昨日の5月4日は神奈川県中郡大磯町の
「鴫立庵」(しぎたつあん)という所へ行きました。
「鴫立庵」は、京都の「落柿舎」、滋賀の「無名庵」とともに日本3大俳諧道場のひとつに数えられ、
西行法師が旅の途中に歌を詠んだという歴史も残っており、
敷地内には多くの俳句の石碑が立っていて名句が刻み込まれています。
茅葺き屋根でできた舎屋の風情ある外観とともに、
見るものに時の流れを訴えかけます。
「万葉集」に
「相模路の よろぎの浜の まなごなす 児らは悲しく思わるるかも」
と歌われた景色の良い海岸がこの辺りだといわれています。
現在、この付近の浜は「こよろぎの浜」と呼ばれています。
西行法師が
「こころなき身にも あはれは知られけり 鴫立沢(しぎたつさわ)の 秋の夕暮れ」
という名歌を残したのもこの辺りと言われています。
寛文四年(1664年)、小田原の崇雪と言う人が、石仏の五智如来像をこの地に運び、庵を結び、「鴫立沢」の標石を建てたそうです。
五智如来像
庭園には、西行法師の坐像が納められている「円位堂」などもあります。
円位堂
鴫立沢の標石の裏に
「著盡湘南 清絶地」
と刻まれています。
この標石が「湘南」の言葉の始まりだとか。
鴫立庵に、法虎堂という小さいお堂があります。
虎御前の像が祀ってあります。
虎御前は、曽我兄弟仇討ちで有名な曽我の五郎、十郎のうち、兄・十郎が愛した大磯の宿の舞姫であった。
曽我十郎佑成と弟の五郎時到は、1193年5月28日、源頼朝が主催した富士の巻狩の夜、兄弟の親・河津佑通を殺した仇である、工藤佑経を討ち果たした。
十郎は、この夜討ちの際、討ち死にし、弟・五郎も捕らえられた後、打ち首となった。
虎御前は、その後、兄弟の死を悼み、尼となって長野・善光寺に入り、二人を供養し、
さらに後年は再び大磯に庵をつくって二人の菩提を弔ったと伝えられている。