半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

本:まり子の「ねむの木」45年

2017年10月31日 | 素敵な本
たまたま図書館に行ったら、宮城まり子さんの本がありました。
「ねむの木学園」の代表の宮城まり子さんの本です。


宮城まり子さんは戦後の有名な歌手だったそうですが、私が生まれる前には引退していました。

そして、障害のある子たちのために「ねむの木学園」を作ったのです。

私が宮城まり子さんの事を知ったのは、東京の会社員時代でもう十数年前のことです。

毎日、日経新聞を読んでいたのですが、そこに「私の履歴書」というのがあって、著名人などが自分の履歴書と題して、人生を振り返るのです。

そこに宮城まり子さんが執筆した文章に衝撃を受けたのです。

確か、森ビルの森社長と知り合いになって、六本木ヒルズで展覧会がある、ということも載っていて、その展覧会に行きました。

私には障害のある子ども達に触れる体験は無かったですし、今もよくわかりませんが、そこでとても印象的で可愛らしいポストカードとコップを買いました。

また、「私の履歴書」の最終回で、確か「私が社会のためになにか役に立てることがあるのであれば、かみさま、なんでもします」という内容で、号泣しました。

新聞の切り抜きも保管しているのですが、ネット検索したら出て来たので、以下、載せてみます。

『一ヶ月間「私の履歴書」を書いたから、どこかに就職できるのかなといって笑われました。「私の履歴書」は、功成り名を遂げた方が書くのだと。「学校を出て、履歴書を書いて、面接をしてお勤めでしょ。私、そんなつもりで書いたのよ」と言いました。

この社会という会社に入社できたら、一生懸命努力しますので、どうぞ採用してください。
私、この履歴書の中で、父も母も弟も愛する人も亡くして独りぽっちになってしまいましたから、さびしくて夜寝られない日もあります。けれども、やり通さなければならないと思います。さあ、四月から私は新入社員。一生懸命努力します。
読んでくださってありがとうございました。』


既に確固たる業績と言うか、素晴らしいことを成し遂げ、継続されてきている宮城さんが、こんなことを書いていたのです。
人はここまで謙虚になれるのか、人はここまでピュアになれるのか、と感動し、自分を省みたことを、思い出しました。

宮城まり子さんの本を買って、日々、号泣していました。

でも、そんな宮城さんのことも、ねむの木学園の事も日々の忘れていました。

そんな時、ひょこっと久々に宮城さんのこの本を見つけたのです。

どのページも涙が流れてきて、「図書館では読めないな」と思い、借りて帰りましたが、結局購入しました


世の中には「段違い」という言葉あります。

「器が違う」とか「格が違う」ということもあります。

これは「相手にならないほど相手のレベルが高い」という状態で、例えば、私にとっては東城百合子さんとか、辰巳芳子さんとか、もう亡くなられた方で言えば常岡一郎さんとか、安岡正篤さんとかならイメージが出来ます。

「あぁ、こりゃかなわん」という感じですね。人間としての目標という感じです。


ところが、宮城まり子さんは「段違い」とか「格が違う」といった言葉が私には当てはまらないのです。

「次元が違う」という言葉も、同じ基準に置いてレベルが違う、といったニュアンスが生まれてしまうと思うのです。

そうではなくて、もう全くの別世界、全くの違うところで生きてこられて、そこは私にとっては未知の世界で想像もし難い世界で、急激に変わる社会の中で、ねむの木を創り、運営し、多くの子ども達のお母さんになってずっとずっと生きてこられた。

ただただ、「こんな人が世の中にはいるのか」とただ涙を流すしかない、といった存在です。


日常のこまごまとしたことに不満とか開き直りとか色々ありますが、たまに「まあ、戦争が起きるよりは、死ぬよりはましじゃないか」とせいせいするというか、吹っ切れることがありますよね。

そういったのとはちょっと違うんでしょうが、涙を流し、別の世界できれいな光に包まれている宮城まり子さんの光のおこぼれを少し頂いて、涙を流して自己中でちっぽけな自分を洗い流すためにというのでしょうか、それを目的としているわけじゃないけど、読めばそうなるのが宮城さんの本です。

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