海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

玉砕=全滅の実態

2009-06-21 20:29:56 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 戦車には傍にある木麻黄の葉が積もり、鋼板の穴や車体の隙間からは、木の枝が伸びていた。
 自らも戦車隊の隊員だった司馬遼太郎は、大岡昇平との対談で、旧日本軍の戦車や戦車隊の特色について語っている。長々と引用してばかりだが、沖縄戦における戦車隊のことについても語っていて、貴重な証言だと思うので紹介したい。

司馬 私どもにも初年兵期間があってつらかったですけど、しかし、学徒出陣で大勢でどっと入ったものですから、古年次兵の数が少なくて、苦労といってもいいかげんなものでした。そのときはもっとも、やりきれませんでしたけれど。
大岡 戦車隊は特科だから、大事にされるから……。われわれのような、鉄砲撃つだけのパチンコ屋とは違いますよ。
司馬 歩兵は肉体一つですから敗戦の場合でも、切り込みをやって死ぬとか、ある意味では変化の可能性がたくさんあるわけですけれど、戦車隊ですと機械力が劣弱の場合、それが絶対的なもので運命についての可能性などは少しもありません。暗いものでした。ただ鋼板の厚みで、国家の力がからだで否応なしにわかってしまうという、そういうわかり方はあの戦車(なか)にはいっていますとありますですね。敵の鋼板は、とても厚くて、自分の小さな大砲ではタドンを投げたようでカスリ傷もあたえることができない。日本のほうは、体裁はととのっているけれど、いざ戦場に出ると、トウフみたいに砲弾を貫かれてしまう。
 あの九七式中戦車(略称・チハ車)は、できあがったときには国際的水準に近い戦車だったようですが、しかしすぐ時代遅れになっています。昭和十二年のことでしたか、戦闘機が七万円、爆撃機が二十万円のとき、戦車は三十五万円だったそうですから、日本の国力ではモデルチェンジできないわけです。
 ノモンハンが終わったころに量産のコースにのったシロモノで、独ソ戦を経た欧米のレベルからみればとても……。太平洋戦争の初期のマレー作戦のときは、駐留英軍が装甲車程度しかもっていませんでしたから相対的に威力はありましたけれど、あとはずっと役立たずでした。
大岡 ノモンハンのときに、だめだということは証明されているわけだからねえ。あれより大型は作らなかったのですか。
司馬 日本の国内鉄道が狭軌でしょう。ですから日本の貨車の幅で戦車の幅が決まるわけですから大型はだめだったんですね。
大岡 レイテにも戦車はきましたが、もっぱら、大砲を引っぱったり、連絡に使うつもりで持ってきたらしい。馬はすぐ死んじゃうのでね。ところが、戦車ってのは、すぐ飛行機に見つかっちゃうんで、昼間は広いところには出られない。夜だけ動き回っていたらしい。
司馬 沖縄でもそうです。沖縄にも戦車が一個連隊おりましたが、実際には使いものにならない。飛行機や相手の戦車にどんどんやられちゃいますから。そうすると、温存されてきて、他がみんなやられたのに戦車だけが残っては申しわけないというので、夜襲をかけたーー戦車で夜襲はできないというのは、常識ですけれど。大きな音がしましてね、それに、夜襲には無線が使えない。無線による指揮ができないとなると、バラバラになるおそれがある。
 要するに、闇の中を手さぐりで進むというのが、夜の戦車でしょう。であるのに夜陰にいっせいに動きだして、敵の方角へ進んだんです。全滅しなければ申しわけないという非戦術的理由だけで。むろん相手の大砲にドカドカと迎え撃たれて、二十分ほどで全滅したという。ここらへんがなにか、日本の旧国家のすがたですね。
大岡 レイテでも、ペリリュー島でも、敵が上がった晩、やはり夜襲をかけて全滅してしまう。戦車隊はおいといても、すぐに見つかっちゃうし、邪魔になるばかりなんです。ほかにやることがないから、潰してしまう。終末的思想とでもいうほかはないですねえ。
 (以上、引用は『司馬遼太郎対話選集6 戦争と国土』文春文庫より)。

 冷徹にさえ見えるほどの対話だが、自らの経験に基づいてこういうことを語れる小説家・知識人は、もうほとんどいない。それがこの十年余りのうちに、日本人の戦争に対する認識がどんどん浅くなり、歴史修正主義が跋扈する背景ともなっている。
 司馬が語っているような知識・認識を欠いたまま、旧日本軍の戦車の残骸をみるだけなら、夜襲に駆りだされた搭乗員たちの無惨さを考えることは難しい。戦争体験者なら自らの体験と重ね合わせて、むざむざと死んでいった兵士たちの無念さを想うことができるかもしれない。しかし、それ以降の世代には、知識がなければ想像することもできない。
 殉国美談の物語に回収されないために、私たちは玉砕戦の実態を知らなければならない。
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