海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

旧正月

2019-02-05 23:59:24 | 生活・文化

 5日(火)は旧正月で海上行動は休みとなった。実家に帰って仏壇に手を合わせ、初拝み(はちうがん)を行ったあと、先週の桜祭りのときに買ってあったオキナワセッコクとセイシカの植え付けを行った。

 高江に連日通っていた頃は、森の中でサクラツツジの花を見るのが楽しみだった。先だっては大浦湾に面した崖の上にケラマツツジの赤い花が咲いているのを目にした。厳しい抗議行動の合間に森に咲く花を目にすると心が休まる。

 琉球列島の森も海も、これだけ価値が強調されながら破壊され続けている。高江の森も辺野古の海も、本来は将来にわたって最優先で守られるべき場所であり、軍事基地を造るなど言語道断のことなのだ。辺野古の海・大浦湾は私から言わせれば、今さら県民投票で賛否を問うまでもなく、無条件で守るのが当たり前の場所なのだ。

 民主主義の実践といえば聞こえはいいが、日々殺されている海の生物からすれば、県民投票もしょせんは人間の利己主義による争いでしかない。県民投票を進めてきた者たちの中には、賛成が多数を占めればそれに従う、と口にする者がいる。冗談ではない。この20年余の間、辺野古の海を守るために、どれだけの人が人生をかけて闘い、道半ばで亡くなってきたか。

 もう10年近く前になるか。ある夜、部屋に辺野古の方から電話がかかってきた。その方は生活の足しにするためアルミ缶を集めているのだが、あんたは反対派だから缶をあげない、と言われたと、泣きながら悔しさを訴えていた。「反対派」と子どもにからかわれた、と怒っていたお年寄りもいれば、「赤」呼ばわりされてゲートボールから外された、と語っていた人もいる。

 仮に賛成が上回れば、この20年余、周りからの圧力に耐えながら辺野古の地で反対の声を上げてきた人たちが、どれだけの悲しみと怒り、絶望を覚えるか。そのことを想像するだけで胸が苦しくなる。辺野古で闘ってきた皆さんに、そのような思いをさせないために、海やゲート前の行動をしながら県民投票にも力を割かざるを得ない。

 


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