DUKE Train

台湾・京都中心に最新のニュースをお届けします

尼僧像修復で皇室の「秘めた思い」に光 尼門跡ゆかり真如寺

2019年05月07日 | 京都のニュース

修復を終えて4体そろった尼僧像。
右から本覚院宮、高徳院宮、仙寿院宮、月鏡軒
(京都市北区・真如寺)



真如寺(京都市北区等持院北町)に安置されている17~18世紀に作られた尼僧像4体の「素顔」が、国際日本文化研究センター(西京区)のパトリシア・フィスター名誉教授(日本美術史)の調査で見えてきた。劣化が著しかった尼僧像の修復に伴い、1体の像内に収められた大量の墨書が見つかり、これまで不明だった1体の墓所も特定された。江戸期の天皇が、早世した娘をまつったことに始まる尼僧像。そこに秘められた思いの一端がのぞく。

 「忘れられかけた物語を多くの人々と共有できることを何よりうれしく思います」。3月8日に日文研であった自身の教授退官記念講演をフィスター氏はこう締めくくった。「京都の尼僧像にそそぐ光明」と題し、「5年の尼僧像修復が終わろうとするタイミングで、このような時を迎えることができて大変な喜びです」と感慨深げに語った。

 尼僧像4体は、全国でも数少ない尼門跡寺院である宝鏡寺(上京区)の歴代住職を菩提所である真如寺にまつったもので、こうした尼僧像が4体そろって並ぶのは珍しいという。うち3体は天皇の娘で、1656(明暦2)年に後水尾天皇が、早世した娘である仙寿院宮[せんじゅいんのみや]の像を安置したのが最初とされている。

 調査で訪れたフィスター氏が、ひび割れなど劣化が著しかった様子を見て文化財的価値を各方面に訴え、修復に必要な助成金を調達。明治期以来約100年ぶりの修復を実現し、4月に完了した。23日に真如寺で記念法要があり、フィスター氏が研究室長を務める中世日本研究所(上京区)の所員や修復を手掛けた美術院国宝修理所(下京区)の技師ら関係者が参列。真如寺の江上正道住職(46)は「平成の終わりに美しい姿を取り戻し、感無量」と感謝の言葉を述べた。

 修復とともに行われた調査で、尼僧像の実像が浮き彫りになってきた。

 最後に修復された仙寿院宮の像を解体したところ、中に約100枚に及ぶ墨書が収められていた。そこには、経文の一節や和歌が紙の両面に繰り返し書かれていた。フィスター氏は「仙寿院宮が練習で書いたものではないか」とみる。

 20代半ばで亡くなったとされる仙寿院宮。「あまりに早すぎる死を悲しんだ周囲の尼僧たちが、仙寿院宮の部屋にあった墨書をそのまま像の中に収めたのではないか」。フィスター氏はそう指摘する。「通常なら捨てられる文書だろう。謎に包まれた尼門跡寺院の信仰のあり方を物語る貴重な史料で、解析を進めたい」

 唯一分からなかった尼僧の墓所も判明した。

 真如寺境内には、木像としてまつられている4体のうち皇女である仙寿院宮と高徳院宮(こうとくいんのみや)、本覚院宮(ほんがくいんのみや)の3人の墓が宮内庁の管理で特別に区切られた一角に並んでいる。ただ、4体のうち唯一、公家の娘である月鏡軒(げっきょうけん)の墓が不明だった。

 フィスター氏によると、真如寺に残る古文書には月鏡軒が皇女3人の墓の前に埋葬されたことが記されているという。墓前には二つの小さな墓石が並んでいるが、刻まれた文字が風化で見えなくなっており、どちらが月鏡軒の墓なのかは分からない状態だった。

 フィスター氏は特別の許可をもらい、二つの墓石の表面にかすかに残る文字の拓本を取った結果、一方から亡くなった年月日が浮かんだ。その命日が別の人物であることが分かったため、もう一方の墓石が月鏡軒の墓であると判定した。「長い時とともに忘れられた記憶を復元できた」とフィスター氏は喜ぶ。「約100年ぶりによみがえった尼僧像の姿を通して、知られざる尼門跡寺院の世界を見つめ直す機会になれば」

(京都新聞)
 


コメント   この記事についてブログを書く
« ハラール認証しょうゆ、「舟... | トップ | 金門島訪れた中国からの客が... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

京都のニュース」カテゴリの最新記事