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無事、三回忌を終え…

2019-06-25 18:46:00 | 日記
日曜日に、母の三回忌を無事終える事が出来ました。
ほぼ一人で段取りしていたので
ホッとして、体調崩してしまいました。
 
今は、お客様も帰って、
父と二人きりの生活に戻って
「なんか、落ち着いたね」
と笑いあえてます。
 
母が亡くなって、まる2年。
寂しさはあるものの、穏やかな気持ちです。
逆に言うと、落ち着くまで2年かかりました。
これからは父への親孝行を頑張りたいと思ってます。
 
 

自然の脅威

2019-06-19 20:56:00 | 日記
ふ新潟県、山形県沖地震で被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
 
私は南海地震が起きたら真っ先に危うい!という地域に住んでおりますので、とても他人事とは思えません。もしも!の時の為に、準備だけはしっかりしていますが、私自身の生死は、おそらく「運」というものも大きく左右してくるのではないかと密かに感じています。
 
以前、「南海地震が来たら…」と言うシュミレーションを見に行った事があるのですが、海沿いの人たちは、ほぼ死亡カウントされていました。
見ている皆さん、顔面蒼白です。
 
しかし、あと2年後であれば、その推定死者数も激減するそうです。この2年で対策をするのだそうです。
 
「四国は孤立するでしょう。
物資も運ばれてくるまでに時間がかかるでしょう。
まさしく陸の孤島です。
個々でその数日間、数週間を生き延びられる対策をー」
 
との事ですが、海沿いの人は準備してても、自分が逃げるので手一杯です。準備した物資をいつも持ち歩いているわけでは無いです。お手上げ状態です。
 
避難場所に関しても数年前までは
「高い建物の屋上」
と言っていた友人達も、今では
「出来るだけ遠くの山!」
と口々に言います。
 
地震に対する意識が、どんどん深刻になって現実的なものに変化しています。雲の形状が少し違うだけでパニックになる人もいます。
SNSで危険を煽る人の言葉に踊らされている人もいます。
 私たちの周辺では、もはや南海地震の話をしない日は無いのです。それが、くるくる言われ続けている南海近辺に住む我々の実情です。
 

父の意外な特技。

2019-06-17 19:58:00 | 日記
昨夜、洗濯機が壊れました😥
 
正確に言うと、
洗い←出来ます。
すすぎ←出来ます
排水←出来ます
高速脱水←カンカンカン!と激しい音がします。
 
「仕方ないなー。もう買い替えかなー」
とネットで洗濯機を物色していたところ
 
ヨロヨロと父がやってきて
 
「取扱説明書、まだ置いてある?見せて」
と、言うので父に渡すと
フムフムと読み始め、
 
おもむろに工具セットを持ってきて
洗濯機を分解し始めたのです😱
 
手際よく蓋を外し、底を外し、本体と内槽を覗き込み
「これや」と、ネジ?か何かの部品を取り出しました。
内槽の何かの部品が緩んで取れて、それが本体にぶつかって音がしていたのです💦
 
そして、あっという間に元どおりに治してしまったのです😅
 
まさか父にこんな器用な特技があったとは‼︎
久しぶりに、イキイキした父を見れた日でした。
 
 

母への懺悔

2019-06-16 16:24:00 | 日記
母の闘病は長く、その間入院したがらない母を、父と私で支えていました。
介護のプロの方から見たら、全然介護にもなってなかったとは思うのですが、側にいて支えるだけの日々を過ごしていました。
 
母が元気な日は、少し外に連れ出してみたり、台所に立つ母を見守ったり。しかし体調が崩れると大変で、父は急変する母を病院に連れて走る日々でした。
 
父も母も、ギリギリまで家で過ごしたい!
と言う想いが強くあって
私もそれを理解し、協力しました。
 
私の子ども達も、母の好きそうなモノを見つけるたびに送ってきて、家族全員で「母を楽しい気持ちにさせよう」と思っていました。
 
 
「介護は頑張り過ぎない事」
と言われます。
介護は本当に大変です。
する側も、される側も不満が募る事も多くあります。
 
そして介護してる側の私達が、精神的、肉体的にもギリギリの状態になっていても
「私は家に居たい。入院したくない」
と言われると、無理に入院させる事は出来ませんでした。
それは、治る事の無い病だとわかっていたからです。
 
介護にはいつか終わりが来るとわかっていました。
母が長くないと、わかっていました。
 
しかし、母の状態が悪くなってくると、私達の負担は益々大きくなりました。特に四六時中一緒に過ごす父は、精神的にギリギリになって、イライラして、寝ながら怒鳴ったり泣いたりしていました。
 
父の目が血走り「このままでは、父が先に倒れてしまう」と感じた私は、看護婦さんやお医者さんに相談し、母を入院させる事にしました。
 
入院が決まった時の母は、ひどく落胆していました。
病院での診察時も「入院したくない」と首を縦にはふりませんでした。それでも私は強行して母を入院させました。
 
私はとても酷い娘です。
その後悔は今もあります。
何が正解だったのか、今でもわかりません。
 
母が入院してわずかひと月足らずで、亡くなってしまい、
「よく見てあげたよ。入院は仕方なかったんだよ」
と、親族は皆言ってくれます。
でも、母が納得してないまま亡くなってしまった事は、私にとって大きな後悔になりました。

キティちゃん新幹線。

2019-06-14 20:50:00 | 日記
新幹線のホームで待っていると
沢山の保育園児達が、手を繋ぎながら
大人達に守られてながら
ホームにトコトコやってきました。
 
「なにごと?💦
と思って見ていたらキティちゃん新幹線が到着!
 
どうやら内装もキティちゃんぽい!
私も慌てて一枚写メりました😁