俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

受験ノイローゼ

2008-03-08 16:50:55 | レビュー
『冷たい校舎の時は止まる』(辻村深月)の上下巻を読みました。両巻で約1200ページある長編小説。話の内容はとある進学校で自殺が起きて、しばらくして自殺したクラスメートの数人が校舎に閉じこめられる。しかし、閉じこめられた全員が自殺したクラスメートを思い出せない…皆でいろいろと行動していくうちに真実に近づいていけ話。

作者にとってはデビュー作で、高2から大学生のうちに書いた作品。無駄に長い…という印象を受けるが、それ以上にその年代の若者を上手に表現している。というより、進学校の校内事情をわかりやすく描いていて、うちの高校と大して変わらないと私は思いました。

こう全体的に漂う受験のプレッシャー、緊張感。勉強以外の活動が軽視される風潮。なんていうか期待というより要求に近い受験。そういった雰囲気はうちの高校にもあったと思います。この作品で自殺した生徒の原因は受験ノイローゼ。うちの学校でそういった不安を感じていた人がいなかったわけがない。不安は蓄えられていて、決壊しなかっただけかもしれない。

なんだろうな。中堅の進学校独特の雰囲気かもしれない。もっと上位の学校ではあまり感じない…実際通ってないからわからないけれども、かなり優秀な高校の出身の人から受ける印象にそういったものは感じない。どこか勉強というものが本業でなく、学生生活のアクセントとして受けとめられていて考え方に余裕があるように思う。全部が全部そうだとは言わないけど、そういった人間が多いんでは。

でも中堅においてはそういう余裕がない。勉強という道以外選ぶ余裕がない。学校が悪いんじゃなくて生徒を取り巻く大人たちのプレッシャーがそうさせている気がする。そんなプレッシャーを感じながら学生生活を送っていれば受験が近づくにつれギスギスしてくるのも仕方がない。

幸いにして私は高1の三者面談で担任から「もうこれ以上伸びない」と言われたので、なんのプレッシャーはなかったですけど。親も受験に関してはなんとなくだったし、勉強よりもそれ以外のことに力を注いだ。それに誰も私に「頑張れ」なんて言わなかったしね。そういうことでプレッシャーとは無縁だった。不思議と私の周りにもプレッシャーを感じさせない人が多かったし。

良くも悪くも逃げるのがうまかったのかもしれない。勉強に飽きたら部活をやったし(高3なのに)、なんだかんだで遊んでいる時間は長かった。逃げ場所があったのは幸せなことだと思う。でもすべての人がそうというわけではない。逃げ場所のない人だっていたんだろうなと思う。

無理難題

2008-03-08 15:30:51 | ATOP
時々、周囲に無理難題を要求しているのかもしれないと不安になることがある。

いつもどんなときも誰もが自分自身の価値観というか基準で物事の判断をする。しかし、その判断はいつも正しいわけでもなければ、一般性を伴うものでもない。それは他人に対しての依頼や命令、意見に対しても当てはまる。例えば、「明日までに終わらせて」ということを誰かに依頼しても、私にはできると思っていてもその人には無理な場合があるわけだ。

以前から言ってることがあるけれども、私は特別扱いされるのが嫌だ。「君は大丈夫かもしれないけど…」と言って、一方的に私が特殊なように扱われ、それが言い訳の材料にされるのが嫌だ…。もちろん、二十歳過ぎた人間がそういうことをいうのはわがままだとは承知している。ただ嫌なんだよね…決してずば抜けてポテンシャルが高くもない私が理由にされて、比べられた人があまりにも惨めな気がするから。

でも確かに私にとっては大丈夫でも他人にとっては難しいという問題はあるのだろう。そう多くはないにしても確かにあるのだろう。それは人付き合いの中で学んだ。だから、「明日までに終わらせて」ではなくて「いつまでに終わらせられる?」と相手基準を優先するすべを得た。でもね…世の中それで丸く収まらないわけですね。

これは特に後輩に思うことだけど、その人自身が「○日までにはやります」と決めても、それ通りやってくれないことは多い。その日になって「どうなった?」と聞くと、忘れていたりそのときになって言い訳する。特に後者は多い。最初からやる気がなかったなら断る選択しもあったにもかかわらず、とりあえず返事して先延ばしをし、その場を凌ごうとしているだけと私は感じる。なぜなら最初に断れなくても、どこか問題があるなら相談して解決することや、私を説得するなり、あきらめさせることができるわけだから。

でも根本的な問題は自分が言ったことに責任を持たなければいけないわけだけどね。本人がいついつまでと決めたならいかなる理由があってもやらないといけないはずで、できない理由があっても言い訳するなんてみっともない。結局、自分自身が悪いわけだから。

いくら私がそう考えていたとしても、やはり私の勝手な期待や理想に基づいた無理難題を押しつけているのかもしれない…という思いもある。残念なことに。結局、指示したことが思い通りにならないのは私の責任なわけだし。