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秀吉築いた指月城、本丸囲む巨大内堀が出土 本格的な城整備?

2019年09月21日 | 京都のニュース

初期の伏見城跡で見つかった大規模な造成土(20日、京都市伏見区)




内堀跡の造成土から見つかった金箔瓦。豊臣秀吉が好んで用いていた




指月伏見城と木幡山伏見城の位置関係




豊臣秀吉が築いた初期の伏見城(指月(しげつ)城、京都市伏見区)の発掘調査で、天守などのある本丸を囲う内堀跡が見つかり、内堀の幅は想定の倍を超す30メートル以上になることが分かったと市文化財保護課が20日発表した。徳川家による二条城(中京区)の内堀を上回り、秀吉が単なる隠居所にとどめず本格的な城として整備した痕跡を示すという。

 豊臣秀吉は関白職をおいの秀次に譲ると、1592年から現在の観月橋団地一帯の「指月丘」に隠居所となる屋敷の造営を開始。93年の秀頼誕生で天守を備えた本格的な城郭に改築したとされ、96年の大地震で倒壊した。その後、北東の木幡山に改めて伏見城を築く一方、調査地一帯は埋め立てられて武家屋敷などになった。

 同課によると、内堀跡では幅1・7メートル、深さ3・4メートル以上の造成土が堆積し、上には石垣が築かれていた。秀吉が多用した金箔(きんぱく)瓦が土に含まれていた点などから、造成土は木幡山に城が築かれる際に指月城の内堀を人為的に埋めた痕跡で、石垣は武家屋敷になった段階で整えられたとみる。

 内堀の幅は当初15メートルほどと想定。近年の先行調査で今回の調査地から北40メートルで堀東側とみられる痕跡、北西30メートルで西側の石垣が見つかっており、今回の結果を合わせると30メートル以上になることが確実になるという。

 戦国の天下人が京・伏見で築いた城の内堀(最大幅)と比べると、秀吉の木幡山伏見城の100メートルと聚楽第(上京区)の43メートルに次ぎ、織田信長の旧二条城(同)の27メートルや徳川家の二条城の25メートルを上回る。市文化財保護課は「今回は堀の底まで行き当たらなかったが、地形などから深さも15メートルほどに達するとみられる。天下人にふさわしい規模で城を築いていたことを裏付ける」としている。

 調査地は伏見区桃山町泰長老の公務員宿舎敷地内で、3カ所計145平方メートルを8月から調べている。現地説明会を23日午前10時~正午に開く。警報などが発令されている場合は中止する。現地事務所080(4854)9054。

 京都新聞  
 

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