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第三部闘龍孔明篇 第5章-4 ディベート審査哲学に関する論争

2018-06-11 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 結果として、ディベートは定常争点という単なるチェックリストではなく、どのように利益が得られるのかという肯定側のシステムと、どのように不利益がもたらされるのかという否定側のシステムの比較に焦点が移ることとなった。
 こうしたシステム理論を応用した審査哲学の信奉者は、常に問題が関知され対応される継続的な変化の世界の住人である。彼らにすれば、課題とはけっして「はたしてこの状態に対応すべきか」ではなく、「どうすればこの状態に最良の対応ができるか」である。ディベートとは、各チームが課題に対して最善と信じる解答を政策の形で提示し、擁護し、ジャッジによりよい案を提示したチームを決めさせるものだと考える。70年代以降、現在に至るまで支配的審査哲学となったのが、この政策決定型審査哲学であった。
 しかしながら、それ以外にもさまざまなメタファーが提唱されてきている。自分自身が全米ディベート選手権優勝者であり、さらにベイラー大学ディベート部監督時代にはコーチとして優勝し、後にカンザス大学ディベート部監督になった“ロビン”・ローランドは、その理由を以下の2点にまとめている。第一に、審査哲学は「パラダイム(paradigm)」としばしば呼ばれるが、パラダイムはいかなる時代においても、成熟した科学的共同体によって受入れられた研究方法論、問題領域、解決案の基準の源泉として機能する。言い換えれば、パラダイムは科学的な世界観(scientific world-view)なのである。その結果、パラダイムは、規範的な科学の過程を左右するような共有された論点とルールを提供する。科学史家トーマス・クーンは、ある法則や理論から見て異常であったり、説明できなかったりする事象や個体をアノマリーと呼び、それには科学的常識や原則からは説明できない逸脱、偏差を起こす現象も含まれている。そうしたアノマリーをよりよく説明できる新パラダイムが生まれ、それが共同体の中で支配的になることはパラダイム・シフト(考え方の枠組の大転換)と呼ばれる。すでに述べたように、70年代に各国政府が幅広い調査と研究に基づき包括的な政策決定を行うようになった結果、定常争点審査哲学が時代遅れとなり、次世代に政策決定型審査哲学がディベート界で支配的になったのが一例である。
 第二の理由は、新しいパラダイムが、科学者がそれを通じて現実を観測するための新しいレンズを提供するという点である。科学者は世界を、その象徴的な表象を通してのみ知りうる。逆に、パラダイムの存在なしには、世界を構成したり解釈したりする何ものも存在しないのである。70年代までの定常争点が審査員にとっての「チェックリスト」であったディベートの審査プロセスが、その後、政策決定型審査哲学の時代になって「旧システムと新システムの比較」に一変してしまったのが一例である。

          

 上記の機能をディベート世界に当てはめてみると、さまざまなパラダイムが理論家やディベート・コーチによって提供されてきた理由がよくわかる。パラダイムは、ジャッジがそれを通して試合を見るための知的枠組みであり、異なった知的枠組みを通して見た場合、同じ議論を見ても異なって見えることがありうるのである。ローランドは、結果として、ディベート理論をめぐる論争は、ますます審査哲学間の争いに集中するだけでなく、特定の理論や戦術がある審査哲学の考え方の枠組みの中でのみしばしば理解されると述べている。


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