海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

問われる政治家の責任

2009-08-20 16:51:08 | 米軍・自衛隊・基地問題
 八月は六日のヒロシマ、九日のナガサキと原爆忌を迎え、さらに十五日の敗戦の日と六十四年前の戦争を思い起こす月だ。沖縄ではそれに加えて、十三日の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故を思い起こす月となっている。
 沖縄では…、と書きながらわだかまりがある。沖国大への米軍ヘリ墜落事故から五年が経とうとしているが、この事故はその発生当初から沖縄と日本(ヤマトゥ)との間で事故の受けとめに大きな差があった。その差はこの五年間で克服されるどころか、さらに拡大しているのが実情であろう。
 振りかえれば、一九九六年十二月のSACO最終報告からすでに十二年余が経っている。五年から七年以内の返還で合意されたにもかかわらず、普天間基地は依然として住宅密集地の真ん中にあり、「世界一危険な基地」の危険性除去はまったく進んでいない。県知事選挙で「三年以内の閉鎖」を唱えた仲井真知事の公約も、空文句に終わろうとしている。
 普天間基地の返還は、なぜ進まなかったのか。その最大の理由は、この十二年余りの間、日本政府や沖縄県知事、名護市長らが「県内移設」に固執したことにある。海上基地建設に反対の意思を示した「名護市民投票」の結果を尊重し、「県内移設」反対が一貫して七割以上ある県民世論をまとめて、他の選択肢を追求していたらどうだったか。現状よりはずっと良い結果がもたらされていただろう。
 その意味で、「名護市民投票」の結果を踏みにじった、当時の比嘉鉄也名護市長の責任は極めて重い。さらに比嘉市長の後を引き継いだ故岸本建男前市長、V字型滑走路案を受けいれた島袋吉和市長をはじめ、「苦渋の選択」と言いながら「県内移設」を進めた稲嶺恵一前知事や、仲井眞弘多知事の責任が問われなければならない。「ベストではなくベターな選択を」と言いながら、ベターな状態にさえなっていないではないか。
 沖縄の米軍基地の現状を見るなら、県民の「負担軽減」どころか、強化拡大が進んでいるのが明白だろう。八月五日付の県内紙は、二四七〇億円もの「思いやり予算」を使い、基地内住宅の建て替え工事がなされると報じている。在沖海兵隊のグアム移転どころか、沖縄基地の恒久化が進んでいるようだ。このような日米両政府のやりたい放題を許しているのは、仲井真知事をはじめ沖縄の政治家たちの発言力が低下しているからだ。
 これまで日本政府と稲嶺前知事や仲井真知事は、基地問題を経済問題にすり替えることに腐心してきた。一九九五年九月の海兵隊員による暴行事件を契機に、沖縄県民の反基地運動が日米安保体制を揺るがすまでに盛り上がった。それを沈静化させるために日本政府がとった手法が、島田懇談会事業や北部振興策などの金のバラまきだった。
 そして、沖縄の中からそれに呼応していったのが、「経済の稲嶺」を売り物に当選した稲嶺前知事である。故岸本名護市長をはじめ、基地所在地の自治体首長らもそれに追随していった。結果として、財政面で基地への依存度が深まり、反対運動も抑え込まれていった。
 今や名護市では教育や医療まで「米軍再編交付金」に依存するようになっている。これでは政府に物が言えるわけがない。そうやって自らの発言力を低下させ、基地依存を深める愚を沖縄の政治家たちは犯してきたのだ。
 女子ゴルフをはじめスポーツや芸能、芸術分野などで沖縄の若い世代が活躍している。自分の努力と実力だけで勝負する自立した若者が出ている一方で、中央政府に依存し、基地がもたらす「既得権益」にしがみついて、いまだに自立を拒んでいるのが、沖縄の多くの政治家であり、経済人ではないのか。
 普天間基地の危険性の放置をはじめ、沖縄基地の強化拡大が進められているのは、日米両政府の問題だけでない。「県内移設」という最悪の選択をし続けている沖縄の政治家たちの問題・責任が問われなければならない。
 (2009年8月13日付「沖縄タイムス」掲載)

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