新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
Augustrait





[提供:毎日新聞出版]
 12年前,クリスマスの早朝.東京郊外の野川公園で写生中の元中学美術教師が殺害された.犯人はいまだ逮捕されず,当時の捜査責任者合田の胸に,後悔と未練がくすぶり続ける.「俺は一体どこで,何を見落としたのか」…そこへ,思いも寄らない新証言が――.

 点と線をつなぐ社会派ミステリーの雰囲気を漂わせながら,結ばれるべき中心点は即座に消え失せる.座標のしるべを失った周囲の点は,無目的にただよい収束の気配も知らぬままに拡散と接近を無秩序に繰り返す.そのうち,物語らしき筋道も消えてなくなる――高村薫にしては珍しい実験小説.中心点と置かれた"少女"は,中学時代は男子生徒に回し蹴りを喰らわす活発な女の子であり,女優志望だったこともあり,ゲームセンターに入り浸って「太鼓の達人」に熱中することもあり,不良グループと接して大人を挑発し,性的早熟からか下着を男に売りさばくことも覚えた.

 過度の問題行動はあれど,女の魅力に磨きをかけ,いずれ男たちを翻弄する資質――パーソナリティ――を十分に窺わせ,生命力も期待できる"少女".27歳になった彼女があっけなく命を奪われてから,本編は幕を開けるのだ.新約聖書「ヨハネの手紙第三 真実な行ない」で使徒の複数の証言を集めたヨハネでも,真理のうちに歩む者とそうでない者を慎重に選り分けた.「悪を見ならわないで,善を見ならいなさい.善を行なう者は神から出た者であり,悪を行なう者は神を見たことのない者です」.

 かつて警視庁捜査一課に所属していた合田雄一郎も,すでに前線を退いて警察上級幹部を育成する警察大学校教授の立場にある.数々の凶悪犯を追ってきた彼も,12年前の元美術教師の老女殺害遺棄事件で,当時15歳の"少女A"を捜査線上におさえておきながら,被疑者として責めを与えることはしなかった.12年の間,少女Aはどこで,どのように過ごしていたのか.そして誰と――?武蔵野と呼ばれるのどかな丘陵地帯,西武多摩川線・新小金井駅,多磨霊園,連雀通りは12年の日月にさほど変化を見せておらず,住まう人々の脳裏から「未解決事件」の記憶は薄れている.

 過去から現在を行き来し,多数の人物の多視点群像で描写が淡々と,時に冗長に重ねられている.武蔵野にある警察学校で教壇に立つ合田の講義範囲は,捜査技術だけでなく法務と司法法制まで及ぶ.熟練の刑事捜査官として栄達はものにしたが,定年までの数年間を過ごす日々は侘しい.盟友で特捜検事の加納祐介は心臓を患い入院中で,死の影も感じ取っている.渾身の力で描かれてきた登場人物が,小説空間の中で現実に抗えず老いゆく姿を読むのは寂しいものだ.武蔵野の群像記憶のなかで,多面体としての少女Aに見事に対比されている男たちが印象深い.


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原題: 我らが少女A
著者: 高村薫

ISBN: 9784620108421
  • 『我らが少女A』高村薫
    --毎日新聞出版,2019.7
    (C) 2019 毎日新聞出版




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