母の闘病は長く、その間入院したがらない母を、父と私で支えていました。
介護のプロの方から見たら、全然介護にもなってなかったとは思うのですが、側にいて支えるだけの日々を過ごしていました。
母が元気な日は、少し外に連れ出してみたり、台所に立つ母を見守ったり。しかし体調が崩れると大変で、父は急変する母を病院に連れて走る日々でした。
父も母も、ギリギリまで家で過ごしたい!
と言う想いが強くあって
私もそれを理解し、協力しました。
私の子ども達も、母の好きそうなモノを見つけるたびに送ってきて、家族全員で「母を楽しい気持ちにさせよう」と思っていました。
「介護は頑張り過ぎない事」
と言われます。
介護は本当に大変です。
する側も、される側も不満が募る事も多くあります。
そして介護してる側の私達が、精神的、肉体的にもギリギリの状態になっていても
「私は家に居たい。入院したくない」
と言われると、無理に入院させる事は出来ませんでした。
それは、治る事の無い病だとわかっていたからです。
介護にはいつか終わりが来るとわかっていました。
母が長くないと、わかっていました。
しかし、母の状態が悪くなってくると、私達の負担は益々大きくなりました。特に四六時中一緒に過ごす父は、精神的にギリギリになって、イライラして、寝ながら怒鳴ったり泣いたりしていました。
父の目が血走り「このままでは、父が先に倒れてしまう」と感じた私は、看護婦さんやお医者さんに相談し、母を入院させる事にしました。
入院が決まった時の母は、ひどく落胆していました。
病院での診察時も「入院したくない」と首を縦にはふりませんでした。それでも私は強行して母を入院させました。
私はとても酷い娘です。
その後悔は今もあります。
何が正解だったのか、今でもわかりません。
母が入院してわずかひと月足らずで、亡くなってしまい、
「よく見てあげたよ。入院は仕方なかったんだよ」
と、親族は皆言ってくれます。
でも、母が納得してないまま亡くなってしまった事は、私にとって大きな後悔になりました。