新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
Augustrait





[提供:実業之日本社]
 トレーラーの走行中に外れたタイヤは凶器と化し,通りがかりの母子を襲った.タイヤが飛んだ原因は「整備不良」なのか,それとも….自動車会社,銀行,警察,週刊誌記者,被害者の家族…事故に関わった人それぞれの思惑と苦悩.そして「容疑者」と目された運送会社の社長が,家族・仲間とともにたったひとつの事故の真相に迫る,果てなき試練と格闘の数か月――.

 自動車のリコール隠しを野放しにした結果として起きた死亡事故.この小説のモデルとなった事故は,三菱自動車のリコール隠しによるトレーラーのタイヤハブの破損事故(2002年)だった.三菱自動車は,2000年の大量クレーム隠し発覚時にも,虚偽説明と隠蔽を繰り返したことが追及されている.しかし,巨大企業の体質が変わるはずもなく,旧財閥系であることも胡散臭さを増幅させていた.いくらか邪推を差し引いたとしても,欠陥隠しを行う巨大資本から圧力をかけられ,整備不良を疑われて廃業寸前に追い込まれた中小運送会社では,猛禽類に歯向かうスズメにも等しい.

 現実の三菱自動車に対する批判として,顧客に軸足を置かない企業優先の論理,大企業特有の縦割組織の弊害などが関係者から指摘された.凡庸で見当外れな批判である.旧財閥系に限ったことではないが,大企業による資本と経営の分離の恐ろしさは,出資機構と経営機構とが別々の部門とアクターによって分担され,それによって権限の格差が生み出されることにある.本書は経済エンターテインメント小説であるが,窮地に追いやられる中小運送会社社長の奮闘だけでなく,資本と経営の分離をしっかり描き込んでいたことに好感をもった.三菱自動車は1970年に三菱重工業から独立したが,2000年代前半には,広義の三菱グループ需要向けの売り上げが50%近かった.

 東京三菱銀行と三菱商事から投融資を受ける三菱自動車は,グループ役員の合同会議での発言権は伝統的に弱い事実があって,保守的な体質が守られてきたと思われる.要するに財布のひもを握る出資機構に,ほかの部門は頭が上がらない.直径1m幅28cm,ホイールを合わせると重さは約140kg.走行中の大型トレーラーから外れて空を切ったタイヤは凶器となり,散歩中の主婦の背中を直撃して命を奪った.その人は二児の母だった.事故以前に39件の車軸と車輪をつなぐ部品「ハブ」の脱落事故があったことを知りつつも,三菱は整備不良によってハブが破断すると主張,リコールを回避し続けたのである.

 悪魔に魂を売るような話だが,日本では,賠償額は基本的に実損害に限られるので,人身事故で死者が1人出たとしても「1億円程度」で済む.大型車両ではない自動車を120万台リコールすれば,そのコストは250億円程度であるから,人が数十人死のうと,不買運動に発展しない限り,リコール費用に比べれば安上りと算盤を弾くことができる.小説であっても,さすがにここまでは踏み込んではいないが,欧米では広く認められている制裁的慰謝料――悪質な加害行為に対し,実際の被害以上に高額な慰謝料の支払い義務を課す――は日本に馴染まない,という理由で2審でも最高裁でも認めなかった現実の司直判断こそ,闇といわねばならない.


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原題: 空飛ぶタイヤ
著者: 池井戸潤

ISBN: 4408534986
  • 『空飛ぶタイヤ』池井戸潤
    --実業之日本社,2006.9
    (C) 2006 池井戸潤




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