半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

本:「本当の大人」になるための心理学

2018年06月03日 | 素敵な本
私の20~30代前半の頃の師匠のメルマガに載っていたので読んでみた本が、「「本当の大人」になるための心理学」というこの本でした。

臨床心理士であり、カウンセラーであり、大学で心理学を教えたり、中高年向けのワークショップを開いている著者で、書いてあることはそれこそ昔の哲学もあれば自分の臨床心理学の体系に基づいたものだったり、実際のカウンセリングをしている方の例など、なかなか盛沢山で、全体的にはあちこち話が飛ぶのですが、要所要所は「なるほどな~」と思うところが多々ある本でした。

この本を通して書いてあるのが「今は未成熟な人が多い」ということで、その「未熟」ということが、今の大人の多くに「自分はこの先、どう生きたらいいのか?」とか「心の底に空いている穴は何なのか?」といった思いや不安を持たせているところでした。

「未熟」というのは、中高年になっても若いころと同じように自分はもっと出来ると思い込んで、出来ない理由を周囲のせいにしたり、何か気にくわないことがあったらいったん感情を納めて我慢をする寛容性がなくすぐに切れたり、他人の評価や意見に気持ちが左右されてしまったり、何かあると心の回復が遅くうつになったり、他人やお酒に依存してしまったり、1人でいることが怖いということだったり、色々な定義を書いてありました。


こう見ると、40歳ごろまで「大人になりたくない」と言っていたうちの嫁さんのことをどうしても考えてしまいますが
まあ、自分にも当てはまることもあるし、また、世相的にも書いてあることがなるほどな、と思うところが結構ありました。

例えば、私が30歳~40歳の頃は、「大人」という意識はあっても、自覚は生まれていませんでした。
「昔の30代ってもっと大人だったような気がしたけど、自分がいざなってみたら、そうでもないな」という思いは、私はだけではないのではないでしょうか?

でも、著者によるとやはり「昔に比べて、未熟な人が多くなった」と言います。
例えば、昔の学生は今の30代のおっさんのような感じであった人もいたし、せいぜい22~23ぐらいまでが青春時代で、それ以降は自他ともに「大人」と言う感じだったのが、今は35ぐらいまでは「青春」「自己実現」みたいな世相で、厚生労働省でも35まではフリーター、ニートだけどそれ以降で無職となる、世の中的に35ぐらいが今は境の年齢になった、と言います。

1970年代ぐらいをひきあいにたて、20代後半は大人で、30代はおじさん、おばさんだった、という書き方もあったので、言われてみれば、そうだったかもしれないと思います。

確かに今の私たちの世代は、30代は、まだ「お兄さん、お姉さん」と呼ばれても気持ち悪いとは感じず普通に受け入れてきて、40代になってから「おじさん、おばさん」と言われることがちょこちょこ増えてきた、という感じでしょうか。

でも、昔の30代にお兄さん、お姉さん、という感じじゃなかった、と言われればそうかもしれませんね

そして、その原因として、今は成熟しにくい社会構造になっているとも言います。
40代ぐらいの「人生後半」「人生の午後」に入っても、若くはつらつしていることが良いという世相で、肉体的にも精神的も下降に入っているのにも関わらず、若いころと同じ生活、若いころと同じ嗜好で生きようとする人が多い、と。

そして「新型うつ」、例えば自分が悪いのではなくて周りが悪い、という思いが強く、でも現実はそうではなくその人の問題もあって、もっと出来るはずなのに、と今を見ず、まだ見えぬ未来のために今を犠牲に頑張りすぎてしまったり、仕事や外の刺激があるところでははつらつしているが、家にいたり一人になっていると気力が沸かない、といった人が多くなっているそうです。

またこういう言い事も書いてありました。
若いうちは「自己実現=自分は何になりたいのか?何をやりたいのか?」という感じでいろいろな体験をし、刺激を求めて動き回っていたのが、40代になっても同じ嗜好のままで、仕事で「もっと自分は出来る」と将来を見通さず「少年のような夢」を見たり、海外旅行に行って遊び倒したりすることで一時の楽しみで自分をごまかしたりしていて、現実を見ず、なんとなく空虚な気持ちがわいてきてしまっている、という人が多いそうです。

そして、定年まで自分の人生の意味、使命などを考えずに、定年した時も未熟なままなので、飲食店などで難癖つけるクレーマーになったり、すぐ切れる、寛容度が低い人が多くなっている、とのことです。

実際、クレーマーは若い人より中高年が最も多いそうです。

ただ、そうこうしながら自分の老いは現実にあって、残りの人生が見えてきて、そこで初めて「自分の人生って何だったんだろう?これからあと20~30年どう生きていけばいいのだろう?」という思いが沸いてきて、著者のカウンセリングやワークショップに来る人が多いそうです。


この本を読んで思うことは、若いころからずっと何となく疑問を持って生きてきたか、そうじゃなく社会に順応して楽しくやってきたか、志向性の違いなのかわかりませんが、その違いはあると思いました。

例えば若いころから文字を読むことが苦ではなく、本を読んで、あるいは自分の時間を持っていて、自分なりに人生の悩みや葛藤を向き合ってきたかどうか。あるいはいじめられたり、社会問題に衝撃を受けたり、何か疑問を持って生きてきた人はいると思うのです。

一方で、何かあってもその体験が積み重なるというよりは、その時々を楽しむ人、世渡りが上手というか、現代社会の順応出来て、例えばテレビやドラマや飲み会などを楽しんで生きてきた人も多いと思うのです。

「今の自分がおかしいのか?いや何か今の社会がおかしいところもあるのではないか?」みたいな事をずっと考えている人は、「食と命の教室」に良く来ます。

一方で、そんなことを考えるのでしょうが、ある程度、会社生活や家庭生活を楽しみ、色々な人と交流し、テレビがドラマやdvdを見て、それなりに楽しみながら老後に突入する人も多いと思うのです。

特に今の団塊の世代がそうなのではないでしょうか?

特に、子供がいる家庭では、子供の勉強、部活、お受験など子供のことを中心に自分の事を考えずに済む方もいますし。

小さいころに「人は何で生まれてきたんだろう?」とか「死ぬってどういうことなんだろう?」ということを、例えば昔話を聞いて思ったり、自分のおじいちゃんやおばあちゃんが死んだり、仏壇や墓参りの中でふと思ったり、そういった、ちょっとした哲学が好きな人は、本が好きな人が多いと思うのですが、考えること、そして自分の感情に左右されながらも、その葛藤や不安とつきあってきた経験がある程度積み重なってきていると思うのです。

一方で、現代に適応できる人、流行を追うことが本当に楽しいと思う人も実際にいると思います。
例えばテレビなどメディア業界を目指し、そこで働くことを楽しいと思う人もいます。


ただ、著者が書いていますが「人生は喪失の連続である」という言葉があります。

著者は、成熟していない、つまり心の耐性が無い人、人生後半はあきらめることが多いということがわか「喪失感」というのがあって、定年退職したり、子供が巣立ったり、パートナーに先立たれたり、そこで「心の耐力」が無い人は、悩み苦しむ。

ある意味、日本の現実を考えれば、定年まで大きな葛藤が無く働き通せたお父さん、定年後は海外旅行や孫の世話で過ごせているおばあちゃんは、幸せなんでしょうね。

今はその前に、仕事に就けない、大病を患う、など色々な問題が起きますからね。

ただ、いずれにしろ、カウンセリング、自立、心の耐力などをつけるワークショップなど、そういった受け皿は現実の問題を持っている人には届きにくいのが実際です。

「未熟だから熟しない」と言って成熟出来るわけじゃないですから。


最後に、1つ、参考になった文章を。

「神様 私にお与え下さい
 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
 変えられるものは変えていく勇気を
 そして2つのものを見分ける賢さを」

アルコール依存症のサポートグループで唱えられている神学者の「平安の祈り」という言葉だそうです。

老い、他人の気持ち、など自分に変えられないものを受け入れ、落ち着けること
自分の考え方、自分の言動、自分で変えられるものは臆せず時にはあきらめ時には変えていく勇気を

持てることが成熟した大人になる事なんだ、と書いてありました。

なるほどな~と。
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