オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

アフリカで慕われる日本人起業家

2014-08-30 | 国際
豊富な天然資源を抱え、経済成長著しい「アフリカ大陸」。植民地支配から独立して半世紀が経ち、日本をはじめ世界中の企業が進出し始めている。しかし、彼らの目的は植民地時代の収奪と変わりない。現地人を短期の契約で安く使い、利益は本国に持ち帰る。
 
 先進国の収奪企業から利益を得る国民は一握りだ。大多数の貧困層は、内戦に苦しみ、難民キャンプで援助を受け続ける。自立とは程遠い現実がある。
"アフリカ人の自立"のため、起業し続ける日本人がいる。佐藤芳之氏(74歳)だ。50年近く前に単身、アフリカに渡り、一代で年商30億円、ケニア最大の食品加工メーカー『ケニア・ナッツ・カンパニー』を創業した。さらに齢68にして、その成功をケニア人に譲り、新たなビジネスに挑戦している世界に誇れる素晴らしい日本人だ。
 報道ステーションの取材によると、工場では機械を導入せず、住民の手作業で作業が進む。機械を導入すれば、数百人の雇用が失われるからだ。佐藤氏に話しかける40代の女性は母親の代から勤めていると言う。40年間、会社のおかげで安定した生活を送ることができ、母親は娘に佐藤氏の会社に就職するように勧めたと言う。

 『ケニアナッツ』はマカダミアナッツを中心に紅茶、コーヒーにワインなどを生産・販売し、取引先は、「ゴディバ」や「ネスレ」など世界企業も名を連ねる。工場で働くスタッフに、原材料のナッツを作る農民など、『ケニアナッツ』が生み出した雇用は10万人。その収入で支えられる家族は100万人。人口4000万人のケニアの40人に一人というからその規模は計り知れない。
 
 しかしその道のりは平坦ではなかった。遅刻に無断欠勤は当たり前。食品加工に携わりながら衛生面に無頓着・・・文化や風俗の違いが幾度となく立ちはだかった。
 そこで佐藤氏が持ち込んだのが"社員を大切にする"日本式の経営だった。無料で社員が利用できる医務室。家族が病院にかかれば医療費の85%は会社持ち。10時のティータイム。社員のために独自の社内ローンも設立した。佐藤の誠実さと日本式経営。この2つが相乗効果となりケニア人が自立できる会社が出来たのだ。

 年商30億円にまで成長した『ケニアナッツ』を佐藤は2008年、68歳の時に手放してしまう。ケニアの自立は達成できた・・・だが、自分が本当にやりたいのはアフリカ人の貧困そのものからの脱出だからだ。佐藤氏が向かったのは、ルワンダ。1994年の民族大虐殺で100万人が殺された国で新たなビジネスをスタートさせた。バクテリアを利用した公衆衛生事業だ。ルワンダでは貧困のためにトイレが不衛生、ハエを媒体にコレラや赤痢など貧困に輪をかける病気が蔓延していた。トイレがきれいになれば病気も減り、働く意欲も生まれると考え、トイレビジネスを起業した。佐藤芳之の生き方に共感する若者は多い。ルワンダでトイレビジネスを支える女性社長は34歳だ。
 経営者としてだけでなく、人間としてどう生きたらいいのか。物や情報が溢れ、日本人が忘れてしまったチャレンジ精神と社員を財産と考える心、100万人の“グランパ”と呼ばれる日本人がアフリカにいた!座右の銘はジェームズ・ディーンが残した「永遠に生きるがごとく夢みて、今日、死ぬがごとく生きろ」。まさに佐藤氏の生き様と言っていい。

佐藤氏の著作より
 私が半世紀前から生きているのは、他人の食糧を盗んだ者が当然のように殺されたり、一夜のうちに大事な畑をゾウの群れにめちゃくちゃにされてしまったりするような場所だ。また、4年前からビジネスを本格的にはじめたルワンダでは、たったの100日間で80万~100万人が殺された。
 日本にいると「一人の命は地球より重い」と言われるけれど、アフリカにいると「一人の命はパンよりも軽い」と実感する。動物がサバンナで生き延びるように、誰もが食べるために一生懸命だ。そういう場所から飛行機で16時間ほどで辿りつくと、東京はまるで別世界。何者からも命を狙われないし、無防備な恰好でぼーっと歩いていても危険な目にあうことはない。だから、着いて数時間が経つと、自分が動物であることをすっかり忘れてしまう。肉体ありきの存在であることが頭から抜け落ちてしまう。
 そうして人間になった私は東京の街中で、スマートフォンをいじりながら進む人々のあいだを歩いていき、難しいチャートやパワーポイントを持ち出してくるビジネスマンと話したり、眼鏡をかけた細面の記者や編集者と会ったりする。心地のいい椅子に座ってコーヒーを飲み、ガラス越しにビル群を眺めているうちに、たくさんの言葉が交わされて物事が進んでいく。
 
 このギャップは一体何だろう?
 半年に一度ほど東京を訪れるたびに考え込んでしまう。このあいだ、外資系のコンサルティング・ファームの人と話す機会があった。仕立てのいいスーツと誰からも好感を持たれそうなピンストライプのシャツに身を包んだコンサルタントは、気持ちのいい笑顔を浮かべて私に挨拶をした。
 挨拶のあと、たがいのバックグラウンドについて一通り話し、それからビジネスの話に入った。複雑なデータが分析され、緻密な予測が立てられ、最後に実に理にかなった解決策が提示される。すべてがとてもソフィスティケート(洗練)されていて、ロジカルで美しい。
 彼らはこの地球上でおそらくピカイチの頭脳の持ち主だ。国内外のベストの大学を卒業して、「東京にタクシーは何台走っているでしょう?」「マイクロバスにピンポン球はいくつ詰められるでしょう?」という難問奇問に難なく答えて入社、「アップ・オア・アウト(昇進するか、辞職するか)」の厳しい競争を勝ち抜いていく。彼らはエリートとして社会から一目置かれ、サラリーマンの平均給与よりもずっと高い報酬を手にする。
 思うに、彼らは「人間」の頂点に君臨する存在なのだ。平たく言えば、「一番アタマのいい奴」。動物的なものをとことん削ぎ落として、人間的なものを極限まで高めていく。日本、とりわけ東京という場所は、ニューヨークよりも、ロンドンよりも、世界中のどの都市よりも、彼らのような人材が生きやすい場所だ。身の安全が完全に保証されていて、あらゆる物事が腕力のあるなしではなく、言葉と論理を操る力で決着していく。
 
 先日、娘夫婦が住むベルギーの港町・アントワープを訪ねた。
 ベルギーは1885年、当時の国王レオポルド2世の時代にアフリカのコンゴを私有地化し、1908年からコンゴ民主共和国として独立する1960年まで植民地支配を続けた。その植民地時代にアフリカから持ち帰った収集品が、最近新装されたアントワープ美術館に展示されていた。その美術館へ、私はベルギーの建設・開発最大手のDredging, Environmental and Marine-Engineering N.V.を経営するベルギー人の友人と出かけた。彼は今年のロンドン・オリンピックを手がけ、次回のブラジル、リオ・デ・ジャネイロ・オリンピックでもチャンスをものにしようと虎視眈々と狙っている。要するに、超やり手の実業家だ。館内にずらりと並べられた「収奪の歴史」を二人で眺めていた時、彼がぽつりと言った。「ビジネスの競争はここにある『収奪』と少しも変わらない。『奪うか奪われるか』『やるかやられるか』だ」。世界中でハードなビジネスを勝ち抜いてきたすご腕の彼が、レオポルドヴィル(現在はコンゴの首都、キンシャサ)からベルギーに向けて発つ船の荷役作業を映す古びたビデオを前に立ちすくんでいる。その姿を見て、グッと来るものを感じた。
 私自身も24歳でアフリカ・ガーナに渡ってから、これまでに製材工場からはじまって鉛筆工場、ビニールシート工場、ナッツ工場……と実にいろいろなビジネスをやってきたけれども、彼の言葉には「そうだよな」と共感する。
 
 以前、僕がケニアで経営していたナッツ工場でこんなことがあった。当時、銀行に口座を持っている人などほとんどいなかったし、送金のシステムも整っていなかったので、工場では給料を現金で手渡すことになっていた。すると、その金を目当てに「強盗偽社員」があらわれて、給料をもらう長い列に紛れ込む。すると、その「偽社員」を見つけるやいなや、本物の社員たちは彼を袋叩きにして殺してしまうのだ。そばにいる警備員は見て見ぬ振り。後になってやって来た警察官も「偽社員」の無惨な遺体を見て「よくやった」と褒めている。当然、殺した側が罪に問われることもない。人の仕事の報酬を盗んで人の生存権を脅かす者は、死んで当然なのだ。ビジネス=仕事とは、本来「生きるか死ぬか」の問題、命の問題なんだと、その一件の報告を受けてつくづく思った。
 
 最近、あるIT起業家と知り合った。まだ30代半ばだが、すでに成功し30代前半にして年収は10億円を超えていたらしい。もちろん生活は悠々自適で、ゴルフ三昧の日々を送っている。私の30代前半といえば、結婚したものの定職にも就かず、でも漠然と「留学をしていたアフリカに戻って何かやりたいなあ」と思いながら当てもなくパチンコ屋に通う日々だった。そんなことを思い返しつつ、彼の話を聞いていた。別の日には、FTSEグループに務める女性とも話す機会があった。FTSEグループといえば、ロンドン証券取引所の子会社で債券や株のインデックス(指標)を作っている企業だ。二人には共通するものがあった。それは、「土」への憧れ。アフリカで土地を耕して、ナッツやコーヒーの木を植えて収穫する。そういう本当に原始的で、肉体的な仕事に二人は強く惹かれたらしい。結局、二人には、これからルワンダ、ウガンダ、ブルンジで新たにはじめようとしている農業資材ビジネスに協力してもらうことになった。
 普通に暮らしていれば命が危険にさらされることなど万に一度もないような環境で、頭脳をフルに発揮しエリートとして生きている二人。その二人が、アフリカの地で作物を育てるという、このうえなく泥臭い仕事に惹かれるのは、考えてみれば、皮肉なことだなあ、と思う。
 「未来はアフリカにあるのかもしれない」。50年前に初めて足を踏み入れた時には思いもしなかったけれど、今になると、そう実感する。人類は与えられた頭脳を働かせて、便利なものを次々に生み出し、複雑な経済や社会のシステムを作り出しはしたけれど、最後の最後に求めるのは、人間としてではなく動物として土に触れたり、何一つさえぎるものがない大空を眺めたりすることなのかもしれない。
 
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