新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
Augustrait





[提供:新潮社]
 身よりもなく,まったく無知で動物的だった盲目の少女ジェルトリュードは,牧師に拾われ,その教育の下でしだいに美しく知性的になっていった.しかし待ち望んでいた開眼手術の後,彼女は川に身を投げて死んでしまう.開かれた彼女の眼は何をみたのだろうか.牧師と盲目の少女,牧師の妻と息子との4人の愛情の紛糾,緊張を通して「盲人もし盲人を導かば」の悲劇的命題を提示する――.

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)の《交響曲第6番》(田園)には,各楽章に標題が付されている.第一楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」,第二楽章「小川のほとりの情景」,第三楽章「田舎の人々の楽しい集い」,第四楽章「雷雨,嵐」,そして第五楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」.この曲は,情景イメージ豊かな標題音楽の先駆をなすものと理解されているが,ベートーヴェンの作曲譜には,「どんな場面を思い浮かべるかは,聴くものの自由に任せる」「音の絵というより感覚というにふさわしい」と走り書きが遺されている.

 盲目の少女ジェルトリュードは,牧師に連れられた音楽会の帰り道,《交響曲第6番》の感動から彼に問う.「あなたがたの見てらっしゃる世界は,本当にあんなに美しいのですか?」.無知で衝動的だったジェルトリュードに,牧師は「罪」「死」「罰」「憎悪」といったものは避けた人間教育プロセスを用意した.開眼手術成功でジェルトリュードが目の当たりにしたものは,「耳で聴く」ことの幸福を信じていた先天盲の自分と,牧師を取り巻く人々の暗い表情――くすんだ魂の証左――であった.

 人生に美点は認められず,この世界に生きる自分もまた,恩人との関係において罪人である.これが世界の「実相」であることに,ジェルトリュードの内部が激しく動揺する.宗教者の欺瞞と欲望に捧げられたのは,“外界の認識”が脆弱であるために壊れやすい殻に包まれた少女の魂.牧師の主知主義的実験は敗北したのである.第一次世界大戦中,福音書に耽溺したアンドレ・ジッド(André Paul Guillaume Gide)は,イエス・キリスト(Yhoshuah ha-Mashiah)の説く教えのすべては,慈愛にまつわるものと解釈したが,その自由解釈に限界を覚える.ジッドはついにプロテスタントから改宗することはなかった.

 マルク・アレグレ(Marc Allegret)との同性愛関係で,ジッドの夫婦関係は危機的状況であった時期に,福音書15:14「盲人が盲人の道案内をすれば,二人とも穴に落ちてしまう」という言葉から着想を得て本書は書かれたという.複雑な構成をもたず,筋の拡散もなく,整然と1つの物語が1つの視点から叙述される.ジッドの文学において,本書は『背徳者』『狭き門』『イザベル』『女の学校(三部作)』らと同じ作品カテゴリーに属する物語である.

狭き門 (新潮文庫)
ジッド
新潮社

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Title: LA SYMPHONIE PASTORALE
Author: André Gide

ISBN: 410204504X
  • 『田園交響楽』アンドレ・ジイド ; 神西清 訳
    --新潮社,1951, 改版, 114p, 20cm
    (C) lapse




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