一昨年の今日(昨年の今日・バガヴァッド・ギーター)

2018年07月10日 20時44分21秒 | 音楽
 
昨年の今日(バガヴァッド・ギーター)
 バガヴァッド・ギーター エドガー・ケイシー(Edgar Cayce, 1877年3月18日 - 1945年1月3日)という熱心なキリスト教徒のチャネラーの方のメル......
 

 

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親の介護&<老人の友人に対する至福(幸いな人)><Bliss for an old man's friend (Blessed people )>

2018年07月10日 20時19分33秒 | 介護

 たった1時間と言われた脳の手術中造影剤で心肺停止になった高校時代の友人の1お義母さん。

最近、病院を移りました。

でも、そこで早速又「チューブが詰まりそうだから胃ろうにしますか?どうしますか?」と言われたそうです。

娘さんは「胃ろうはもうこれ位以上傷つけたくないのでさせたくない」と言ったそうです。

そこで「可能な限りチューブで」と伝えたところ、病院を変わるように言われたそうです。

また、この友人は自分のお母さんも1人で暮らしていますので週に何回か行っています。

最近、物が無くなったとか盗られたと言い出し、それが段々と「誰かが」から「ヘルパーさんが」になりついには「あなたが」になっていました。

そして、昨日のこと。

ここのところお腹の調子が悪く何も食べれないと言われるからメイバランスっていう栄養補助食品を買ってたので、「それを食べたら」と言った層そうです。

そしたら「私に何の薬飲ました」とすごい剣幕で電話してこられて、「それを飲んだら下痢をした。わざと飲ました」とまで言い出されたそうです。

そして、今朝「調子はどう」と電話をしたら隣に住むお嫁さん(このお嫁さんとは仲が悪く行き来は全くなかったのですが)が来るからとよそよそしかったとか。

その後、そのお嫁さん、彼女にとっては兄嫁さんから電話があり「お義母さんがおかしい。娘に殺されると言ってる」と。

しかも兄嫁さんに電話した後すぐ友人が電話したので「盗聴器でも仕掛けてるんだろうか」とも言われたそうです。

彼女のショックたるや

この時彼女は用事で出かけていて、車の中でランチを食べている途中でした。

こういう時には限りなく自分の優しく甘くと伝えました。

 彼女は「カフェにでも寄ってから行くわ」と言いました。

その後、パフェの写真を送って来てくれました。

そして、元気を出してお母さんのところへ行きました。

その前にお義母さんの病院へ寄って。

意識は戻りませんが彼女は毎日会いに行っています。

「これから行くわ」とお母さんに電話をしたら、お嫁さんに「一緒に居てな。何をされるかわからないから」と言われたそうです。

あまりのショックで彼女は受け入れかねていました。

「これは病気だから。本当のお母さんじゃないから」と私は彼女を慰めました。

「そうだろうか。でも、悲し過ぎる」と彼女。

お母さんは「何しに来たん⁈」て感じだったそうです。

そして、お義姉さんには「あなたが買って来てくれたおにぎりが美味しかったから元気出たわ」

私の友人へは怒るばかりして早く死ねばいいと思ってるんだろうと言ったそうです。

帰り道、彼女は泣き過ぎて頭が痛いと言っていました。

 多分、この症状はお薬で改善されると思います。

そういう経験談をよく聞きますので。

でも、もう施設を考えないといけない時期かもとお義姉さんと話したようです。

明日、かかりつけ医が往診に来てくれることになったそうです。

自分の母親もお姑さんも大変です。

 

 我が家の母は記憶力はとても良く、頭はとてもしっかりしています。

本人は「絶対にボケなくない。ボケたら私の人生はおしまい」と言っています。

今の気持ちは「何の希望もないけれど、でも死にたくはない。」だそうです。

パーキンソン病があるので、そのお薬の副作用のせいかしんどそう。

足もふらふら。

人生の最期にどうしてこんなに苦しい思いをしなくてはいけないのだろうと悲しくなります。

友人は2人の母親を看ていて「私は絶対長生きしたくない」と言っています。

我が家の母に関しては食べ物やお金に対してよく言うようになった気がします。

まだ小さなことですが、一昨日、すいかを買い、母と半分ずつにしました。

母はその日に全部食べてしましました。

私は次の日のお風呂上りにも食べたかったので食べたいのを我慢して残しました

でも、残したものの、私ひとり食べるのは~と思い、母にもあげないといけないとは思っていました。
 
そこへ、母が「私ももらえるんだろうね」と当たり前のように言い、しかも、私がちょうど半分にしないで母の方が少なかったと言いました。
 
しかも、すいかをあげたのですが「こんな一口!」
 
93歳の年寄りですから、私が我慢しないといけないのはわかりますが、こんな年寄りになりたくないと正直思いました。
 
理想の母親像を母に、しかも93歳の母に求めるのがすでに無理というものだと頭の中ではわかっていますが、いつも友人と「でも、腹が立つよね~」と話します。
 
こんな時、いつも思い出すのは何度かこのブログにも書きましたが次の詩です。
 

 

<老人の友人に対する至福  (幸いな人)>

 (桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

 

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです。

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。

 

This prayer is one of my favorite prayers.

I translated this into English while asking my English teacher .

 

<Bliss for an old man's friend (Blessed people )>

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr,Brevian Walsh)

 

Blessed are the people that understands my staggering foot and my hand's trembling.

Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.

Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.

Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.

Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.

Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."

Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.

Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.

Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.

Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.


これを読むと大いに反省します。

次の詩も心にいつもある詩です。

 

<手紙 ~親愛なる子供たちへ~>

 

(作詞 不詳  訳詞 角 智織)

 

年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても

どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい

私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても

あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい

 

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても

その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい

あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は

いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた

 

悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと

励ましの まなざしを 向けてほしい

 

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて

いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを

 

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に

祝福の祈りを捧げて欲しい

 

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない

足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら

あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように

よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

 

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど

私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい

 

きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです

あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように

私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

 

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと

あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい

 

私の子供たちへ

愛する子供たちへ

 

 


 今日は生協の宅配を申し込みました。

暑さで買い物に行けない時に助かるので考えていたところへ、ちょうど電話がかかってきました。

これらとヨーグルトを頂きました。

ヨーグルトはその場で母が食べてしまいました。

母はヨーグルトが大好きです。

いつもアロエヨーグルトオンリーですが、食べてみて美味しかったようで定期便にしました。


 今日の歌

赤クラゲ 海藻の森 悠然と 長き尾伸ばし 流星の如く

脈々と 静かに続く 生命は 人の及ばぬ 海中深く

豪雨止み いきなり猛暑 始まりて 気候不順の 今後を憂う

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