俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

写真の力

2015-10-07 22:37:38 | 今日この頃


18歳で新聞部に入部したことから始まる写真との出会い。

決して趣味の範囲を脱することなく、むしろ10年やっててまったく成長なし。

そもそも「趣味はなんですか」と尋ねられても、絶対に「写真」とは答えないようにしている。

カメラは好きだけど、写真撮影が好きかはまた違う話ですよね(何。

正直、スポーツ写真を除いて、写真を撮ることはそこまで好きじゃない。

もともとスポーツ写真というか、メディア写真しか撮っていなかったから、

普通の人と写真に対する考え方が少し違ったところがあります。

自分がカメラをもって、被写体を撮る。そして、写真になる。

そこに自分の目線があって、被写体の人生の瞬間を切り取り、それを共有させるアイテムというか手段。

だからその写真を見てわかることは、被写体の人生の一部分やそのときの雰囲気、私の撮影の狙いぐらい。

写真に写っているものに意味があり、誰が見ても写っているものに意味を感じられるものが写真なんだと。

私は写真の存在価値というか、あり方をそんなものだと勝手に思っていました。

でも、それだけじゃないんだなぁと思うことが最近ありました。

写っているものに意味がなくていいときもあるんだと気づきました。

というのも先日、たまたま写真をいただく機会があり、その写真を見ていたのですが、

その写真を何回見ても写真自体に技術の高さとか、被写体の良さは皆無なんですよ。

素人がなんとなく何も考えず、ぱっと撮った風景写真なんです。

ええ、なんていったってその写真は私自身が撮った写真なんですから、わかります(汗。

何の変哲もない風景写真で、その写真自体に狙いなんかまったくないし、

赤の他人が見れば「なんだ、これ」っていう代物の写真で、

私も、もらったときは「なぜ、これなんだ」と思ったものです。

でも、この写真を撮った時のこと、この景色を共有しているひとのこと、その時間や想いを振り返ってみると、

とても大切な気持ちを思い出させてくれるものでした。

写真に写っているものはなんてことない風景でしたが、

その風景を一緒に何も言わずに、何も語らずに静かに見ていたことを確かに思い出せるものでした。

これで思いました。

写真は何も意図があって撮るものではなくて、写真が出来上がってから新たな意味が生まれることもあるし、

写真の中に意味があるのではなく、写真のこちら側にいる自分に影響を与えるキーとしての意味もあるし、

撮影者自身が被写体から隔絶された立場にいるのではなくて、その世界に共存することだってあるんだなと。

なんていうか、初めて自分の中で写真が技術や手段ではなくて、身近なものに思えました。

正直何言ってんのかわかんないこと書いてますけど、ちょっとした衝撃だったんですよ。

写真も捨てたもんじゃないなって、思いました。

10月6日(火)のつぶやき

2015-10-07 05:16:56 | twitter

なんだろうか。最近、政治だか社会だかにもの申す!またたみたいな記事があって、すぐ拡散させるひとがまぁいるわけで。拡散させるのはまぁ目をつむるとして、そのもの申す!的な記事が論理的に成立していても、実情を無視した話が蔓延していてどうかと思う…