海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

65年目の敗戦の日

2010-08-15 20:27:59 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 8月12日の午前2時からNHK総合で「証言記録兵士たちの戦争/偽装病院船 捕虜となった精鋭部隊 広島・歩兵第11連隊」をやっていた。第5師団歩兵第11連隊は1941年12月8日、マレー半島上陸作戦に参加し、機械化された精鋭部隊としてマレー半島、シンガポール攻略の一翼を担う。その後、南太平洋の諸島を転戦するが、連合軍の作戦とかけ離れた場所に2年間も留め置かれる。敗戦間際になって兵士たちは、病院船橘丸に傷病兵を装って乗船させられ、武器弾薬とともに輸送されるところをアメリカ軍に拿捕される。1500人の将兵が一度に捕虜となってしまい、国際法違反を問われることになった。そして、敗戦後、兵士たちが帰った故郷の広島は、原爆で焼け野原となっていた。
 番組は下記の「NHK戦争証言アーカイブス」で見ることができる。

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210034_00000

 番組の最初のところ(チャプター[2][3])で、シンガポール攻略戦と華僑粛正の証言が出てくる。シンガポール攻略後、日本軍は元義勇軍兵士や共産主義者、略奪者、武器所有者や日本軍の作戦を妨害する者に対し掃討作戦を行った。抗日分子として捕らえられた人々は秘密裏に「処分」され、シンガポール各地で数多くの華僑が日本軍によって殺害された。しかし、日本軍の抗日分子選別はずさんなものであり、殺された華僑の大半は武器を持たず、抵抗の意志もない市民であった。その数は少なくとも5000人以上とされる。
 林博史著『シンガポール華僑粛正』(高文研)は、このシンガポールにおける日本軍の華僑粛正=虐殺の実態を実証的に明らかにしている。林氏は日本軍による「華僑粛正」の狙いを以下のように指摘している。

〈シンガポールを含むマラヤは華僑が多く、また日中戦争が始まって以来、抗日運動が強力に展開されている地域であったが、占領して最初に抗日活動を行いそうな者たちを処刑し、それを見せしめにすることによって、華僑を黙らせ、占領統治を円滑に進めようという狙いであったと推定できる。しかし、それが逆効果であったことはその後の歴史が証明している〉(191ページ)。

 敗戦から65年目の8月15日を迎えた。日本が行った侵略と加害の歴史を直視することなくして、日本が敗戦したことの意味を考えることができるはずもない。中国や朝鮮、シンガポールなどアジア各地で日本軍が何をしたのか。侵略戦争の帰結としての敗戦の日だからこそ、そのことを考えたい。


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