新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
Augustrait





フーリガン戦記


 1993年5月に開幕したJリーグで、日本のサッカーはプロスポーツとして暁を迎えた。だが国際的に関心を集め、次に評価されたのは日本のサッカー水準でも、協会のマネジメントでもなかった。それは、日本人のサッカー観戦のお行儀の良さだったのである。日本のサポーターのマナーの高さは、試合終了と同時に持参のビニール袋を取り出し、一斉にゴミ拾いをする姿に象徴されていた。これを海外のメディアは驚きをもって自国へ紹介したが、そこにはいくばくかの揶揄も込められていた。おもにデンマークのサポーターにみられる、紳士的で穏やかな観戦態度の礼儀作法。これを「ローリガン」といい、サッカースタジアムの内外で暴徒化する過激なサポーター=フーリガンとは対極に位置する。なぜサッカー観戦をするギャラリーが暴徒化する国もあればそうでない国もあるのか、これまで説得的な実証はない。また、なぜサッカー(フットボール)でフーリガンの発生が顕著なのか。これも分からない。しかし、フーリガニズムがスポーツを媒介として何らかの社会的暴力制御のほころびとして現象していることは明らかなのである。

第一部 カーディフ郊外のとある駅
 マンチェスター
 トリノ
 サンダーランド
 マンチェスター
第二部 ベリー・セント・エドマンズ
 ケンブリッジ
 フラム、ドーズ・ロード
第三部 デュッセルドルフ
 サルデーニャ
訳者あとがき


 応援するチームの勝敗やゲーム内容にかかわらず、相手サポーターやチームに因縁をつけて暴れることを目的とする輩が存在する。これが、試合の勝敗結果のフラストレーションやカタルシスを騒ぎの理由とする熱心なサポーターとフーリガンの違いと思えるが、最も性質の悪いフーリガンの生息する地域、それがイングランドである。特にミルウォールのフーリガンは、ロッド・スチュワート(Roderick David Stewart)の曲「セイリング」の歌詞を「俺たちはお前らが嫌いだぜ」と替えて大声で歌い、敵意むき出しで威勢を誇示する。ピッチに乱入して相手の選手を殴りつけたり、線審にコンクリート片をぶつけて病院送りにしたり、とにかくフーリガンの暴挙はすさまじかった。ミルウォールのかつてのホーム・スタジアム「デ・サン」は、フーリガンの挙動により1920年から1978年までの間に5度もFAからスタジアムの使用禁止を命じられ、フーリガンに恐れをなした相手チームはコーナーキックの権利を放棄し、試合続行のためゴールキックに変更されたという信じがたい記録も残っている。
 国外遠征するチームの後追いをしてまで、暴動をおこしまくるのはイングランドのフーリガンくらいなもので、今やフーリガンといえばイングランドの熱狂的サポーター、と代名詞とされるぐらいに認知されてしまっている。しかし、フーリガンが最初に発生したのはイングランドではなく、オランダのユトレヒトのスタジアムだったとされている。移動の容易な立ち見席しか用意されていなかったため、興奮したサポーターの衝突を招きやすい構造となっていた。1980年代にイングランドとドイツに波及したフーリガニズムだが、1985年5月の「ヘイゼルの悲劇」により、イングランドの一部サポーターのフェアプレイ精神の欠如、非紳士的態度を世界に印象付けることになった。

 1985年5月にベルギーの首都ブリュッセルにある「ヘイゼル競技場」で行われた欧州チャンピオンズ決勝戦、リヴァプール(イングランド)対ユベントス(イタリア)の試合一時間前には、双方の観客席である立ち見席はすでに埋め尽くされ、フェンス一枚を隔てて彼らはたがいに挑発と牽制を繰り返していた。苛立ったリヴァプール側のサポーターは爆竹や瓶をユベントス側に投げ込み、多くのサポーターがフェンスに群がりスタジアムの緊張は極限まで膨張していた。両チームのキャプテンが事態の鎮静化のため呼びかけたが、誰も耳を貸さない。ついにフェンスが押し倒された時、両サポーターが入り乱れ、その場から逃げようとする者と逃げ遅れた人々、さらに多くの人がよじ登った壁が崩れ落ち、阿鼻叫喚のカオスと場は化した。あろうことか群衆に向かって発砲したり火炎瓶を投げ込む者までが現れ、混乱と怒号のうちに死亡者38人、負傷者425人を出すという大惨事となった。犠牲者の多くはイタリア人であり、当時の英首相マーガレット・サッチャー(Margaret Hilda Thatcher)はただちに全ての遺族に政府から8,000万円の弔慰金を贈ることを決定し、「スポーツの試合(アルコールの統制など)に関わる法律」をその年のうちに議会に提出して成立させた。この「ヘイゼルの悲劇」により、イングランドのフーリガニズムは世界的に有名なものとなり、強烈なインパクトを世界にもたらしたのである。

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《ヘイゼル・スタジアム》


 ビル・ビュフォード(Bill Buford)は、アメリカに生まれカリフォルニア大学バークレー校で学び、ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジで英文学を専攻した。卒業後、ロンドン発行の文芸雑誌『グランタ』の編集長を務めた。あるとき、ウェールズから列車で家に帰ろうとしたら、列車はサッカーのサポーターで乗っ取られていた。彼らが何百人と乗り込んでいたその列車は、「リヴァプール、ラララ、リヴァプール、ラララ」の大合唱。200人の巡査が待機し、ビュフォードは家に着くまで4度も列車を乗り換える羽目になった。うち3本はサポーターに乗っ取られ、1本は破壊されていた。

<暴力がひとつの抵抗であることは一目瞭然だった。そうであれば理屈がつく。すなわち、サッカーの試合は鬱積された強力な本能に捌け口を提供する、ということである。これほど大量の若者が職を失ったか、あるいは一度も職につけずにいる。したがって、暴力はある種の造反――社会的造反、階級的造反、とにかく「なにか」――である。ぼくはそれから先を知りたいと思った>*1

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左 《ビル・ビュフォード》
右 《フーリガンによる暴動》


 レポの取材方法は実体験が最適だ。フーリガニズムは徒党を組んだ暴力的行為である。彼らがどのような行動原理で構成されているかを知るために、イングランドのフーリガンに加わり、「部外者」の視点を悟られぬよう行動を共にしてみせる。暴力的群集の記述は、群衆が狂乱し、行為が明らかに「不合理」となる瞬間をスナップショット的に描写する。アメリカ国籍で知識階級に属するビュフォードは、80-90%が労働者階級であるとされているイングランドのフーリガン構成員からみれば明らかな異分子である。時には暴動の加担者として逮捕されそうになり、また仲間意識を疑われぬよう、イニシエーションとして彼らに行動を同調してみせなければならない。まさに儀礼的暴力を通じたロイヤリティだ。本書には、それらの体験が余すところなく盛り込まれている。
 フーリガンの語源には諸説がある。1898年にロンドンのいたるところで徒党を組んだ若者が民家や商店街を破壊して回り、通行人に略奪行為を働いた大暴動が起こった(1898年大暴動)。第1に、同時期に、金持ちを装って自転車ブームに乗ったビジネスを上流階級に持ちかけた「フーリー」という詐欺師に由来するという説。第2に、1898年大暴動で逮捕された不良グループ「フーリーズ・ギャング」のリーダー・アイルランド人ボクサー「フールハン兄弟」の発音からくるという説。第3に、やはり1898年大暴動で警官を殺害して逮捕され、獄中死を遂げたパトリック・フーリガン(Patric Hooligan)に畏敬の念をもって称するようになったという説。いずれも19世紀の終わりにロンドンを拠点として活動していた無法者の名前からきているが、彼らはいずれもアイルランド系である。したがって、「フーリガン」という名詞が英語ではなくアイルランド語からきている理由に大きな説得力を与えている。

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左 《ヘイゼルの悲劇》 1895
右 《イングランド VS スコットランド》 1877


 しかし、サッカーに関わる暴動は何もイングランドに特有の現象ではない。国境を越えて大暴れするのはイングランドのフーリガンに多いことは事実だが、ペルーで行われた1964年のペルー対アルゼンチンの試合では暴動で300人の死者と5000人を超す負傷者を出しているし、1996年から1999年までの3年間でフーリガニズムによる殺人は、アルゼンチン:39人、イタリア:5人、イギリス:3人、オランダ:1人となっていて、フーリガニズムがイングランドに固有であることにはならない。しかし、本格的にフーリガンとフーリガニズムが取り上げられたイングランドを嚆矢として、ヨーロッパ圏を中心に拡大していった様相が看て取れる。
 イギリスの伝統的なパブリックスクールでは、スポーツによる人格形成を重んじフェア・プレイ精神を鼓舞してきた。もともとサッカーの起源は中世の祭礼の時に行われたストリート・フットボールであったとされるが、場合によっては千人単位でボールを奪い合い、野山を越えて無秩序になだれ込みながら行うものだった。競技というより闘争的な催しだったのである。パンクラシオンというギリシアの異種格闘戦士、ローマの拳闘士は、理性的な文明がスポーツを秩序立てるのとは程遠い。過酷な肉体の行使が精神文化に寄与するものとされたのは、西洋では近代に入ってからのことであり、ノルベルト・エリアス(Norbert Elias)は『文明化の過程』『スポーツの文明化』でこれを人類の長い歴史の中でスポーツが獲得してきた「文明」として概念的に位置づけて見せた。その論理にエリアスの弟子エリック・ダニング(Eric Dunning)らが『フットボール・フーリガニズムの起源』で「下層労働者階級の『自己実現』」のための暴力の先鋭化、という視点で論じた。

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左 《マーガレット・サッチャー》
右 《ノルベルト・エリアス》


<「フットボール・フーリガニズム」は、「文明化」が「中間階級」のみならず「リスペクタブルな」労働者をも組み込んでいくとき、「下層労働者階級」に生じた現象である。それまで「よりラフな労働者」の「暴力」は、「文明化」に入れないという構造的条件のもと、ありふれて存在していた「階級のハビトゥス」であった。しかし、「文明化」が社会の多くを覆おうとするとき、その「外部」にいる彼らにとって、「暴力」が自らを「区別」して「自己実現」を獲得するための意味を帯びたものになる。同時に、「文明化」による暴力への「感受性」の上昇は、彼らの「暴力」を注目されるものにし、意味獲得の手段になりうるものに変えていく。彼らはただ暴れるのではなく、「意味」のために暴れる。だから、この「暴力」は先鋭化していく。この現象は、「文明化」が進展した社会で、少数化しながらその「外部」にいる人々に、はじめて生じる「脱文明化」=「暴力」なのである>*2

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《オーストラリアン・ルールのフットボール》 1866


 近代的なスポーツとしてサッカーが認知される過程で、「暴力」と「プレイスタイル≒技術」が不可分に結びついていた競技の再構成が行われる。ボクシングやアメフト、ラグビーに典型的に表されるように、それは暴力をスポーツが合理的に採り入れていった過程であり、社会的な「暴力制御」ともいえる機能を社会が獲得していったプロセスともいえるだろう。エリアスは、「スポーツはまず、競技者に重傷を負わせるような暴力的行為をできるだけ排除する人間の競争的努力」であったとし、その傾向(「スポーツ化」の努力)は依然としてそうである、と述べている。イングランドのフーリガンを大々的に報じたメディアは、フーリガンらの制圧の手段を求め、糾弾すべき性質をこの集団に求めた。すなわち、「多数流入してきた移民に職を奪われた憤り」「人種差別的な行為」「野蛮で粗野で無知で貧乏な労働者階級の若者」「若者たちの自己表現の機会の不在」…こういった集団像を作り上げ、アングロ・サクソンのフーリガン現象に固定化した概念を与えてしまった。フーリガンは注目される存在になり、スポーツの文明化によって克服されたはずであった「近代以前の暴力性」がサッカーのフィールド外に残ったまま爆ぜる危険因子、としてその愚行が批判される立場に押し上げられたのである。
 イギリス社会問題研究所(SIRC)が1996年に公表した「ヨーロッパにおけるサッカーに関わる暴力」には、各国固有の要因(歴史的、社会的、政治的、文化的)がフーリガン問題に影響を与えていると述べられた。イングランドでは社会階級、スコットランドや北アイルランドでは宗教間対立、イタリアでは地域間摩擦が指摘できるという。1990年代にはフーリガンによる暴動はある程度鎮静化の兆しをみせていた。1999年にはイングランドとウェールズのフーリガンに対して内外のサッカー観戦を禁じる「サッカー(侵害行為および違法行為法)」が成立した。しかしながら、2000年6月に開催されたサッカーヨーロッパ選手権でイングランドのフーリガンによる暴行が起きた。2002年に日韓共同でワールドカップが開催された際、懸念されていたフーリガンによる暴動は起きなかった。そのため、「フーリガンはメディアによる虚構」とまで言われたが、現実には入管法の改正で65人の危険人物が日本への入国を拒否されていた。2006年ワールドカップの開催国に名乗りを上げていたイングランドだが、フーリガン対策の決定力となるものが見当たらず、むしろ危険地帯で国際的なスポーツ・イベントを開くことのリスクを考えれば、あえなく落選したことも当然という気がする。

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《日韓ワールドカップに沸くソウル市庁前》 2002

<その肉体性は強烈である。…中略…それを野蛮と思わぬ者は、イングランドのサッカー観戦に非常に親しみ、自分に何が期待されているかを確実に知っていると思いこんでいるあまり、自分の振舞が――もっとも平凡なものごとにおいてさえも――いかに逸脱しているかを理解しえぬ者たちなのである>*3

 盤石なフーリガン制圧策は今のところ存在しない。ビュフォードも本書で安易な解決策の提示は意図していない。ただ、観戦者という行為が「絶え間なく」肉体的であるスポーツとしてサッカーをとらえ、その中心に身を置いて逸脱者のグルーヴに晒された。フーリガンを「群衆暴力の一形態」と解釈した一般市民が、その暴風雨の中で体験した克明な記録は、スポーツの周縁で相対化された暴力で形成されたスポーツのハビトゥスを明らかにするだろう。

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《熱心に観戦するイングランドのサポーター》

フーリガンの社会学 サッカーの情念(パッション) フーリガン

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Title: AMONG THE THUGS
Author: Buford, Bill
▽『フーリガン戦記』ビル・ビュフォード ; 北代美和子訳
-- 白水社, 1994
(C) Bill Buford 1991

*1 本書、p.11
*2 「脱文明化」と「暴力」
*3 本書、pp.192-193




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