新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
Augustrait





砂の器


 松本清張の原作に、たった3行だけ書かれていたのは、理不尽な差別を受け全国を行脚する親子の過去だった。行間に潜む意味を最大に膨張させ、脚本を再構成し、映画の骨格に位置づけることに成功した作品である。原作は推理とサスペンスを主体としていたが、日本に蔓延していたハンセン病差別を鋭く断罪する社会批判の観点も持っていた。
‘島根県の山奥を、業病の父親と、いっしょに歩いていた七歳の子供は、亀嵩で脱走し、大阪に出た。
 彼は、そこで誰かに拾われた。彼は、数年間、その人のもとで成長した’*1

 風光明媚な各地を放浪する親子に、もとより何の咎もない。残酷なまでに美しい四季と、人間の善意と悪意は常に同居して共同体が維持され、鉄の掟で人々を遇してきた。負うべき咎は、犯罪者とそれを生み出した社会にあることが本作では描かれる。文学の視覚化によるイマジネーションの劣化は、多くの場合避けることができない。それを映画製作者がいかに自覚し、壁を越えるための努力を払うかが問われていく。だからこそ、芸術のジャンルを隔てて価値を示すことは難しい。本作は、原作者自らが「この映画は原作を超えている」と評したことでも有名であるが、「業病」とされたハンセン病患者を差別し、隔離し、隠匿してきた報いとなって現れた社会悪の因果は、すなわち社会に帰することを観る者に突き付けるのである。

※以下、作品細部の言及が含まれます。


 昭和46年6月24日早朝、国鉄蒲田操車場構内で、50-60代と思われる男性の他殺死体が発見された。警視庁捜査第一課の今西刑事と蒲田署の吉村刑事は、ともに捜査を開始するが、捜査は難航する。被害者の身元は掴めず、事件発生直前に、被害者がトリスバーで犯人らしき男と東北弁で話し込んでいたということと、「カメダ」という言葉を発していたことしか判らない。当初、これは人名かと思った今西だが、実は地名ではないかと気付く。秋田県の羽後亀田に2人の刑事は飛んだ。しかし、有力な手がかりは得られなかった。被害者の息子の証言から、被害者の名は「三木謙一」であること、彼は20年もの間、島根県で巡査をしていたことが判明した。今西は、島根県の地図で「カメダ」の地名を探すと、亀嵩(カメダケ)という土地があることを知る。一方、吉村は偶然、目に留めた新聞のコラムから、山梨県の塩山付近の列車内から紙吹雪を散らした女性と事件の関連を疑う。紙吹雪とは、三木が殺害された時の返り血がついた衣服の破片ではないのか。苦労の末、まさに血痕の付いた布を三木は探し出す。血液反応は被害者と一致した。


(C) 松竹=橋本プロ 1974

 捜査線上に、本浦秀夫という人物が浮上してきた。本浦は、新進の芸術グループに所属する和賀英良と名を変え活躍していた。今西の辛抱強い捜査により、本浦は石川県に生まれ、父の千代吉がハンセン病に罹患したため村を追われ、幼少期に全国を放浪していたこと、山陰の亀嵩で巡査をしていた三木の善意により引き取られ養育されたが、病を抱える父は療養所に収容され、戦中、大阪に逃れた本浦は、戦災に乗じて戸籍を偽り、和賀姓を名乗るようになったことが明らかになる。社会的に成功を収めた本浦=和賀を偶然、写真で目にした三木は、当時の懐かしさもあって、彼を生存中の父・千代吉に引き合わせようと説得しようとした。しかし、和賀にとって三木は忌まわしい過去を知る邪魔な存在としか映らなかった。これが事件の真相であった。善良で大恩ある人物を殺害したことは、社会的に到底許されることではない。しかし、今西は和賀の受けてきた凄絶な差別と孤独、社会への憎しみを想像して涙を禁じえなかった。和賀を待ち受ける逮捕当日は、奇しくも彼の渾身の作曲「宿命」が華々しくコンサートで披露されたその日であった…。


(C) 松竹=橋本プロ 1974


 かつてハンセン病は、業病とされ忌み嫌われた。当時は癩病と呼ばれ、外見に顕著に現れる疾患の特性から、様々な迷信と謂れのない差別の対象とされた病であった。前世の贖罪あるいは先祖の悪業がこの病の源であり、発病はそれ自体、悪徳への報いであると信じられたという。ハンセン病の罹患者が血族に出現するだけで、一家離散が強いられ、共同体から排除されることが不文律となっていたのである。本作は、ハンセン病に向けられた差別と偏見の直視を拒む社会の欺瞞の堆積が、いかに人間の尊厳を奪い続けてきたかを、凶悪犯罪の背後に配置する。
 現在、ハンセン病は、鼻や気道より癩菌が侵入する感染経路が明らかにされ、その感染力は非常に弱く、特効薬により快癒することが解明されている。しかし、昭和10年代には官民一体となって推進された「無癩県運動」で、「祖国浄化」をスローガンにした強制隔離が進められた。患者の強制隔離絶滅政策を基本とした「らい予防法」は、実に1996年まで存続したために、ハンセン病に対する誤った理解と差別は、長らく継続されたのだった。

 人間は、それぞれに抱えた宿命から逃れることはできない。映画の冒頭で登場する“砂の器”は、いかに巧妙に作られたとしても、風雨に耐えることはできず、水を湛えることもできない。さらさらと崩れ瓦解していく偽りの器。そこには、いかにしても原型を留めることのできない哀しさと、そのことからやはり逃れようもない宿めが暗示されている。原作に書かれていたわずか3行の描写。それをイマジネーションにより映画の中枢に位置づけられた原風景が圧巻である。幼いころの和賀と、病を得た父の全国行脚は、悲壮なものだ。村を追われ、行く先々でも蔑視と嫌悪が彼らを見舞う。しかし、現実とは裏腹に日本列島の四季は残酷なまでに美しい。
 真冬の荒海と雪景色、満開の桜並木を歩く親子の上に散る桜吹雪、萌える緑に縁取られた沿道を淋しげに旅する二人。和賀の披露する曲「宿命」に乗せ、情景の一コマが連続して折重なっていく。犯罪者となった和賀の心象風景は彼の胸に刻まれ、だれも侵すことはできない。その荘厳さが籠められた描写であり、物乞いのような姿になって各地を放浪する2人の異形が際立つのである。


(C) 松竹=橋本プロ 1974


 何の落ち度もなく、社会から圧殺された和賀は、社会を何よりも憎悪する。新進の音楽家として社会的成功を収めても、誰にも心を開くことはない。情婦の妊娠が発覚しても、子を産み育てることを決して許さない。ハンセン病は、当時は遺伝も疑われていた。もし隔世遺伝が起きるならば、自分は子を持つことなど許されない。その意思を頑なに通そうとする和賀を、石仮面のように飄々と演じた加藤剛はすばらしい。人に対する感情を捨て去った男は、親に対する愛情を封印しようと努めていた。それを開放しようとしたのが、三木元巡査だった。自分の不甲斐なさが、親子を生き別れにさせてしまった悔いから、三木は「力尽くでも父親に会わせる」と力説する。この善意の塊のように純朴な巡査を演じた緒方拳は、回想シーンでしか登場しないが、率直で情の深い役の造詣は実に見事だ。
 客観的に何の咎もない三木を、和賀は手にかけた。このことは、和賀が忌み嫌う社会の自分への仕打ちとなんら変わりのない不条理であり、殺された三木は和賀の殺意の理由を理解しないまま死んでいったことだろう。ここに、善意だけで人を援けることはできない真実と、人の運命にかかわるということは、その人の人生の決定事項を握ってしまうキーパーソンになりうることが示されている。和賀の写真を見せられた父・千代吉は、慟哭しながら「そ、そんな人、知らねえええええ!!」と絶叫する。ハンセン病の自分と息子の親子関係が明るみに出れば、どれほど不利益をもたらすかを千代吉は熟知しているからである。愛する息子であるから、親子であることを拒絶しなければならない不条理。
‘「今西さん、和賀は父親に会いたかったんでしょうね」

 「そんなことは決まっとる。彼は今、父親に会っている。
  彼にはもう、音楽、音楽の中でしか父親に会えないんだ」’

 砂のように崩れさる栄光と虚偽の姿であっても、親子の情だけは消えない。三木の説得により、和賀は心を掻き乱された。人間は、他人の人生にいかなる局面であれ、責任をもつことができるのだろうか。それは、非常な困難を伴うことと考えなければならない。社会に堆積された矛盾が、このような犯罪の温床になることは事実だろう。同時に、個人の暗部に不用意に触れることの酷さを戒めてもいるのである。


(C) 松竹=橋本プロ 1974

 脚本を担当した橋本忍は、原作の連載が開始された1960年初めから、映画化を切望していた。小説の結末を知る前から、すでに親子の放浪シーンをキーとする映画の構成にしようと決めていたという。山田洋次の協力を得て、第一稿を完成させたが、題材のデリケートさとロケ費用の大きさが懸念され、完成まで14年の歳月がかかっている。最終的には、橋本と山田がこだわった作品性を損なわず映画化されたことになる。その執念には敬服せざるを得ない。亀嵩の撮影は、1974年8月23日から開始された。三木巡査が親子を発見し保護するシーンがこの時撮影された。この地の旅館にロケ隊は滞在したところ、地元の夏祭りの時期と重なったため、俳優陣は地元住人と交流し愉しんだ。また、読売新聞社の松江支社の相談役・若槻卯吉(当時)の自宅で茶室の撮影が行われる予定だったが、たまたま若槻の家は改築したばかりで、雰囲気ががらりと変わってしまった。そこで、撮影は急遽、別宅で行われることになったという。
 本作のテーマ曲にもなった「宿命」は、菅野光亮の書き下ろし作曲である。音楽監督は芥川也寸志が務めた。物語の後半45分は、この大曲に合わせて進行する。しかし、お世辞にもクラシック曲として高い完成度にあるとはいえない。虚飾の和賀の盛衰に合わせて曲風を調整したのだとしたら、綿密といえるだろう。和賀の犯罪の真相に辿り着いた今西刑事を演じた丹波哲郎は、自身の戦後生活の記憶と和賀の過去とを重ね合わせ、逮捕状を請求する長口上のシーンで感極まり嗚咽した。思いがけぬアドリブであったが、そのままフィルムに採用されている。


(C) 松竹=橋本プロ 1974

事件  八つ墓村  鬼畜

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Title: 砂の器
Director: 野村芳太郎
Cast:
 丹波哲郎
 加藤剛
 森田健作
 島田陽子
 山口果林
▽143分 / 日本 / 1974年
(C) 松竹=橋本プロ 1974

*1 『砂の器』松本清張 ; 下巻
-- 新潮社, 1973、p.365




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