の時にこの子が生まれました。こんなに大きくなってます、もう12年経ってますので。ずっと私たちの反対運動に一緒に連れて歩いてます。なぜならば、この子たちの未来がかかったことなので、私はすべてを見せてきました。今日は岡田外務大臣に会いに行くよ、と言ったら、僕も言いたいことがあるというので連れてきました。ぜひ聞いてもらえますか、お願いします。
(拍手)

渡久地武龍:僕は名護市立小学校6年の渡久地武龍です。僕が生まれた年に行われた市民投票で、基地は造らないと約束されました。これはとても大切な約束です。岡田外務大臣、約束は必ず守ってください。大浦湾や辺野古の海は僕たちにとって大切な海です。僕たちの海や僕たちの未来を絶対壊さないでください。よろしくお願いします。
(拍手)

渡久地武清:あのー嬉しいです。ほんと今日嬉しいんですよ、岡田さんここに来てくれて、話し聞いてくれるんだなーと。私、いま仕事の合間抜けて来ました。見てください、この子がこんなことを言うために、私は育てたんじゃない。あの、ほんとに家族らしく、年から年中このことばっかしですよ私は、頭の中が。普天間の人がどうなったか分からないからここに移す、これは…(一部不明)…ですよ。私たちもここに住んでるんですよ。これから一生住まないと、おじいちゃん、おばあちゃん、移させた人も、これからここで、環境、色んなもうすごいですよ。こういうとこで、この子は育てていこうと思ってます。これからも、家族。
 で、いま部落でも二分されて、もう顔も見ないぐらいですよ、目も見ない。それで話し合うんですよ、部落の行事なると。西川さんがこう言いました。辺野古だけじゃない、この地域まっぷたつ、宜野座、もう点々と、基地のある所どこでもそう起きてます。
 私はだから、これから先、子ども育てていかなきゃならないし、生活もあります。この基地の問題が起きてから、私どこで仕事してると思いますか。まあ、これはちょっと言いますけど、こういう関係してるから、土建業の仕事もらってるんですよ。んだ、干されて仕事もらえない。どこで仕事するかといったら、名前も顔も売れてない所ですよ。でも子どもを守るために顔を出さなければならない。なんとか、こんな中でも一生懸命やって、命あってこそ仕事できるんだということがねー、分かりよったわけです。家族で育って、今日もぜひやってくれと、デニーさんにお願いして。いまも…(一部不明)…んですよ。この間も伊是名まで行ってきました。こういう所まで仕事をしながら生活をしています。単価も下ろして。
 絶対私はここに基地造らしたら、…(一部不明)…一生恨みます。この子にも継いでもらいます。この基地を絶対に許すなと。この子どもたちよ、絶対に許すなと。そういうふうに私は覚悟を作ります。私はそういう気持ちでいまも、運動ではない、生活するための術だと思って、私は頑張ってます。反対運動じゃありません。命を守るためです。
 だからいま、岡田さんも来てくれたんですから、せっかく、こういった生の声を聞いてください。皆さんもねー、ほんと私ぐらいですかね…(一部不明)…、そういった人たちも呼んでですね。傷つけられて痛い人たちもいると思います。この人たちの話を聞いてもいいんでないですかね。こういった話がどうなるかというのをね、ちょっと考えてもらって、ぜひともこっちに造らさないで、できたらもうアメリカ。さっきから言ってました、ほんとに。時間なんてどうだっていいんです、13年間わったーこっちで生活してきたんです。造らないでくださいと。明日、明後日のことは待ちます。決は出さずに、こういった人たち、私たちみたいな話を聞いて、ちゃんと、造らさないでよかったという、気持ちになってください。お願いします。ぜひとも。
(大きな拍手)

司会:では、お二人にお答えしたいというふうに。

岡田外相:まー、あのー、沖縄は本島部分では二割が基地ということで、それはもう日本の中でも他にないことですね。そのことは、われわれも十分分かっています。私は外務大臣になる直前に『世界』という雑誌にインタビューを受けて、その時に申し上げたんですが、うーん、やはりそれは沖縄の地が戦場になりね、そして、占領されたということがなければこういうふうにはなってないわけですから、まー、そういう戦後の沖縄の悲惨な歴史の延長線上でいまも、基地がこれだけある沖縄というのが存在していると、いうことですね。それは分かってるつもりです。
 でー、そしてこういう状況がほんとにいつまで続けられるのかと。私は最初に外務大臣になった時に、クリントンさんに言ったんですけども、やはり30年、40年、いまの日米同盟というものをより強くして、持続可能なものにしたいと、それは私の信念です。しかし、そのためにはですね、基地の問題を、負担の問題もしっかり議論していかなきゃ、そういうことにはならないと、いうことも申し上げたところであります。
 えー、実際、いま日米間で様々な議論をしてるんですが、例えば地位協定をこれからどうしていくかとか、ま、これも簡単な話じゃないんですけども。あるいは日本に返還される予定の米軍基地について、どういうタイミングで返すのかと。あるいは嘉手納、普天間の騒音の問題、あるいは訓練について、なるべく負担を減らすためにはどうしたらいいのかと。そういうことをいま真剣に議論しているところであります。
 ま、今度政権が代わったから、そういうふうに変わったんだと。いままでそんなこと、あんまり真面目に真剣に議論してきたって話はあまり聞きませんので、それは政権が変わったから、そういうこともあり得るということで。
 ただ、いまのお話を聞いておりまして、ほんとにこのー、普天間の基地の辺野古への移設の問題に、ずいぶん長い間、地元で反対してこられた方から見ると、大変な思いがあると。ただ、少し負担を減らしてやると、やはり、日米安保、日米同盟を前提にするとどっかに基地は必要だと、いうふうに私は思います。もちろん、その基地がいざ来るとになった所に、負担が過重にかからないようにしなければいけないと、いうふうに思いますけども、しかし、日本に基地が必要だという前提になれば、どっかがそれを引き受けなければいけない、という問題。それは率直に言ってですね、避けられない問題であるというふうに思います。
 もちろん、その当事者になったら、とんでもないと、なんでここなんだと、ま、そういうふうになるとは思いますが。ま、そういう中で、色んな話し合いを経てですね、そして日米間でよく…(一部不明)…ができたということであります。それをどこまで考えるかということをいま議論しているわけですが、なかなかその余地というのはそう大きくないというのが今日の…(一部不明)…までの結論でございます。もちろん、いますぐ、じゃあ合意だからといって、日米両国政府でこうしましょうと、そう簡単に決められない問題であることも分かっていますけども、実は沖縄の皆さんのご意見を聞かせていただきまして、まーしかし、なかなかそれに代わるですね、答えがいま見つかってないと、結局はそうです。

(つづく)

『政治』 ジャンルのランキング
この記事についてブログを書く
« 岡田外相と「市民との対話集... | トップ | 岡田外相の「市民との対話集... »
最近の画像もっと見る

米軍・自衛隊・基地問題」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事