新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
Augustrait





ダークナイト


 映画の完成度を測定する指標は様々にある。上映の興 行成績や映画評論家による映画史上の位置づけ、俳優・監督・製作指揮者等のキャリアアップや集大成、あるいは方向路線の転換といわれるだけの風格の有無、そして何より、その映画を目の当たりにした観客の支持の強さである。オーディエンスの脳裏へ強烈に刻印された印象は、記憶をさえ凌ぐことがある。これらの要素がバランスよく満たされた場合、いわゆる「成功作」となり長く語り継がれる映画の風格を備えたということになる。近年では稀に見る、そのポテンシャルを感じさせる映画が登場した。ある俳優が撮影終了数ヶ月後、薬物の過剰摂取で急逝したことがこの作品の前評判を否応なく高めたが、それは本来、映画評価の「彩り」でしかない。役者の身に何が起ころうが起こるまいが、大根であればその凡庸な印象が変わるはずもないだろう。本作の評判は耳にしていたものの、正直いって眉唾かもしれないと高を括って鑑賞した。だが観終わって唖然としている自分を認めざるを得なかった。これは並の映画ではない。そう、断じて月並では。

※以下、作品細部の言及が含まれます。


 組織犯罪がはびこる衆愚の街、ゴッサムシティ。大富豪ブルース・ウェインは、昼間はウェイン産業のCEO、夜間は蝙蝠のいでたちをした“バットマン”として犯罪撲滅に奔走するヒーローの二重生活を送っていた。ジム・ゴードン警部補と、新任地方検事ハービー・デントとの共同戦線は、この街に蔓延していたマフィアを駆逐し、市民からも絶大な信頼を得ていた。そんな彼らの前に、前代未聞の凶悪犯罪者が現れる。大胆な手口の犯行計画、不敵で挑戦的な言動、仲間でさえも躊躇なく殺害する残虐性。極悪非道にして神出鬼没なその男・ジョーカーの犯行動機は金ではない。左右に大きく切り裂かれた口を隠すようなメイクを施し、警察の警護をあざ笑うかのような悪行を繰り返すこの男は、道化師さながらの風貌ではあるが、秩序の破壊と街の炎上を心ゆくまで楽しむ狂人だ。一方、バットマンはゴードン警部補と組んでマフィアがマネーロンダリングに使っていた市内の銀行を次々に摘発し、その資金源を根元から断つことに成功していた。“光の騎士”として嘱望されるデント検事は、強い正義感と道徳観でバットマンとゴードンに協力し、ゴッサムの治安回復に奮闘する。


(C) TM & DC Comics Warner Bros. Ent. 2008

 ブルースはデントこそがゴッサムに必要な次代のヒーローであることを確信し、バットマン引退を考え始める。引退するその時は、幼なじみのレイチェルと結ばれるのだ。しかし、すでにレイチェルはデントに惹かれ始めていた。バットマンを疎ましく思うマフィアは、ジョーカーと接触してバットマン殺害の契約を結ぶ。電波ジャックして「お前がマスクを脱いで正体を明かさなければ、毎日市民を1人ずつ殺す」とバットマンを挑発したジョーカーは、幾重にも張り巡らせた罠にバットマンを誘い込む。デントとレイチェルを別々に誘拐し、同時に誘拐場所を爆破することを明かしたジョーカーは、バットマンに究極の二択を突き付ける。ゴードン警部補と二手に分かれて人質の救出に向かうバットマンだが、ジョーカーの真の企みはさらに根深いところでゴッサムシティを破壊と混沌に陥れようとしていた…。


(C) TM & DC Comics Warner Bros. Ent. 2008


 大富豪の実業家・ブルースの夜の顔は犯罪撲滅に奔走するバットマン。しかし、法的にはバットマンの行為は私的制裁の域を出ず、その存在を称揚する市民が増える一方、戸惑いと疑問視する声も高まっていった。バットマンという存在がどう成立していったかを前作「バットマン ビギンズ」(2005)でクリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)は描いたが、勧善懲悪の枠組みを崩すことはなかった。しかし、本作ではバットマンが存在することでゴッサムシティが変容し、それが少なくとも望ましくない方向のベクトルに転がっていくことを主題とした。組織犯罪はバットマンが司法の有力な担い手と組むことで激減したが、それがバットマンを「好敵手」とみなす凶悪犯を呼び寄せることになる。強大な正義がより強力な悪を誘発する原理。そのジレンマに人知れず苦しめられるブルース/バットマンを演じたクリスチャン・ベール(Christian Bale)は板についてきた安定感がある。しかし、今作では相手が悪かった。最凶最悪のジョーカーを演じてのけたヒース・レジャー(Heath Ledger)の計算されつくした狂態と、悪に唆されて転落する正義の人物・デント/トゥー・フェイスを演じたアーロン・エッカート(Aaron Eckhart)の悪役2人の前には存在感がおぼろげになってしまった。
 とりわけ、レジャーの演技は刮眼に値する。極端なアナキストは、傍目には無目的に凶悪犯罪を次々に実行してみせる。かつて同じジョーカー役をジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)が演じた際、正体不明でコミカルな道化をバットマンの宿敵としての凶悪犯像にたくみにブレンドして絶賛されたが、その路線とも違う。同じ路線で怪優ニコルソンを越えることなどできはしないし、なによりノーランの作る新生ゴッサムシティのカラーにはそぐわない。そこに見事にマッチしたダークな愉快犯ジョーカーをレジャーは文字通り体現している。


(C) TM & DC Comics Warner Bros. Ent. 2008

 ジョーカーについては、一定のイメージがすでに固まっている。バットマンがアメリカン・コミックに登場してすでに70年近くが経過し、誰もがシルエットをみるだけでバットマンだと判る。原作ではバットマンを引退し、老境に差し掛かろうとするブルースがやはり悪の根絶のためゴッサムシティにカムバックする設定が「ダークナイト」シリーズであるが、映画化にあたっては、彼の最大の宿敵・ジョーカーのスタイルもある程度踏襲する必要があった。しかし、演者・レジャーの若さとエキセントリックさを尊重しつつ、現代的な風貌にまとめ上げた。たとえば、衣装はセックス・ピストルズのジョニー・ロットン(Johnny Rotten)を意識してイメージされており、古着にピエロをイメージさせるつま先の尖った靴、完全な白塗りの顔面というよりは不完全な白さで病的な性格を映し出し、眼は過剰な隈取りに覆われている。髪はグリーンがかったブロンドで、これらのメイクは無造作に見えるが特殊メイクのプロテーゼ法(補綴術)の進歩が大きく貢献している。このような盛り付けで準備されたジョーカー像は、完全にブッ飛んだレジャーの演技で誕生した。明らかに常軌を逸した視線、エキセントリックな声、妄想と現実が混在した動機と話法の異様さ…これはまさに忘我と狂気の極みである。
 ここにはニコルソンが演じた陽気なサイコパスとは別物のジョーカーが存在している。レジャー自身は「時計じかけのオレンジ」(1972)の主人公アレックスをイメージしていると語ったが、陰気な猫背で人間の善意を破壊し、人間の偽善を暴いてその価値観を動揺させる狂人の人格をものにするため、彼は1ヶ月間ロンドンのホテルに篭もり、さまざまな喋り方を訓練し、ジョーカーの視点から日記もつけていた。そのこだわりは、撮影シーンでも発揮された。病院の撮影現場では、レジャーは衣装に「私はハービー・デントを信じる」というロゴの入ったバッジを付けてきた。これはデント検事の選挙スローガンである。病院のベッドでデントを悪の道に覚醒させるジョーカーであれば、「きっとそうするだろう」というレジャーの発案である。アナーキーでパンキッシュ。彼はジョーカー役の重圧に負けぬほど、心からこの役柄を楽しんでいた。

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左 《クリストファー・ノーラン》
右 《ヒース・レジャー》



 2008年1月22日、本編の製作がすでに編集段階に入り、ワーナーが予告編で新たなジョーカーを披露した直後にヒース・レジャーは急性薬物中毒で死亡した。不眠症、神経不安などを解消するために6種類の薬剤を服用し、インフルエンザの薬も併用していたという。本作を鑑賞するまで、わたしは彼の演技者としての評価に疑問を抱いていた。「パトリオット」(2000)の臭い演技が印象に残っていたためだ。だが、取るに足らない力量だと漠然と考えていたその俳優が、よもやこれほどまでに成長していたとは。だがその姿を拝むことはもうできない。奇妙な感情だが、改悟に近いものさえ感じている。彼は間違いなく本作のジョーカー役でこれまでの役者人生の総決算をして散っていった。けたたましい叫び声と狂態で映画史に残るヒールの1人に昇りつめたことを、わたしは今も疑っていない。なお、厳密には彼の遺作は本作ではなく、途中まで撮影していた「パルナッサス博士の想像力」である。代役をコリン・ファレル(Colin Farrell)、ジュード・ロウ(Jude Law)、ジョニー・デップ(Johnny Depp)が務めるという。
 ジョーカーがバットマンとの対決で象徴したのは、モラルの欠如した存在にタガなどないということだった。正義の象徴となったバットマンやデント検事には、行動を抑制しなければならない規律がいくつも存在している。だが、ジョーカーにはそれがない。ルールを破らずに曲げることが求められる立場と、説得も脅迫も懐柔もあらゆる交渉が通用せず、自由自在にルールを蹂躙できる立場の違い。そのアドバンテージを利用してゴッサムシティを跳梁するジョーカーは、正義を語る人間を悪の道に転落させることでその正義が“騙り”であることを証明しようとする。『マクベス』の魔女のように讒言により悪をそそのかすジョーカーは、ヤハウェに反逆し天界を追放された堕天使の役割をデント検事に担わせ、毛嫌いする正義の内部崩壊を現実に引き起こすことに成功する。暴走を始めるデント検事は「トゥー・フェイス」となり果てて私怨を晴らすため、法の執行者に見切りをつけ、法の圏外で「悪」に裁きを下す存在に転落してしまう。顔も心も歪んだトゥー・フェイスにとっての悪とは客観的には何か。アンチテーゼは緻密な描写ではないが、無軌道さと無計画を装った狂乱に本当の意図を隠すプロットは見ていて小気味がよいのと同時に、これがアメコミを母体とするストーリーかと大胆な脚本の書き起こしに感心させられる。


(C) TM & DC Comics Warner Bros. Ent. 2008

 夜明け前が最も暗い。主要な人物がすべて「二面性」を抱えているのが本作の特徴であり、その境界もまた曖昧である。「お前は俺だ」というジョーカーの言葉に葛藤を呼び覚まされるバットマンは、重要な善のために個を捨てた暗黒の騎士(ダークナイト)として、光の騎士の栄光を死守することを選ぶ。法の外で悪を裁くならず者は、無頼漢でしかない。法治国家では認められない正義の追求は、市民の盗聴(エシュロン)にまで手を伸ばす倫理観の麻痺と背中合わせのコインとなっている。悪を蹴散らすカタルシスはこの映画には見当たらない。予測困難でこのうえなく危険な敵との対決は、正義の勝利とは言い難く、正邪の概念が主観的な目測に過ぎないことを示唆するのみである。ゴッサムシティの漆黒の闇に消えたダークヒーローは、最も暗い道を疾駆する。
 本作は冒頭の6分間を含め、6つのシーンが長編映画として初めてIMAXカメラで撮影された。魅せる映像を撮るためには何でもやる、というスタッフの気概が詰まったこの手法により、IMAXカメラの重量に息を上げながらも被写界深度の狭さを生かし、高い解像度、コントラスト、彩度の明暗をくっきりさせたシーンを撮影している。あまりの重さに、撮影中にステディカムが崩れるというハプニングにも彼らは動じない。印象深いのは、これまでのバットマンシリーズでゴッサムシティがNYをモデルとして造型されてきたのに反して、本作では堂々とランドスケープを登場させ、またラサール・ストリートで大型18輪トレーラーをひっくり返して見せた。明らかに舞台はシカゴであることを観客に伝えて恐れていないのだ。ビルの爆破にせよ、トレーラーの転倒にせよ、極力CG処理ではなく現物を用いた撮影にこだわったノーランは、スタジオでは決して実現できない「体感スケール」を大きく、そして高めるためロケ地での撮影を敢行した。「バットマン ビギンズ」製作前に、その構想を45分間にわたってワーナー・ブラザーズ社長にプレゼンしたノーランは、本作で興行的に有無をいわさぬ数字を叩き出している。しかし、それ以外の指標に見る本作の総体的な完成度は、近年でも随一の域に達したことは間違いない。


(C) TM & DC Comics Warner Bros. Ent. 2008

バットマン ビギンズ メメント フォロウィング

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Title: THE DARK KNIGHT
Director: Christopher Nolan
Cast:
 Christian Bale
 Heath Ledger
 Aaron Eckhart
 Michael Caine
 Maggie Gyllenhaal
▽152分 / アメリカ / 2008年
(C) TM & DC Comics Warner Bros. Ent. 2008




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