新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
Augustrait





ブラック・レイン


 この映画の撮影時、松田優作の体はガンに蝕まれていた。幾多の挫折とキャスト変更、不自然な映画製作の帳尻合わせに労した本作の完成までの過程に、彼もまた組み込まれたパーツであった。20年の時を経て、評価といえば演者・松田優作の礼賛の嵐だ。正体不明の殺戮者を狂ったように演ってのけた俳優の有終の美、とするにはあまりに惜しいプレゼンスだった。日米スターの競演ということで目玉とされるはずのマイケル・ダグラス(Michael Douglas)の力演、また高倉健の朴訥な渋みも、松田の死を懸けた凄みに競り負けてしまったのだ。だが、本作の題名と対になって連想されるほどインパクトを残した悪役「佐藤」は、当初は松田が演じる予定になかった。

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左 《松田優作》
右 《リドリー・スコット》


 巡り巡って、最終的に彼の手に収まったこの役の出来栄えは、リドリー・スコット(Ridley Scott)をして「10年に一人の悪役」と言わしめ、ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro, Jr.)が共演を熱望するほど狂気をほとばしらせていた。その直後に松田は世を去った。優れた資質が不意に奪われることの遺憾は、「ダークナイト」(2008)のヒース・レジャー(Heath Ledger)にも通じる感慨だが、松田の場合には延命治療を拒否して激痛に耐えながら撮影に臨んでいた。土気色の顔で迫りくる異常者の鬼気と殺意。本作は、異彩を放つ人物の威光を借りて、長く語り継がれる性質を帯びている。そのような観点から、興味深い映画である。

※以下、作品細部の言及が含まれます。


 ニューヨーク市警殺人課のニック・コンクリンには、麻薬密売の現場で押収された金を横領した疑惑がかけられていた。彼は妻と離婚し、子どもの養育費を捻出するのに汲々としていたことも嫌疑に関係していた。ある昼下がり、若い刑事チャーリー・ヴィンセントと昼食をとっているレストランで、NYのマフィアと日本のヤクザが抗争する現場に遭遇する。そこに異様な風貌の東洋人が現れ、日本のヤクザの幹部と子分を迷いなく刺殺した。ニックとチャーリーは追跡の後、男を逮捕するが、佐藤という名のこの男は、出身の日本国内で指名手配されていた。日本までの護送を命じられたニックとチャーリーだが、大阪空港で待ち受けていた佐藤の仲間(現地刑事を装ったカムフラージュ)にまんまと騙され、佐藤を彼らに引き渡してしまう。銃を押収され、大阪府警の警部補・松本正博の監視下に置かれたニックらは、クラブ・ミヤコのアメリカ人ホステス、ジョイスから大阪の界隈を牛耳るヤクザの親分菅井と佐藤が敵対しているとの情報を得る。クラブからの帰り道、佐藤と暴走族に取り囲まれたチャーリーは、ニックの目の前で嬲り殺される。


(C) Paramount Pictures,Pegasus Film Partners 1989

 佐藤への復讐を誓ったニックは、松本と協力し、クラブ・ミヤコのミユキというホステスが佐藤の情婦であることを突き止めた。日米の捜査方針の違いから、事あるごとに反発するニックと松本だが、徐々に信頼関係を結んでいく。激しい銃撃戦の末、ニックは佐藤をあと一歩のところまで追いつめたものの、逮捕直前で大阪府警に邪魔され取り逃がす。身勝手な行動を咎められ、国外退去処分を受けるニック。一方、松本も謹慎処分を受けていた。しかし、佐藤逮捕の執念を絶やさないニックは、監視の目を盗んで離陸寸前の飛行機から脱出し、松本の自宅を訪ねた。停職中の身で協力はできないと渋る松本に見切りをつけ、単身で菅井に接触したニックは、佐藤が談合をする農家に連れていかれる。駆け付けた松本の支援を受け、銃撃戦と格闘戦の末、佐藤を逮捕することに成功した。大阪府警から凶悪犯逮捕の功績で表彰されたニックは、松本に見送られ母国へと帰還するのだった…。


(C) Paramount Pictures,Pegasus Film Partners 1989


 別にどうというシナリオではない。相棒の殉職、異文化からくる衝突を乗り越えて協力体制を敷き、事態を解決に導くバディ・ムービーであるし、むしろ凡庸な印象は拭えない。しかし、スコットの演出は冴えている。「エイリアン」(1979)「ハンニバル」(2001)で見せた採光の美麗さは見事だ。光の使い方で、ファンはスコットのフィルムかどうかを見分けることが可能だという。本作の舞台は初め、東京の歌舞伎町が予定されていた。「ブレードランナー」(1982)で描かれたような雑多な異国情緒が期待されたためだ。製作費4,200万ドル(約59億円)を投じて、アメリカの刑事が日本の混沌とした暗黒街で活躍する作品を撮りたかった。しかし、思いのほか1980年代の日本は整備され、近代的であった。撮影の手筈を整えようと動き始めたスタッフだが、日本警察は極度に硬直化した官僚機構だったことが障害となる。東京の交通規制の協力がほとんど得られず、まずそこでつまずいた。撮影のための交渉が決裂し、やむなく協力的姿勢を見せてくれた大阪府警管轄の関西地で撮影がなされることとなった。
 スコットの画面演出のこだわりは妥協がなかった。印象的に登場する道頓堀のキリンプラザのネオンの眩しさ、スモークが焚かれ蒸気と汚れが横溢する大阪の情緒が描かれていく。京橋のパチンコ店、十三の歓楽街、そこで飛び交う関西弁や食文化をスコットは気に入った。撮影には大阪だけでなく神戸の地も使われたが、候補地には京都や香港も上がっていた。しかし、大阪の雰囲気を本作の舞台にしようと決めた心境を、スコットは語る。

<大阪は大都会だが美しく、日本のいろいろな面を持った街>*1

 日本三大都市・東京、大阪、名古屋。佐藤がヤクザの親分菅井と対立していることをジョイスから聞き出したニックは、「そのことを誰が知っているんだ」と彼女に尋ねる。すると、鼻で笑いながらジョイスは答えた。「1,100万人が」そう、この大都会ではヤクザの抗争は日常茶飯事、そして雲隠れすることは容易なのである。月並な名字に凶悪さを隠して潜伏することなど、NYの刑事に見破られるはずもないのだ。
 “黒い雨”とは、いうまでもなく原爆投下後に降り注いだ放射能を含む雨のことである。その歴史的事実に映画は直接リンクするものではないが、菅井の口からシンボリックなメタファーが語られる。それは、アメリカが発信してきた文化や価値観のなれの果て、侵食である。その副産物に貴様らアメリカ人は責任を取ろうとしていない、という叱責にも近い。日本人にもその咎はある。敗戦の雨に打たれ、本来の美徳を見失い、拝金主義にまみれて日本人は「空っぽ」になってしまった、とした三島由紀夫の憂慮と軌を一にする意見だ。本作が公開された1989年は、NYのロックフェラーセンターを三菱地所が2,200億円で買収した年でもある。海外資産買いあさりの象徴的な例として、日本人の蛮勇に対する“冷笑”と、「ジャパンマネー」の“脅威”が同時に評価として寄せられた。超大国アメリカを経済面で脅かす日本に対する嫉妬と怒りだ。「わりゃ、ホンマに殺したろかい…」と凄む若山富三郎もすごいが、ヤクザは戦後の混乱から生まれ、シマの獲り合いに鎬を削って来た。彼らは戦争の副産物として生まれてきた側面がある。大阪でその頂点に君臨する菅井も、彼に楯突く佐藤も“黒い雨”の宿命を背負っていることに違いはない。
 さらに、「タバコしかもってねーよ!」「英語はわかんねーんだよ!日本語でしゃべれ!!」とマイケル・ダグラスに食ってかかるチンピラを演じたガッツ石松の存在感は相当なものだ。少年時代から憧れだった高倉健と共演できたという点でも、本作はガッツにとって節目となる作品となったはずだが、芸域が狭くとも強烈な印象を残せるいい役者である。


(C) Paramount Pictures,Pegasus Film Partners 1989


 戦後間もなく、山口県下関に生まれた松田優作は、石原裕次郎など映画スターに憧れながら、いつか自分も映画俳優になることを夢見ていた。今では竹中直人、織田裕二、木村拓哉ら熱烈な松田ファンが俳優業にいそしんでいるが、当然ながら松田にもスターに憧れる時期があったのだ。ドラマ「太陽にほえろ!」(1973-1974)で人気を博し、「蘇える金狼」(1979)「野獣死すべし」(1980)でアウトローなアクション俳優としてスターダムを駆け上がる。しかし、キャリアを積むにつれアクションに劣らぬ俳優としての個性を模索するようになっていく。本作はそのすべての総決算といっていい仕上がりになっているが、総花的ではない。最後まで素性が明かされず、どれほど追い詰められようとも不敵な笑みを消さずに、比類なき闘争心でふてぶてしい態度を崩さない。おそらく佐藤という名前も偽名だろう。
 撮影当時、彼は妻子にも病状を伏せていた。進行性のガンのことを知っていたのは、安岡力也ただ一人だったという。佐藤役は、もともと奥田瑛二が引き受ける予定だった。ベルリンで「海と毒薬」(1986)を見たスコットが、奥田の存在を気に留めていたためである。しかし、スケジュール上折り合いがつかなかった関係で、オーディションが行われた。このときスコットら関係者と面接を行ったのは、松田以外には小林薫、根津甚八、萩原健一、遠藤憲一、荻原流行らがいた。松田はこのオーディションでネクタイを手錠に見立て、圧倒的な存在感で採用を勝ち取った。演技力と風貌が買われ、英語力は二の次であったとスコットは述懐している。松田は、撮影に臨む前から微熱が続いていたというから、病をおしてニヒルな佐藤を演じ抜き、それが遺作となることも当然覚悟していたのだろう。


(C) Paramount Pictures,Pegasus Film Partners 1989

 監督もリドリー・スコットが望まれたわけではなく、ポール・バーホーベン(Paul Verhoeven)が降りたためのバトンタッチとなった。しかし、このことが大きく作風を変えることになる。先述のように、スコットは写実性で知られる監督だ。本作でも現場では常にスモーク・マシンと散水車が待機し、いつでも出動できるようになっていた。映画全体の3分の2が大阪で撮影されるが、日本のクラブに勤務する外人ホステスという設定のケイト・キャプショー(Kate Capshaw)の登場シーンは、すべてアメリカで撮影された。だが大阪の道頓堀と室内の行き来を上手く編集されているため、全くといっていいほど不自然さはない。要は、大阪の撮影が難しいシーンはアメリカに場所を移して撮影するという苦肉の策が取られたが、それを実に巧く取り繕うことができたのである。この神経の細やかさは、おそらくバーホーベンには求められない。あくまで仮定の話だが、作品にグロ、ビッチ描写を欠かさないバーホーベンであれば、まったく色合いが異なる東京あるいはそれ以外の日本の大都市がお目見えしたはずだ。
 また、高倉健が演じた松本役は、ある程度の英語力が必要とされたため、「ラストエンペラー」(1987)で見事な発音を披露した坂本龍一に依頼が行く。けれども、自分とはあまりにイメージが違うという理由でこれを辞退、そこそこの語学力と抜群の知名度を誇る高倉に落ち着いた。本作での高倉は、日本人の義理と縦割り行政に縛られた中間管理職にある刑事を抑制的に演じたが、少し大人しすぎる気がする。だが、ダグラスの扱いに手を焼く様子と松田に翻弄される微妙な匙加減に演技をころがしていることに気づけば、きっとその緻密さに会心がいくだろう。

 松田優作の映画キャリアを締めくくる本作は、様々な製作事情に振り回された挙句に一定の場所に落ち着いた結果、人物として松田だけが一歩浮上する構図となった。その意図は誰がどの程度、展望していたのか知る由はない。けれども、映画史に残る悪役を演じ切った松田の功績が繰り返し取り上げられるのには、それなりの理由がある。たとえそれが彗星のように現れ、すぐに去った副産物(黒い雨も副産物という暗喩が思い出される)としての存在であったとしても、きっとその光芒はフィルムに残り続けていくのだから。


(C) Paramount Pictures,Pegasus Film Partners 1989

キングダム・オブ・ヘブン アメリカン・ギャングスター エイリアン

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Title: BLACK RAIN
Director: Ridley Scott
Cast:
 Michael Douglas
 Andy Garcia
 Ken Takakura
 Kate Capshaw
 Yusaku Matsuda
▽125分 / アメリカ / 1989年
(C) Paramount Pictures,Pegasus Film Partners 1989

*1 映画に出てくる大阪




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