新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
Augustrait





[提供:岩波書店]
 『夏の花』で知られる作家・詩人,原民喜(1905―51).死の想念にとらわれた幼少年期.妻の愛情に包まれて暮らした青年期.被爆を経て孤独の中で作品を紡ぎ,年少の友人・遠藤周作が「何てきれいなんだ」と表した,その死…生き難さを抱え,傷ついてもなお純粋さをつらぬいた稀有な生涯を,梯久美子が満を持して書き下ろす,傑作評伝――.

 1951年3月13日,詰襟の国民服を暗色に染め直した服を着た男が,国電の中央線西荻窪-吉祥寺間で鉄道自殺を遂げた.本書は,その原民喜という文学者の死に様から描写をはじめる.原は生前,自我を説明することのできる言葉は「死と愛と孤独の三つ」と記している.他人と接するのが極端に苦手で「世間との回路」をなかなか持つことができず,中学校時代の4年間,学校で原が声を発するのを聞いた者はひとりもいなかったという.彼はおよそ社会性というものが欠落していた.

 病的なまでに内向的な精神の拠り所は,父や姉,慶応・三田の文学者たちとの限られた交流,そして彼を唯一理解し包容してくれた妻.中学校の嘱託英語講師を3年ほど務めただけ,生涯出した本はわずか2冊.そのうち1冊は自費出版に近い.愛する近親者は,原を置いてひとりずつ他界する.愛情の対象をすべて喪失してしまった原は,愛する死者をいわば“聖別”することを生涯を通じて行ない,『鎮魂歌』あるいは遺書など作品に思いのたけを籠めることしかできなかった.愛妻の死の翌年,故郷広島に帰っていた原は被爆するが命を取り留める.被爆直後,野宿をしながら避難生活をつづけた原は,死に覆われた広島市街地の様子を鉛筆でノートに書きつけていた.
‘物語を構築するのではなく,自身の記憶と感覚を頼りに独特の世界を描き出す原の作品には,内面における重要な出来事――その最たるものが父,姉,妻の死である――が形を変えて繰り返しあらわれてくる.ほとんどの作品が自身の心象の変奏曲なのである.多様性や広がりはないが,そのぶん,透明度の高い湖のような美しさがある’
 その被爆体験を小説「夏の花」(「原子爆弾」改題)『三田文学』に掲載した.当時,三田文学はGHQの検閲(言論統制10カ条のプレスコード)が緩かったのである.著者は,被災時の自筆ノートと『夏の花』の文章を比較し原の内面を推察していく.生来の繊細さ,表現者としての理性,死と死者に対する謙虚さ――私小説の形をとらずとも,文学世界には彼の悲劇的体験が横溢している.それでもやはり,大江健三郎が「現代日本文学の,もっとも美しい散文家のひとり」と評したごとく,原はポエトリーな人だった.「私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ 透明のなかに 永遠のかなたに」.


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原題: 原民喜―死と愛と孤独の肖像
著者: 梯久美子

ISBN: 9784004317272
  • 『原民喜―死と愛と孤独の肖像』梯久美子
    --岩波書店,2018
    (C) 2018 梯久美子







  • [提供:岩波書店]
     昭和十四年以来,日本全国をくまなく歩き,各地の民間伝承を克明に調査した著者が,文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを,古老たち自身の語るライフストーリーをまじえて生き生きと描く.辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台に浮かびあがらせた宮本民俗学の代表作――.

     ホメーロス(Hómēros)の文体表現は口誦詩である特殊性をもつ,という説を出したミルマン・パリー(Milman Parry)は,文字を媒介としない口承と,文字の文化の明確な違いに気づいていた.口伝の「記憶できるような思考」とそれを可能にする表現様式は,一般的には哲学的,科学的な抽象思考の発生と導入により廃れていった,と見るべきかもしれない.一方,考えを巡らせて言い表される思考を記憶にとどめ,それを臨場感をもって再現する手続きは,その体験と記憶をもつ人にしか成しえない.このことを確信していたのが宮本常一で,彼は1939年以来,西日本をしらみつぶしに歩き,「土佐源治」「大阪泉南郡」「奈良生駒郡」「瀬戸内海沿岸」など各地部落に棲む古老による伝承を克明に調査した.
    ‘古文書の疑問,役場資料の中の疑問などを心の中において,次には村の古老にあう.はじめはそういう疑問をなげかけるが,あとはできるだけ自由にはなしてもらう.そこでは相手が何を問題にしているかがよくわかって来る.と同時に実にいろいろな事をおしえられる’
     無字社会に生きる無名人のヒアリングのため,1,200軒以上の家に泊り,16万km以上を踏破.本書(初版)は,1960年という日本高度経済成長のさなか,いずれ語り部の物故とともに消滅していくであろう泥にまみれた「無字社会」への民俗学的情熱で編まれている.柳田国男が言及を避けてきた性風俗や被差別民に対して果敢に挑んだことから,民俗学を「内省の学」と考える柳田の学閥から,宮本は冷淡に扱われた.本書が主に西日本の村落の聞取りであるのは,当時の民俗学の研究対象がほとんど東日本に集中していたことへの反立でもあった.
    ‘一つの時代にあっても,地域によっていろいろの差があり,それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではないだろうか.またわれわれは,ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい.それで一種の非痛感を持ちたがるものだが,御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと思う’
     辺境にひっそりと生きる無名老人の生涯,特に彼らが若かりし頃の夜這い,横恋慕,身分をこえた愛欲の契りなど――蚕が糸を吐くように口伝で描写される放蕩的なエピソードの数々――その土地の世界観への訴求力が凄まじい.パチパチと火花のはぜる囲炉裏,そこにかかる鉄瓶などが情景として浮かんでくるほど.そこで膝をつき合わせた宮本が深くうなずきながら話を引き出していき,最終的に各語り部の話が一人称でまとめ上げられている.豪農や士族との対立を超えた貧農の風習を,庶民の民族誌として採取し形態化した伝承"ライフヒストリー".ここに得られた哀歓こそ,日本列島の奥地に刻み込まれた忘れえない記憶である.


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    原題: 忘れられた日本人
    著者: 宮本常一

    ISBN: 400331641X
  • 『忘れられた日本人』宮本常一
    --岩波書店,1984.5, , 334p, 15cm
    (C) 1984 宮本常一







  • [提供:講談社]
     エゴイズム,親切,友情,虚栄心…人間の「姿」はいかなるものか.複雑で矛盾に満ちた存在を描き出すカントの眼差しに拠り,人間の有り様の不思議を考える――.

     崇高と野卑,熱中と冷淡,聡明と愚鈍,明朗と陰鬱,博愛と冷酷――人間の複雑性を認めていたイマヌエル・カント(Immanuel Kant)は,「人は哲学を学ぶことはできない...ただ哲学することを学びうるのみ」という言葉を残した.本書は,カント研究者の著者による1992年出版の『モラリストとしてのカントⅠ』を再編集したもの.著者の認識するモラリストとは,「ある時代の習俗や情念を観察し叙述し分析する著述家」という意味であるという.

     『美と崇高の感情に関する観察』(1764)で下層民を軽蔑したカントは,ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)に人間理解の不備をたしなめられ,自家用本に「私は人間性を敬うことを学ぶ」と素直に書き込んだ.教育学の古典中の古典を著す一方,少年時代に強姦未遂で逮捕され,成人後は,知的障害者を虐待して妊娠させ,5人の実子を私生児として孤児院にぶち込んだ男を尊敬するなど,それ自体が一驚に値するが,ドイツ啓蒙主義時代の自由な雰囲気では,現在とはかけ離れたモラリストも多かったのだろう.
    ‘外形的,物理的にさまざまな欲望を除去あるいは遠ざけあるいは消去することは,いわば幼児の状態を再現することであり,決して真の意味での欲望の克服ではなく,よってこうした状況のもとにおける行為は断じて道徳的ではないのである.道徳的善は,結局自愛に行き着くさまざまな感情の傾きを物理的に抹殺ないし隔離してではなく,こうした多様な感情の傾きを徹底的にくぐり抜けて達成される’
     終生人間嫌いでありつつ,「世界市民的」哲学者に脱皮するカントは,1760年代にデイヴィッド・ヒューム(David Hume)の影響で,「独断のまどろみを破られた」と回顧するほど,懐疑論哲学による形而上学批判から目を開いている.認識,行為,感受という人間の直観を思索するカントのモラリスト的形成は,若い時代の貧窮や人間蔑視を通過してなされていったことが窺える小著.


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    原題: カントの人間学
    著者: 中島義道

    ISBN: 4061493833
  • 『カントの人間学』中島義道
    --講談社,1997
    (C) 1997 中島義道







  • [提供:毎日新聞出版]
     12年前,クリスマスの早朝.東京郊外の野川公園で写生中の元中学美術教師が殺害された.犯人はいまだ逮捕されず,当時の捜査責任者合田の胸に,後悔と未練がくすぶり続ける.「俺は一体どこで,何を見落としたのか」…そこへ,思いも寄らない新証言が――.

     点と線をつなぐ社会派ミステリーの雰囲気を漂わせながら,結ばれるべき中心点は即座に消え失せる.座標のしるべを失った周囲の点は,無目的にただよい収束の気配も知らぬままに拡散と接近を無秩序に繰り返す.そのうち,物語らしき筋道も消えてなくなる――高村薫にしては珍しい実験小説.中心点と置かれた"少女"は,中学時代は男子生徒に回し蹴りを喰らわす活発な女の子であり,女優志望だったこともあり,ゲームセンターに入り浸って「太鼓の達人」に熱中することもあり,不良グループと接して大人を挑発し,性的早熟からか下着を男に売りさばくことも覚えた.

     過度の問題行動はあれど,女の魅力に磨きをかけ,いずれ男たちを翻弄する資質――パーソナリティ――を十分に窺わせ,生命力も期待できる"少女".27歳になった彼女があっけなく命を奪われてから,本編は幕を開けるのだ.新約聖書「ヨハネの手紙第三 真実な行ない」で使徒の複数の証言を集めたヨハネでも,真理のうちに歩む者とそうでない者を慎重に選り分けた.「悪を見ならわないで,善を見ならいなさい.善を行なう者は神から出た者であり,悪を行なう者は神を見たことのない者です」.

     かつて警視庁捜査一課に所属していた合田雄一郎も,すでに前線を退いて警察上級幹部を育成する警察大学校教授の立場にある.数々の凶悪犯を追ってきた彼も,12年前の元美術教師の老女殺害遺棄事件で,当時15歳の"少女A"を捜査線上におさえておきながら,被疑者として責めを与えることはしなかった.12年の間,少女Aはどこで,どのように過ごしていたのか.そして誰と――?武蔵野と呼ばれるのどかな丘陵地帯,西武多摩川線・新小金井駅,多磨霊園,連雀通りは12年の日月にさほど変化を見せておらず,住まう人々の脳裏から「未解決事件」の記憶は薄れている.

     過去から現在を行き来し,多数の人物の多視点群像で描写が淡々と,時に冗長に重ねられている.武蔵野にある警察学校で教壇に立つ合田の講義範囲は,捜査技術だけでなく法務と司法法制まで及ぶ.熟練の刑事捜査官として栄達はものにしたが,定年までの数年間を過ごす日々は侘しい.盟友で特捜検事の加納祐介は心臓を患い入院中で,死の影も感じ取っている.渾身の力で描かれてきた登場人物が,小説空間の中で現実に抗えず老いゆく姿を読むのは寂しいものだ.武蔵野の群像記憶のなかで,多面体としての少女Aに見事に対比されている男たちが印象深い.


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    原題: 我らが少女A
    著者: 高村薫

    ISBN: 9784620108421
  • 『我らが少女A』高村薫
    --毎日新聞出版,2019.7
    (C) 2019 毎日新聞出版







  • [提供:実業之日本社]
     トレーラーの走行中に外れたタイヤは凶器と化し,通りがかりの母子を襲った.タイヤが飛んだ原因は「整備不良」なのか,それとも….自動車会社,銀行,警察,週刊誌記者,被害者の家族…事故に関わった人それぞれの思惑と苦悩.そして「容疑者」と目された運送会社の社長が,家族・仲間とともにたったひとつの事故の真相に迫る,果てなき試練と格闘の数か月――.

     自動車のリコール隠しを野放しにした結果として起きた死亡事故.この小説のモデルとなった事故は,三菱自動車のリコール隠しによるトレーラーのタイヤハブの破損事故(2002年)だった.三菱自動車は,2000年の大量クレーム隠し発覚時にも,虚偽説明と隠蔽を繰り返したことが追及されている.しかし,巨大企業の体質が変わるはずもなく,旧財閥系であることも胡散臭さを増幅させていた.いくらか邪推を差し引いたとしても,欠陥隠しを行う巨大資本から圧力をかけられ,整備不良を疑われて廃業寸前に追い込まれた中小運送会社では,猛禽類に歯向かうスズメにも等しい.

     現実の三菱自動車に対する批判として,顧客に軸足を置かない企業優先の論理,大企業特有の縦割組織の弊害などが関係者から指摘された.凡庸で見当外れな批判である.旧財閥系に限ったことではないが,大企業による資本と経営の分離の恐ろしさは,出資機構と経営機構とが別々の部門とアクターによって分担され,それによって権限の格差が生み出されることにある.本書は経済エンターテインメント小説であるが,窮地に追いやられる中小運送会社社長の奮闘だけでなく,資本と経営の分離をしっかり描き込んでいたことに好感をもった.三菱自動車は1970年に三菱重工業から独立したが,2000年代前半には,広義の三菱グループ需要向けの売り上げが50%近かった.

     東京三菱銀行と三菱商事から投融資を受ける三菱自動車は,グループ役員の合同会議での発言権は伝統的に弱い事実があって,保守的な体質が守られてきたと思われる.要するに財布のひもを握る出資機構に,ほかの部門は頭が上がらない.直径1m幅28cm,ホイールを合わせると重さは約140kg.走行中の大型トレーラーから外れて空を切ったタイヤは凶器となり,散歩中の主婦の背中を直撃して命を奪った.その人は二児の母だった.事故以前に39件の車軸と車輪をつなぐ部品「ハブ」の脱落事故があったことを知りつつも,三菱は整備不良によってハブが破断すると主張,リコールを回避し続けたのである.

     悪魔に魂を売るような話だが,日本では,賠償額は基本的に実損害に限られるので,人身事故で死者が1人出たとしても「1億円程度」で済む.大型車両ではない自動車を120万台リコールすれば,そのコストは250億円程度であるから,人が数十人死のうと,不買運動に発展しない限り,リコール費用に比べれば安上りと算盤を弾くことができる.小説であっても,さすがにここまでは踏み込んではいないが,欧米では広く認められている制裁的慰謝料――悪質な加害行為に対し,実際の被害以上に高額な慰謝料の支払い義務を課す――は日本に馴染まない,という理由で2審でも最高裁でも認めなかった現実の司直判断こそ,闇といわねばならない.


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    原題: 空飛ぶタイヤ
    著者: 池井戸潤

    ISBN: 4408534986
  • 『空飛ぶタイヤ』池井戸潤
    --実業之日本社,2006.9
    (C) 2006 池井戸潤







  • [提供:NHK出版]
     媚を売ることを嫌い,一途一心の気構えで芸を磨いてきた杉良太郎.下積み時代の屈辱の体験,芸能界の荒波を乗り切る知恵と工夫,芸の先達から政治家まで錚々たる戦後名士たちの素顔,時に「売名」と揶揄された福祉活動の真実…デビューからの50年間が大胆に記される.人生を輝かせる術から成熟の極意まで,凡百の人生指南本を超えて胸を打つ50年間の軌跡――.

     「流し目」という淫靡な響きのあるニックネームで,「杉様」と叫ぶファンの声援に感謝しつつも,本人には釈然としない感覚がある――杉良太郎は,2014年に芸歴50周年を迎えた.しかし,彼のいわゆる福祉事業,ボランティア活動は芸歴よりもさらに7年ほど長く,すでに60年を超えている.歌手デビュー前の15歳当時,歌謡学院の盲目の教師に誘われ,刑務所慰問で受刑者の前で一生懸命歌った.さらに同じ年,兵庫県の養老院で入居者を慰問し,歌を披露するとともに白黒テレビを施設に寄付したという.老人たちは鉄のベッドの上に正座し,涙を流して15歳の少年を拝み,感謝を述べた.刑務所の受刑者も,やはりこの少年を拍手喝采で誉めそやしたのであった.

     この時の経験が,「杉良太郎」と命名されて以降の芸能活動の原点になっている.もうひとつの原点がある.それは両親の影響で,建築業を営みながらも芝居や浪曲の趣味が高じて掛小屋を立て,目利きの興行師として活躍した父は,お人よしだった.明石駅から海に向かって歩いて行ったところの遊郭(山本楼)の常連であった父は,幼い息子を遊女に預けていくこともあった.遊女も茶を挽いて暇だったのだろう,ちゃぶ台に乗って歌う良太郎を愛で,菓子や小遣いを与えた.母は,道楽者の夫を咎めることもなく,家が火の車だというのにお遍路や物乞いをみると米を借りてでも寄付する人だったという.その口癖は「人には親切,慈悲,情け」.

     後年,杉は芸能界のみならず,田中角栄,福田赳夫,竹下登,大物総会屋と言われた上森子鉄まで政界の有力者にも贔屓にされていく.劇作家の川口松太郎が「君はボランティアとか,チャリティーとか,そういうのはあてはまらない.献身だな」と評したのは,芸能活動が派手になっていくにつれ「中年キラー」「後家殺し」と色気をにおわす杉の内面に,媚びない一本気を見出していたからだ.「非常識と言われるほど一途にならなければ,人は感動させられない」.古希を迎え,その体現を明かすエピソードが,本書にはふんだんに出てくる.刑務所慰問,被災地支援,ベトナムに教育施設(日本語学校等)の設置,ベトナムの子ども百数十人の里子引受け,無償援助など――慈善活動は,いまでも売名行為と叩かれることも多いという.

     半世紀以上の活動で延べ数十億の私財を投じる行為を売名と断じる合理的な論拠など,今まで聞いたことがない.本書ではなく,別の媒体で杉が語った言葉があった.かつては「売名」といわれるのが嫌で,黙って活動をしていたという.でも,お金をもっている人はお金を,お金がない人は時間を寄付すればいい.それは福祉活動なのだと.そしてお金も時間もない人は,福祉活動をしている人を理解してあげれば,それだけでも立派な福祉の心につながるのだから,と.困難に打ちひしがれた人へ,長年の貢献活動をしなければ洞察できない到達である.この人は,正々堂々とした真の事業家であることを確信させる.今では稀にしかお目にかからず,費用対効果に侵食された社会起業家にとってかわられた"社会事業"という名の事業家なのだ.


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    原題: 媚びない力
    著者: 杉良太郎

    ISBN: 9784140884430
  • 『媚びない力』杉良太郎
    --NHK出版,2014.9
    (C) 2014 杉良太郎







  • [提供:中央公論新社]
     明治憲法成立後の1890年代以降,天皇の特別な補佐として,首相選出を始め,内閣の存廃,戦争,条約改正など重要国務を取り仕切った元老.近代日本は,伊藤博文,山県有朋,西園寺公望ら元老8人の指導下にあった.非公式な組織のため,当初は政治の黒幕として批判されたが,昭和初期の軍部台頭下では未成熟な立憲国家を補う存在として期待が高まる.本書は,半世紀にわたり権力中枢にいた元老から描く近代日本の軌跡である――.

     1915年7月,元外務卿で侯爵の井上馨が静岡市横砂の別邸「長者荘」で危篤状態に陥ったという報に接した鉄道省は,その体調を慮り,東海道線で興津を通る全列車に,鳴りを潜めた徐行運転を命じた.彼が超憲法的重臣「元老」の歴任者でなければ,そこまでの畏怖と忖度はなかったかもしれない.井上以外に伊藤博文,黒田清隆,山縣有朋,松方正義,西郷従道,大山巌が名を連ね,桂太郎,西園寺公望を加えると9人.公卿の西園寺のほかはいずれも薩長藩閥政治の出身で,天皇から元勲優遇の詔勅を受けたか,これに準ずる者という特権中の特権を与えられた長老たちだった.

     明治憲法下で機構上の最高統治者であった天皇には,行政各部の官制及び文武官任用権があった.だが,実質的な政治決定には,内閣首班の推薦,国家の内外の重要政務について枢機を行える"最高顧問"に依存せざるを得なかったのである.インフォーマルな組織でありながら,勅命により天皇から下問を常に受ける慣例的な公的機関の使命を帯びた元老は,隠然たる権力を行使する「老害集団」と憎まれがちであった.しかし,本書では元老の肯定的な面を積極的に取り上げている.明治維新を経たばかりの日本は,外交・内政・さらに近代的な内閣制度が未熟であったため,内閣首班をはじめとする政治的決定に際し,天皇を適切に補佐(輔弼)する権力機関が必要だったととらえるのである.

     元老の果たした役割と機能の結果として,統治機関の統一的運営が可能になった面は否定できないであろう.明治天皇が最も信頼を寄せたのは伊藤博文であった.伊藤は欧州の憲法調査で君主機関説を学びとり,国家主権の立場をとる場合には,君主専制の否定は避けられないと考えていた.もっとも枢密院でそれを説明する時には,保守派からの攻撃を回避するため,――主権は天皇にあるという前提を覆さずに――主権によって行う大政を天皇が指揮するもの,という表現をしている.一方、君主機関説的な憲法観に理解を示した明治天皇とは違って,大正天皇は山縣有朋の影響下に置かれ,山縣は近代国際法を重視する原敬内閣と折合いがつかなかった.

     昭和天皇の周囲には,牧野伸顕や鈴木貫太郎らがいたが,残念ながら財界への睨みをきかせる松方正義,あるいは軍部ファッショ化のなかで,英米との協調路線を維持しながら人材登用を進言した西園寺公望のような政治力をもつ者がいなかった.著者は元老制度を「立憲政治の比較的円滑な展開や,政治参加の拡大と政党政治の展開を支えた」と好意的に評価するが,成文法で定められた公職ではない元老の会合が"黒幕会議"と呼ばれたことからも,藩閥有力者の経験と政治力に頼る超憲法的機関として,持続性が期待される特権的機関ではなかったとみえる.明治中期の内閣制度創設から昭和初期まで,統治機構の根幹に影響力を及ぼし事実上の権限を握った元老の評価はきわめて難しい.彼らのように老獪で賢しい判断を,昨今の内閣官房に与えてくれる補佐機関があったならと,臍を噛む思いをすることがあまりに多いからだ.

    軍事と公論―明治元老院の政治思想
    尾原 宏之
    慶應義塾大学出版会

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    原題: 元老―近代日本の真の指導者たち
    著者: 伊藤之雄

    ISBN: 9784121023797
  • 『元老―近代日本の真の指導者たち』伊藤之雄
    --中央公論新社,2016.6, , 319p, 18cm
    (C) 2016 伊藤之雄







  • [提供:筑摩書房]
     天使か怪物か…柔らかな喉と驚異の肺活量が生み出す「奇跡の声」で,音楽史に妖しい閃光を放って消えた去勢歌手たちの短かくも鮮烈な歴史.多くは南イタリアの寒村に生まれ,8-10歳で危険な睾丸摘除手術を受け,厳しい修行ののち栄光の絶頂へと登りつめ,やがて孤独のうちにこの世に別れを告げた処女(?)たち.バロック黄金期の栄光と夕映えの耀いの中に影を浮かべて去っていった謎の歌手たちの姿を,西欧社会の運命を重ね合わせて描く感動と陶酔の華麗な歴史=物語――.

     1652年ローマ教皇庁礼拝堂に現れた去勢歌手は,成人の豊かな肺活量と非常に広い声域を兼ね備えた特長により,一世を風靡した.カトリック教会の1587年去勢手術禁止を無視して,"カストラート"は,17~18世紀イタリア・オペラ,バロックのオペラ・セリアの劇的表現に欠かせない存在となる.子どもと女性の声の中間に位置した声を保ったカストラートは,ソプラノかアルトのどちらかの音域を選択し,その声は一生の間でも変化をみせた.男性機能を喪失することと引き換えに,男性の筋肉に支えられる強靭で優雅な美声を体現した.最盛期には,毎年4,000人以上にも及ぶ7 - 11歳の男子が去勢されたとの記録がある.

     カストラートは,3オクターブ半の声域をカバーする官能性を有し,草創期オペラが絶頂を極めていく主たる存在となったが,オペラ・ブッファの発展とともに女声が採用されると,彼らは急速に駆逐されていった.18世紀後半には,ヴォルテール(Voltaire)やジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau),啓蒙主義や百科全書派の立場がカストラートを――アンドロギュヌス的に「理性」を欺く――道徳と自然を冒涜する偽装物と糾弾した.去勢されカストラートの道に進んでいった男児の中には,声楽家として才能を開花させることもなかった者も多くいた.システィーナ礼拝堂の合唱曲《ミゼレレ》で知られる作曲家グレゴリオ・アレグリ(Gregorio Allegri )はその1人であったとされる.

     男性・女性・子どもからなる三位一体を肉体のうえで体現した結果,オペラ界に君臨したカストラートは,バチカンの礼拝堂に生まれた.美しく,豊かで荘厳な歌声は,スペイン・ボルボン朝初代国王フェリペ5世(Felipe V)を憂悶から救い出し,ある男爵はルーヴル宮でカッファレッリ(Caffarelli)を聴き,その声を「魅力と愛の性格を示す声」「この魅力と愛は聴く者の感覚と心を恍惚とさせてしまう」と絶賛した.しかし,彼らがわずか200年余りで"絶滅"させられたのは史実.カストラートは,均整と調和のとれたルネサンス様式に対抗し,グロテスクとロマンティシズムの両面から,劇的迫力にみちた〈バロック様式〉における音楽芸術の申し子であった.

     ローマ教皇は1903年にカストラートを禁止した.当時,28名の聖歌隊に含まれていた7人のカストラートは,隊から脱退していき,家族をもつこともなかったその多くは,孤独のうちに生涯を終えた.システィーナ礼拝堂聖歌隊の第1ソプラノ歌手で「ローマの天使」の異名をとったカストラート,アレッサンドロ・モレスキ(Alessandro Moreschi)の歌声の録音(1902年・1904年グラモフォン社)が,カストラートの声楽を記録した唯一の例である.ラッパ吹込みのSPレコードからの復刻LPレコード(モノラル) が2019年2月15日に発売されている.レーベルはFantome Phonographique.

    心ならずも天使にされ―カストラートの世界
    フーベルト オルトケンパー
    国文社

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    Title: HISTOIRE DES CASTRATS
    Author: Patrick Barbier

    ISBN: 4480084967
  • 『カストラートの歴史』パトリック・バルビエ ; 野村正人 訳
    --筑摩書房,1999.5, , 413p, 15cm
    (C) 1989 Editions Grasset & Fasquelle







  • [提供:草思社]
     ペリー来航前に刊行された英国歴史学者による日本研究.天皇と将軍の二重権威システム等々,恐るべき精緻さで日本を把握していたことがわかる最重要資料,初の全訳――.

     アクチュアルな「日本文化の型」を,文化相対主義による類型的視点として論じたルース・ベネディクト(Ruth Benedict)の調査能力は恐るべきものだった.しかし,それでも20世紀の急進的な文化相対主義で「文化のパーソナリティ」を検討する資料は豊富にあった.本書は,マシュー・ペリー(Matthew Calbraith Perry)提督がノーフォークを出港する4か月前,1852年7月に出版社"10 Park Place New York"から出された.東インド艦隊司令長官であり日本派遣特派使節としての任務を負わされたペリーは,大統領国書を携え,喜望峰を超えてインド洋からマラッカ海峡,そしてセイロン,シンガポール,香港,上海,琉球を経て,下田に入港した.

     アメリカ捕鯨船の食糧や薪水,石炭などを確保するのは建前で,清国との交易中継点をつくるため日本の鎖国をこじ開ける必要があった.ベネディクトと同様,著者チャールズ・マックファーレン(Charles Macfarlane)に訪日経験はない.長崎出島に逗留したスペイン,ポルトガル,オランダ人宣教師の日記や書簡をはじめとする玉石混淆の文献を駆使し,客観的に整理された日本事情をまとめあげている.戦国時代のポルトガル人来航とキリスト教宣教師の活動とキリスト教禁止,宣教師追放,イギリスやロシアとの交易.さらに,地理・歴史・宗教・政治体制・資源・動植物・科学技術・文化・言語.現地を見聞しないにもかかわらず,情報の網羅性と分析力を発揮したおそるべきアームチェアー・アンポロジー(安楽椅子人類学)の実践である.

     特に,天皇と将軍の権威の二重構造を的確に指摘していることは驚きに値する.むろん,すべて正確無比というわけではない.オランダ人の見聞記録による幕藩の軍事力の理解は大ざっぱだし,モンゴル系トルコ人,オスマン帝国と日本は,マックファーレンが考えるほど酷似していない.彼は「日本人はまさに最高に洗練されたタタール人である」と賛美するかのように書いているが,19世紀の帝政ロシアにおいてタタール人に対する露骨な弾圧政策をふまえた,列強国の傲慢な断定である.しかし,海軍力の25%を投じたアメリカ政府の国家事業「日本開国プロジェクト」は,本書の知見を基礎として推進されたのである.

    ペリー提督日本遠征日記 (地球人ライブラリー)
    マシュー・C. ペリー
    小学館

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    Title: JAPAN
    Author: Charles Macfarlane

    ISBN: 9784794222206
  • 『日本1852―ペリー遠征計画の基礎資料』チャールズ・マックファーレン ; 渡辺惣樹 訳
    --草思社,2016.8, , 343p, 16cm
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  • [提供:神泉社]
     国際化の進展の時代にあって,緊急な課題は共通言語手段である.エスペラントは,この目的のために創造された.国際共通語による対等の交流を通じて「諸民族の友好と調和」を達成しようとする創始者ザメンホフの理想と情熱は,人類の言語問題解決への鍵を示唆している――.

     人類が単一の言語で結ばれることは,永久機関の発明と並ぶ人類の夢,悲願である.公用語という意味では,ヘレニズム時代の西アジアからエジプトにかけて用いられたコイネー(ギリシア語),ヨーロッパでは18世紀から20世紀にかけてラテン語―フランス語―英語と変遷をたどってきた.イスラム圏では現在でもアラビア語で,冷戦時代の東欧圏ではロシア語であった.「国際語」の権勢を誇るのは,ほとんど例外なく秩序と和平を強調し,弱小国に強制するパックス(pax)概念による.ルドヴィコ・ザメンホフ(Lazaro Ludoviko Zamenhof)は,帝政ロシア領ポーランド北東部の都市ビャウィストクに生まれた.その町では,ポーランド人のほかロシア人,ドイツ人,ユダヤ人と4つの民族がいがみ合って生活しており,ロシア語,ポーランド語,フランス語,ヘブライ語,トルコ語,イディッシュ語,リトアニア語など13種もの言語が飛び交っていた.

     かつ,人々はカトリック,プロテスタント,ユダヤ教,ロシア正教で宗教的対立をみせることも日常茶飯事だった.人間の分裂は言語的分断にある,と痛感したザメンホフは,あらゆる民族の解放のためには,自然言語の欠点を克服した人工言語の開発と普及が不可欠と志を立てたのである.厳密に定義された論理的法則による音声体系をもつ人工言語は,学習者の予備知識も教育水準も問わない.それでいて,数週間学んだだけで不都合なく実用的に話法を操ることができる.信じがたい報告ではあるが,ザメンホフが本書で紹介した1895年の実例がある.それによると,エスペランティストにインタビューを敢行したいと考えたあるジャーナリストが,エスペラント辞書を手に入れ,はじめて学んだ.わずか12時間後,エスペラント語でかなり自由にインタビューが可能になったという.

     17世紀には,記号・音韻・意味の結び付きがきわめて恣意的である既成言語をマラン・メルセンヌ(Marin Mersenne)やフランシス・ベーコン(Francis Bacon)が批判,メカニカルな哲学言語の形成に取り組んだことがある.しかし,試験的な計画語「ボラピュク」も,エスペラント語ほどの成功をおさめることはなかった.ザメンホフ以前・以後にも人工言語の試みは数百以上も確認されているが,提唱者ザメンホフの死後100年以上にわたり,エスペラントに共感する人々が絶えないことは驚異的である.ア・ポステリオリ(実在の経験に基づく構想).普及したエスペラントだけがそれを保持していることになる.意外なことにザメンホフ自身は,「異なる民族に属する人々の相互理解を可能にする,中立的な言語の使用を認める努力」.これをエスペラント主義として第一回世界エスペラント大会で「エスペラント運動の指導者としての地位」を正式に"放棄",1906年に「ホマラニスモ」(人類人主義)を宣言した.

     国際平和思想の信念と,論理的で精確な文法や語法が整理された体系の完成度があって,ひろく受容された現在のエスペラントの地位があるとみるべきなのだろう.一方で,スペインのカタルーニャ語やフィリピンのダガログ語など,あまり顧みられることのなかった自然言語の復権がすすんでいる.学習の容易さはエスペラントに及ばないが,逆にエスペラントは人造語であるゆえに表現力の鮮やかさでは,自然言語に劣る.ザメンホフの構想した時代とはならないようだが,国際共通言語が単一言語とされるべき,とは彼もいっていない.かつてよりも,母語と地域共通言語との使い分けが求められる時代が到来しつつある.

    新ザメンホフ読本
    川西徹郎,ラツァルス・ルードヴィヒ・ザメンホフ
    日本エスペラント協会

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    Title: LA IDEO DE LINGVO INTERNACIA
    Author: Ludviko Lazaro Zamenhof

    ISBN: 4787797115
  • 『国際共通語の思想―エスペラントの創始者ザメンホフ論説集』L.L.ザメンホフ; 水野義明 編・訳
    --新泉社,1997.6, , 324, 6p, 19cm
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