子や孫と一緒に参加している遺族もあった。
沖縄各地にある慰霊の塔の前で行われていた慰霊祭も、戦後60年の年を最後に公式の催しを終えたのが少なくない。沖縄においてさえそうなのだ。戦争体験のない世代が、それを受け継いでいけるのか。南洋群島帰還者会が抱えている問題は、言うまでもなくすべての遺族(会)が抱えている問題である。
一週間後には、64年目の「6・23沖縄戦慰霊の日」を迎える。 . . . 本文を読む
沖縄県知事(代行)はじめ各会、遺族、現地などの代表による献花のあと、墓参団参加者全員が焼香を行った。
墓参団という形ではこれが最後…、ということで新聞やテレビ、雑誌などの取材陣、大学の研究者などが数多く同行していて、カメラを向けていた。 . . . 本文を読む
玉城氏の「鎮魂の舞い 平和の祈り」や照喜名氏の「十七八節」を、沖縄から来た墓参団はみな一心に見つめ、感動して聴き入っていた。ただ、地元の人たちには理解しにくかったようで、踊りや演奏の間、少しざわついていた。地元席の近くで録音したり写真を撮っていて、これはちょっとまずいな、と思い、まあ、いきなり琉球古典音楽を聴いてすぐに馴染めるものでもないだろう、と思ったのだが、最後に玉城氏と比嘉凉子氏(玉城流翔 . . . 本文を読む
琉球古典音楽の重鎮で人間国宝の照喜名朝一氏は、「十七八節」にのせて自ら創作した琉歌を歌われた。
戦世に命 いくさゆにいぬち
失たる御霊 うしなたるみたま
極楽や永久に ぐくらくやとぅわに
平和御願 へいわうにげ
司会が琉歌を二度読み上げて照喜名氏を紹介し終えたとき、おきなわの塔のまわりの木々で鳥の鳴き声が響いた。沖縄では亡くなった人の魂は、鳥や蝶に姿を変えてこの世 . . . 本文を読む