データ:2007.3.21 14.00~
グラン・キューブ大阪 メインホール(大阪国際会議場)
ソプラノ スミ・ジョー
ピアノ ヴィンチェンツォ・スカレーラ
曲目
第一部
ヘンデル 歌劇「エジプトのジューリオ・チェーザレ」より
嵐の海で難破した小舟は
ヴィヴァルディ 歌劇「バヤゼット」より 私は妻としてさげすまれ
ヴィヴァルディ 歌劇「グリゼルダ」より 二つの風に乱されて
デラクァ 牧歌
グノー セレナード
アダン 歌劇「闘牛士」より ああ、お母さん聞いて
アン・ジョンジュン編曲 アリラン
第二部
ベネディクト みそさざい
ヘンデル 歌劇「リナルド」より 私を泣かせてください
アルディーティ 口づけ
ヨハン・シュトラウス2世 レモンの花咲くところ
ベッリーニ 歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家」より
ああ、幾たびか
ヴェルディ 歌劇「椿姫」より
ああ、そはかの人か~花から花へ
アンコール
韓国歌曲 同心草(トンシムチョ)
ガーシュイン 歌劇「ポーギーとベス」より サマータイム
オッフェンバッハ 歌劇「ホフマン物語」より オリンピアの歌
韓国歌曲 懐かしの金剛山(クリウン クムガンサン)
ヴィクター・ハーバート イタリアン・ストリート・ソング
よい天気である。
桜はまだだが、会場へ向かう途中、中之島の川辺の遊歩道沿いに植えられたローズマリーが、青空をこぼしたような小花をたくさんつけていた。
グラン・キューブ大阪は、リーガロイヤルホテルの隣にある。
ホテルの中からも行けるので、ロビーを通過して贅沢な気分を盛り上げてからホールに向かう。
しかし会場は、やはりもともとが会議を目的とする場所なので機能的で無機的、ちょっと味気ないのが残念。
だだっぴろいメインホールの前3分の2のみを使用してのリサイタルであった。
コンサート用のホールならまた違った響きがあったのだろうが、そうでなくとも、スミ・ジョーの歌声の真価は十分に知ることができた。
豊かな音色と、緩急・強弱自在の技巧の妙。
美しくも力強さを感じる歌声に、彼女自身の精神性をも見る気がする。
知らない曲が多いプログラムだったのだが、明るい曲調の曲が多く、彼女の歌声に乗って春が来たような感じがした。
「牧歌」は原題を”J'ai vu passer l'hirondelle”と言う。
歌の歌詞はその言葉しか分からなかったのだが、彼女の歌に、本当に目の前を横切る燕(hirondelle)が見えたように思えた。
「椿姫」のダイナミックさは、そこに生身のヴィオレッタが現れたようだった。
アンコールもたっぷりと、異なるタイプの歌を五曲も歌ってくれたが、オペラでの彼女も是非見てみたいものである。
マリア・カラスはどんな歌手だったのだろう、とよく思う。
CDや映像でしか知ることのできない彼女の歌と、現代の歌手の歌とを比較することは難しい。
ただ、同時代にスミ・ジョーがいて、ディミトラ・テオドッシュウがいて、森麻季がいて、等々という今現在を、自分も生きて、百花繚乱の歌を楽しむことができること。
それはそれで、なかなかな世界ではないか。
グラン・キューブ大阪 メインホール(大阪国際会議場)
ソプラノ スミ・ジョー
ピアノ ヴィンチェンツォ・スカレーラ
曲目
第一部
ヘンデル 歌劇「エジプトのジューリオ・チェーザレ」より
嵐の海で難破した小舟は
ヴィヴァルディ 歌劇「バヤゼット」より 私は妻としてさげすまれ
ヴィヴァルディ 歌劇「グリゼルダ」より 二つの風に乱されて
デラクァ 牧歌
グノー セレナード
アダン 歌劇「闘牛士」より ああ、お母さん聞いて
アン・ジョンジュン編曲 アリラン
第二部
ベネディクト みそさざい
ヘンデル 歌劇「リナルド」より 私を泣かせてください
アルディーティ 口づけ
ヨハン・シュトラウス2世 レモンの花咲くところ
ベッリーニ 歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家」より
ああ、幾たびか
ヴェルディ 歌劇「椿姫」より
ああ、そはかの人か~花から花へ
アンコール
韓国歌曲 同心草(トンシムチョ)
ガーシュイン 歌劇「ポーギーとベス」より サマータイム
オッフェンバッハ 歌劇「ホフマン物語」より オリンピアの歌
韓国歌曲 懐かしの金剛山(クリウン クムガンサン)
ヴィクター・ハーバート イタリアン・ストリート・ソング
よい天気である。
桜はまだだが、会場へ向かう途中、中之島の川辺の遊歩道沿いに植えられたローズマリーが、青空をこぼしたような小花をたくさんつけていた。
グラン・キューブ大阪は、リーガロイヤルホテルの隣にある。
ホテルの中からも行けるので、ロビーを通過して贅沢な気分を盛り上げてからホールに向かう。
しかし会場は、やはりもともとが会議を目的とする場所なので機能的で無機的、ちょっと味気ないのが残念。
だだっぴろいメインホールの前3分の2のみを使用してのリサイタルであった。
コンサート用のホールならまた違った響きがあったのだろうが、そうでなくとも、スミ・ジョーの歌声の真価は十分に知ることができた。
豊かな音色と、緩急・強弱自在の技巧の妙。
美しくも力強さを感じる歌声に、彼女自身の精神性をも見る気がする。
知らない曲が多いプログラムだったのだが、明るい曲調の曲が多く、彼女の歌声に乗って春が来たような感じがした。
「牧歌」は原題を”J'ai vu passer l'hirondelle”と言う。
歌の歌詞はその言葉しか分からなかったのだが、彼女の歌に、本当に目の前を横切る燕(hirondelle)が見えたように思えた。
「椿姫」のダイナミックさは、そこに生身のヴィオレッタが現れたようだった。
アンコールもたっぷりと、異なるタイプの歌を五曲も歌ってくれたが、オペラでの彼女も是非見てみたいものである。
マリア・カラスはどんな歌手だったのだろう、とよく思う。
CDや映像でしか知ることのできない彼女の歌と、現代の歌手の歌とを比較することは難しい。
ただ、同時代にスミ・ジョーがいて、ディミトラ・テオドッシュウがいて、森麻季がいて、等々という今現在を、自分も生きて、百花繚乱の歌を楽しむことができること。
それはそれで、なかなかな世界ではないか。






